02 | エデンの林檎





『 エデンの林檎 』





 蛇は囁いた。
 芳しい実を差し出して。
 それが罪と知って。


 真っ赤な真っ赤な、誘惑。





 潮を含んだ重たい風。
 彼は遠くを見ていた。
 薄い色の瞳が揺れて。
 こぼれた息は深く重い。
「お疲れのようですね」
 近くもなく、しかし離れてもいない距離から声をかける。
 彼は驚いたように振り返って、そして安心したように微笑んだ。


 正式な襲名式のために訪れた、慣れない異国の地。
 聞き慣れない言葉。
 見知らぬ人間たち。
 その中で、彼はなんて小さい。


 うっすらと赤くなった目元。
「やはり、風当たりはきついようですね」
 彼は初代ボンゴレの血を引いているという。
 その証拠に炎をともし、指輪を飾る。
 けれど、それは彼自身を認めさせる理由にはならなかった。
 長い歴史を持つがゆえの確執。
「……苦しいのなら、」
 それが君を苦しめるのなら。
「僕にすべてを渡してしまいなさい。僕がすべて、失くして差し上げますよ」
 優しく、甘く。
 罪を囁く。
「あなたの地位で、立場で、その体で、すべて壊してあげましょう。あなたは何もしなくていい。ただ……」


 まず君の心を壊して。
 君の愛するものを壊して。
 君を害するものを壊して。
 すべて、
 何もかもを壊して――


「ただ、この手を取ればいいだけです」
 黒い影の中から、そっと手を差し伸べる。
 そこに赤い実はないけれど、
「楽に、なりたいのでしょう?」
 唇から滴る罪の甘さは同じ。
 彼の小さな手は、



 何も


 掴むことはなく



 強く、固く、閉じられた。
「――そう、ですか」
 それは期待通りの答え。
 彼は弱くも、強い。
 だから、それは、正しい選択。


「まぁ、僕の野望のためにも、あなたにはそこにいてもらわなきゃいけませんので、しっかりと支えてあげますよ」
 いつかすべてを僕のものに。
 君を僕だけのものに。
「けれど、覚えていてください」
 自然と浮かぶのは笑み。
「あなたを解放できるのは、この僕だけであるということを」
 だから―――





 深く甘い罪を誘う。