蛇は囁いた。
芳しい実を差し出して。
それが罪と知って。
真っ赤な真っ赤な、誘惑。
潮を含んだ重たい風。
彼は遠くを見ていた。
薄い色の瞳が揺れて。
こぼれた息は深く重い。
「お疲れのようですね」
近くもなく、しかし離れてもいない距離から声をかける。
彼は驚いたように振り返って、そして安心したように微笑んだ。
正式な襲名式のために訪れた、慣れない異国の地。
聞き慣れない言葉。
見知らぬ人間たち。
その中で、彼はなんて小さい。
うっすらと赤くなった目元。
「やはり、風当たりはきついようですね」
彼は初代ボンゴレの血を引いているという。
その証拠に炎をともし、指輪を飾る。
けれど、それは彼自身を認めさせる理由にはならなかった。
長い歴史を持つがゆえの確執。
「……苦しいのなら、」
それが君を苦しめるのなら。
「僕にすべてを渡してしまいなさい。僕がすべて、失くして差し上げますよ」
優しく、甘く。
罪を囁く。
「あなたの地位で、立場で、その体で、すべて壊してあげましょう。あなたは何もしなくていい。ただ……」
まず君の心を壊して。
君の愛するものを壊して。
君を害するものを壊して。
すべて、
何もかもを壊して――
「ただ、この手を取ればいいだけです」
黒い影の中から、そっと手を差し伸べる。
そこに赤い実はないけれど、
「楽に、なりたいのでしょう?」
唇から滴る罪の甘さは同じ。
彼の小さな手は、
何も
掴むことはなく
強く、固く、閉じられた。
「――そう、ですか」
それは期待通りの答え。
彼は弱くも、強い。
だから、それは、正しい選択。
「まぁ、僕の野望のためにも、あなたにはそこにいてもらわなきゃいけませんので、しっかりと支えてあげますよ」
いつかすべてを僕のものに。
君を僕だけのものに。
「けれど、覚えていてください」
自然と浮かぶのは笑み。
「あなたを解放できるのは、この僕だけであるということを」
だから―――
深く甘い罪を誘う。