漆黒の棺。
白い花に満たされて。
誰もいない容れ物。
「骸!」
茂みから現われた幼い姿。
息を切らして、駆け寄ってくる。
「お前、なんで、見送りに来ないんだよっ」
「……なぜ、見送りに行かなければならないんですか?」
「それは、だって、もう会えないわけ、だし」
視線をそらす、幼い仕草。
すべて、ボンゴレを名乗る前の。
「過去に戻れば、過去の僕に会えるでしょう?」
「そう、だけど、けど!」
「けど?」
知らず、声音に冷たさが混じる。
怖がらせるつもりはなかったのに、瞳が怯えたように揺れる。
けれど隠すこともできない。
君は紛れもなく君で、彼ではないのだから。
「……早く戻りなさい。帰れなくなりますよ」
その腕を掴む前に。
抱きしめて、壊してしまう前に。
風が吹いて、白い花びらが舞い上がる。
「なぁ」
泣きそうな顔。
「骸、お前、死ぬつもりじゃないよな?」
意外にも感情も思考も揺らぎはしなかった。
いや、予想できていたからかもしれない。
幼い君は優しすぎた。
「なぜ、死んでは、いけないのですか?」
「なんでって、そりゃ、死んだってどうしようもないし」
少ない知識で、語彙で、説得を試みる姿は、愛おしく。
「それに、」
まばたきと共に涙を落として現れたのは、意志の強い瞳。
それは光を宿して、僕を射た。
「俺、死んでないよ。絶対に」
「どうして……貴方なんかに、わかるわけが」
「わかんないよ。でも、言い切れる」
魅惑的な言葉を否定しようとして、声が消える。
何を、言えばいい。
「……そう、ですか」
ならば、生きていると信じる君の前でだけ。
「そう望むのであれば、約束しましょう」
「ほ、本当に?」
「えぇ。もう指輪はありませんが、守護者の名にかけて」
「よかった……」
安堵に微笑む。
「けれど、見送りはここで、許してくださいね? 戻ってきた貴方を、一番に迎えてあげたいので」
「……そっか」
納得したのか小さく頷くと、彼はもと来た道へと足を向けた。
純粋で。
幼稚で。
一度振り向いたときに手を振ってやると、安心したように笑って、そして消えていった。
疑うことを知らない君。
「……大人は、卑怯なんですよ」
ちゃんと約束の内容を確認しないと。
何を、約束するのかを、言葉にしないと。
約束の中身は空っぽのまま。
「まぁ、もう忠告する機会はありませんが」
約束をしたのは、ずっと前。
14歳の君が知らない、6年前の誓い。
むせ返るほどの花の香り。
舞い、そして散る。
10年前よりも、6年前よりも、大人びた君の姿。
そっと頬に触れる。
小さく、自分が震えるのがわかった。
ありえないと、心の呟きを打ち消すように、言葉がこぼれる。
「……あたたか、い?」
ふるりと睫毛が揺れて。
ゆるりと瞼が持ち上がる。
瞳が、見つけて、微笑む。
「懐かしい、夢を見ていたよ」
視界が歪む。
「俺がまだへたれで、弱虫だったときの、すごく、懐かしい」
もっと、ちゃんと、見ていたいのに。
「みんなに会いに行こうとしたんだけど、誰にも会えなかったんだ」
頬に触れた手に重ねられた手は、確かな温もりを伝えていて。
握り締めて、引き寄せて、抱きしめる。
あたたかい。
やわらかい。
ちゃんと、生きている。
「何、泣いてんだよ」
「なぜ、生きて、どうして、こんな!」
「俺も死んだかなって思ったけどさ。あはは、生きてるや」
「笑い事じゃありませんよ!」
「うん。でも、もう全部済んだんだろ? だったら笑ってよ」
小さな唇がからい雫を吸い取ってしまう。
優しく。
そして、何も変わらない。
微笑みは自然と浮かんでいた。
「ただいま、骸」
「おかえりなさい……」
最後に一粒だけ、落ちる。
棺から出て、彼はうんと伸びをした。
服に付いていた白い花弁を払い落としていく。
「実はさ、お前、勝手にあの約束果たしてんじゃないかって、すごく心配だったんだ」
「もう少しで、しそうでしたよ」
「ちょ、バカ! 俺ちゃんと寿命で死ぬつもりなんだからな!」
向けられた拳を受け流して、胸に抱きとめる。
「……だから、お前もちゃんと付き合えよ」
「はい」
風は強く、花びらだけを舞い上げて。
遠く。
まだ来ることのない、ずっと遠くへ。
約束を。
果たすときは、まだ未来の先。