雑然として埃臭く。
窓という窓は割れ。
欠けた天井からは光が差し込み。
雨が降れば雨漏り。
湿気が外の土臭さを流し込む。
不衛生で、不健康。
それが僕らの家。
「お前さ、いい加減こっちが用意した部屋に住めよ」
久々に黒曜ランドに姿を現した彼は、げんなりとそう言った。
「ぶっちゃけここ廃墟だし、倒壊寸前だろ」
壁はあちこち壊れて、床にはコンクリート片が転がっている。
むき出しの鉄筋は赤く錆びて、折れたものもある。
「お前、マフィア嫌いだし、世話になるの嫌かもだけどさ、ここだと何かと不便だし、大変だろ?」
どこもかしこも崩れて、暑さも寒さも防げない。
うだる熱気、凍える冷気、すべてが肌を刺し感覚を明瞭にする。
それは、本当は、不快ではなくて。
「だからさ、ちゃんと四人分用意してあるし、あっちに移ろうよ」
善意の塊。
別に断り続ける意地もない。
衣食住が保障されるのならば、申し分ない提案だ。
かたくなに拒否することもない。
けれど。
ただ、あるとすれば。
布の破れたソファーから彼を見上げ、浮かんだ言葉を音に紡ぐ。
「部屋、が」
一度だけ見に行った。
壁も天井も窓も床も調度品もすべて、傷ひとつない場所。
埃もヒビも錆びもすべて、何ひとつない部屋。
彼は用意したものはあまりにも――
「綺麗、すぎて」
「は?」
「……思い出すんですよ」
滅菌された白い部屋。
恐怖。絶望。狂気。悲鳴。
飛散した赤い血液。
「研究所の、あの何もない部屋を思い出して、壊したくなるんです」
すでに人も物も壊したというのに。
もはや記憶の中にしか存在しない場所。
どうしても壊せないもの。
広げた両手に重なるヴィジョン。
「骸……」
普通の暮らしを求めても、普通でない過去が邪魔をする。
いっそ初めから壊れていれば。
壊す必要のない場所だから。
この場所を心地よいと感じる。
求めてはいけない。
壊して、しまうから。
「じゃあ壊していいよ」
「え?」
彼は汚れた床に膝をついて、僕の手を取った。
「部屋、住みやすいように変えればいいから」
「何を、言うんです?」
「ここみたいにするのはさすがに困るけど、でも、骸が何か壊しても、俺は、その、」
視線が宙をさ迷い、足りない言葉を探す。
それでも見つからなかったのか、彼は苦笑した。
「うまく言えないし、伝わらないかもだけど」
拙くも懸命に、
「ほら、物が壊れるのは当然だし、でも、骸の居場所は、そう、居場所は物じゃなくて」
僕の手を心臓の上へと導き、
「ここに、あるものだから」
穏やかに微笑む。
指先に小さな鼓動。
手の平に体温。
「だから、壊れないっていうか、ちゃんと、なくならないからさ」
一瞬、呼吸が引きつった。
驚愕。安堵。不安。納得。
感情が混ざりすぎて理解不能に陥ってしまう。
「……けれど、僕は……人が簡単に壊れることを、知っています」
「確かに弱いものだけど、大丈夫。俺、これでも打たれ強いんだから」
「でも」
「骸」
口をつく言い訳を遮って、ソファーが軋む。
彼はソファーに膝をついて、僕の頭を胸に抱いていた。
「大丈夫」
鼓膜に直接響く音。
ここに。
心の中に。
「……君の中に、いてもいいんですか?」
「いいに決まってるだろ」
強く、速く。
「いてくれなきゃ、困る」
熱く。
「…………そう、ですか」
喉に詰まる感情ごと彼にしがみつく。
傷も汚れもない。
甘くて眩しくて、綺麗で。
君が壊れないと言うのなら。
壊されないと言ってくれるなら。
「それなら――」
ここに。
心の中に。
彼の音を聞くために。
「君のそばに、いてあげます」