急な呼び出し。
何かヘマをやらかしただろうかと記憶を辿っている内に、扉の前に着いてしまう。
「……考えてもしゃあねぇか」
あきらめて、ノック数回。
「はーい」
「俺です」
「獄寺くん!」
慌てた足音、続いて扉が開く。
十代目はひょこっと頭を出した。
「ごめんね、急に。忙しくなかった?」
「あ、はい」
今日もボスの器にふさわしく素敵な方だ。
「入って、中で話そう」
促されるままに部屋に入る。
すると、十代目は外の様子をしっかり確かめてから、扉を閉めた。
「……?」
ソファーに座るとすぐに、コーヒーの入ったカップが置かれた。
「あ、ありがとうございます」
「砂糖とかは?」
「いえ、ブラックでいいっス」
「そうだったね」
十代目はぎこちなく笑いながら、向かいに腰掛けた。
……なんだろう。
口調も対応も、コーヒーが出されるのもいつもと変わらない。
ただ、どこか、態度がおかしい。
この違和感の正体は――
「あ、あのさ!」
俺がコーヒーを口に含んだタイミングで。
十代目は真っ赤な顔で。
こう、おっしゃった。
「キスとセックス、どっちが好き!?」
盛大に噴き出したのは言うまでもない。
「ごめ、ごめんね!?」
「いえっ、こちらこそ、す、すんません」
ボスの前で取り乱してしまうなど、右腕失格だ。
汚れたスーツを脱ぎながら、ため息。
「話って、それっスか」
「……うん」
ほとんど消え入りそうな声。
キスとセックス。
十代目の発想からくる質問でないことは明白だ。
武ならあり得るが、純粋で可憐な十代目では考えられない。
誰かの入れ知恵だとすれば。
「……もしや、あの六道骸に、訊かれたんスか?」
「なっ、なんでわかったの!?」
驚きに向けられた顔は真っ赤。
隠そうとする手も赤く染まっている。
……あンのアホパインが!
「ロクなことしやがらねぇ!」
「え、え?」
「ンな質問、答えてやる義理ないっスよ!」
「でも、その、」
わずかに視線をそらしながら、十代目は穏やかにも見える笑みをこぼした。
「答えることで、俺を知ってもらえるなら、またひとつ、好きになれるなら、嬉しい、し……」
「なっ――」
出かけた言葉を手で止める。
なんて、なんて健気で可愛らしい方なんだ!
「ごめ、今の聞かなかったことにして、ハズかしー!」
しかも照れ方も尋常じゃなく可愛らしい!
最終的に六道骸を喜ばせることになるのは非常に腹立たしいが、右腕たる者、ボスのためには協力を惜しむべからず!
「十代目!」
「ぅわはい!」
「獄寺隼人、これからも十代目についていきます!」
「よくわかんない!」
ということで。
互いに額をつき合わせて悩むこと、小一時間。
「キスもセックスも相手の度量次第ですよね」
「山本って上手いの?」
「っアイツは、どう、なんでしょう……」
どこをどう評価して、上手いになるのか。
気持ちよさなら、まぁ、文句はないがあああって何考えてんだあああ。
「じ、十代目のほうは!?」
「えっ、む、骸は、上手いっていうか……しつこい?」
「しつこい?」
「長くて、ねちっこくて、いじわるで、素直じゃないんだよ」
「あー、確かに焦らして楽しんでる感じは、こっちもあります」
「え、山本もそんなことすんの?」
「焦らして、その、俺から誘うのを、待ってんスよ」
「あぁー、それはあるー」
十代目は天井を仰ぐように、ソファーの背もたれに体を預けた。
「なんでか言わせようとしてくんの。言うまでイかしてくんなかったり――」
はぶ、と両手で口が塞がれ、見る間に顔が赤く染まっていった。
「ごめん、今の、ナシ」
最初から生々しい話であるし、今更かもしれないが、俺もつられるように顔が熱くなるのがわかった。
たぶん、そういう話と十代目を、今まで繋げて考えたことがなかったからだ。
普段の清廉で潔白で無邪気な姿からは、到底想像できるわけがない。
しかし現在、話の中心というか議題は「キスとセックス」だ。
踏み込むのは、多大に躊躇われるが。
コーヒーを空にしたところで出された白ワインで口を潤し、俺は意を決して問うた。
「……その、十代目は、六道骸と、その、キスしたとき、どんなことを、感じますかっ?」
決意した割にはたどたどしい口調になってしまった。
「ど、どんなって……」
視線が宙をさまよい、小さな指先が、おそらく無意識に、唇を辿る。
それが予想外に蠱惑的で、俺は思わず視線をそらしてしまった。
あああ相手は十代目だぞ。
確かに可愛らしい方だが、いやそうじゃなくて。
「俺は、」
とにかく話をして気を紛らわそう。
「なんつーか、キスは、言葉じゃ足りない部分を交換して、補ってるような、そんなのを感じるときが、あります」
どうしても伝えきれない部分。
本当の部分。
音に紡ぐより、直接飲み込ませることで、感情が伝わるように。
「……少し……似てるかも」
十代目は小さく頷いた。
「口から胸に、身体中にいっぱい、愛してるを注がれる感じ。でも、満たされるんだけど、もっと欲しくなって、そう、いつも少し、さみしいんだ」
「さみしい?」
「骸はたくさん、愛してくれるけど、俺もちゃんと返せてるか不安で、さっきの獄寺くんの、交換するっていうの? すごく、うらやましい」
「いや、これは、俺が思ってるだけでっ」
あっちがそれを感じて理解してるかは……いや、理解してるから、愛してもらえるし、愛されてると実感できるのか。
なんだよ、俺、贅沢者だったのかよ。
「……ね、じゃあ、その、せ……セッ、クスには、何を感じる?」
「セックスは……」
ここまで来て躊躇うのもないだろう。
呼吸ひとつ分の間を置いて、俺は話を進めた。
「こっちはキスと違って、一方的な、与えられるだけみたいな、感じっスね」
疼く熱と刹那的な快楽を、与えられるだけ欲し、享受する。
何度繰り返しても、同じものは共有できない。
「その、曖昧な表現しかできないんスけど、交わってるのに、ひとつになれないのが、怖く、なるときもあって」
「怖く……」
「ヤったあととか、離れるのが、情けないんスけど、泣きそうなほど不安で、どうしてこのまま溶けて、混ざって、一緒に消えてしまえないんだろうって……」
思わず苦笑がこぼれた。
「すんません、わかんないっスよね」
けれど、十代目は黙って首を振った。
「すごい、わかる」
中身のないワイングラスがテーブルに置かれる音。
「俺も、その、せ、セックスは、怖い。俺じゃ、全部は抱きとめられなくて、包み込めなくて……」
小柄な身体と同じくらい小さな手を見つめて。
「骸も、骸の抱えてるモノも大きすぎて、どうすれば、全部、骸ごと、安心させてあげられるのかなぁって」
握りしめた両手は、小さくとも力強い。
それを知らないのは、きっと十代目だけだろう。
組織を守るだけでなく、温かく包み込む両手。
「……六道骸が、うらやましいです」
「え、なんでっ?」
「こんなに十代目に想われてて……いや、うらやましいっつーか腹立たしいっスね」
「えぇっ、なんで!?」
「アイツの人格や性格や態度や、十代目に執着するところとか、本当に、十代目は六道骸のどこが好きなんスか?」
「ど、どこって……」
酔いのせいで少し潤んだ瞳に、慈愛の色が混じる。
「強がりで、甘えたで、素直じゃないところかなぁ……なんか、ほっとけなくて」
照れ笑いをこぼす。
手のかかる子ほど、という言葉が浮かんだが、口にはしないでおく。
どこも似たようなものだということだろう。
「って、なんか、話それちゃったね」
「あ、そ、そうっスね」
十代目の分もワインを注ぎ足し、結論を考える。
キスとセックス。
好きなのは。
「……やば、思ってたのと違う答え、出た」
「え、どっちですか?」
「その……えっと……」
十代目は赤い顔を隠すようにうつむきながら、ぼそりと呟いた。
「―――」
「えっ」
確かに予想外の答えだが、今までの会話を考えれば、そうかもしれない。
十代目らしいといえば、らしくもある。
「ご、獄寺くんは? どっち?」
「俺は……」
誰も聞いていないとはいえ、つい十代目同様、声を落としてしまう。
俺が好きなのは――
その頃、扉の向こう側。
「アンタのせいで、入れねぇじゃん」
「僕だって、この状況は予想外ですよ」
ため息ふたつ。
「まだ終わんねぇなぁ」
「早く終わりませんかね」
そうでないと、この会話を聞かされるのは。
あまりに生殺しで酷過ぎる。