ソファーに座り、手慰みに眺める。
まだ目も開かない仔猫は、触るたびにか細く鳴いた。
結論からして、この仔猫はじきに衰弱し、死に至る。
「……」
今まで他人を乗っ取り、得てきた膨大な量の知識。
その中の、猫に関するものを探してみる。
片手に収まるほど小さな猫。
同族に捨てられたか、人間に捨てられたか。
どちらにせよ――
「独り、ですね」
偶然か、探し出した知識には獣医のものが含まれていた。
気まぐれ。
あるいは暇潰し。
仔猫を持ったまま立ち上がると、ミルクを買いに行くことにした。
みぃ、みぃ、と鳴く。
濡らしたタオルで顔を拭いてやると、震えながらも瞼が持ち上がった。
朱色の右。水色の左。
「おや……」
珍しいオッドアイ。
しかし、やはりと言うべきか、朱色の目は何も映していないようだった。
水色の目だけが、しきりに指先を追いかける。
親猫はこれがわかっていて、仔猫を見捨てたのだろうか。
自然界が淘汰する、弱く、小さな存在。
そっと頭を撫でてやると、仔猫は、みぃ、と鳴いた。
みぃ、みぃ、と乞う。
綿に含ませたミルクはすぐに乾いてしまう。
「本当に食いしん坊ですね」
少しずつ、少しずつ。
ミルクは仔猫の中に吸い込まれ、やがて生きる力へと変わる。
生きるための力となる。
小さな腹が膨らむと、仔猫は小さな色違いの目を細めた。
うとうとと頭を揺らす。
手の平でそっと包むと、仔猫は、みぃ、と鳴いて目を閉じた。
ぴぃ、ぴぃ、と鳴く。
「寝る子、とはよく言ったものですね」
膝に乗せたクッションの上で眠る。
鼻でも詰まっているのかと思ったが、そうでもないらしい。
ただ眺めながら、時折その背を撫でてやる。
「猫も夢を見るんでしょうか……」
片方の瞳だけにしか映らない世界。
猫の夢に入ったことはないが、願わくは、広く果てしなく、穏やかな世界であることを――
「……僕らしくない」
呟きはそっと消えて。
仔猫は変わらず、ぴぃ、と不思議な寝息をたてていた。
みぃ、みぃ、と遊ぶ。
外で摘んできた草に、仔猫は転びつつもじゃれつく。
捕まえては小さな口で噛みつく。
「あまり噛むと千切れますよ」
言えど仔猫が聞くわけもなく。
その内に草はボロボロになってしまう。
「仕方ないですね……」
片手で仔猫を拾い上げる。
新しい草は外にしか生えていない。
前に彼が猫じゃらしと呼んでいた草。
……確か、明日には帰ってくるのだったか。
手の中の仔猫に視線を落とす。
「きっと、可愛いとか言って、喜ぶんでしょうね」
けれど仔猫は興味なさげに、みぃ、とだけ鳴いた。
仔猫はあたたかい。
仔猫は柔らかい。
食欲旺盛で。
頭を撫でてやると目を細めて。
首を撫でてやると喉を鳴らして。
好奇心旺盛で。
仔猫はよく眠る。
仔猫はあたたかい。
とても、あたたかい――
足音はゆっくりと目の前まで来て、静かになった。
顔を上げずともわかる。
日向の匂いを運んでくれるのは、彼しかいない。
けれど、視線を上げることができない。
ずっと手の中に落ちて、引き上げることができない。
「……こねこ、どうしたの?」
いつもと変わらない声音。
「先日、拾ったんです。隅にいたのを、見つけて」
気まぐれだった。
彼がいない間の暇潰し。
それが。
「よくミルクをこぼして、転んで、遊ぶのが好きで、おかしな寝息で……」
今は聞こえない。
あんなに鳴いていたのに。
あんなにいつも、鳴いていたのに。
「今朝から、動かなくて……ずっと、冷たいままなんです」
柔らかい。
けれど、あたたかくはない。
拾ったときよりも冷たく、冷たく。
「……っ、ぅ……」
こぼれた嗚咽に、やっと視線だけ上げられることを知る。
彼は声を抑えて泣いていた。
「……なぜ、君が泣くんですか」
「なん、で、お前は、泣か、ないんだよ」
「……なぜ、でしょうね」
この悲しみが理解なのか感情なのか、判断できないせいかもしれない。
確かに悲しいと思っているのに、それがアタマなのかココロなのかが、わからない。
どうすれば涙が流れるのか。
この悲しみは、どうすれば外へ出て行くのか。
不意に。
頬に、雫。
日向の匂い。
ぬくもりが優しく包む。
彼の胸に頬を寄せると、わずかに喉が震えた。
涙は出ないが、締めつけるように苦しくなった。
「……名前を、考えていたんです」
「うん」
「瞳が、朱と水色の色違いで、ガラス玉のようで、だから、」
小さな小さな世界。
透き通った天蓋。
“Cielo”
音にすると、あまりに儚い。
何度繰り返そうと、もう見ることも叶わない。
静かに、仔猫はただ静かに眠る。
包む手の平が僅かに震えるのは、まだ、どこかで、みぃ、と鳴くことを願っているからだろうか。
けれど、それは願いであって、やはり、叶わないものだから。
「墓を作るの、手伝って、もらえますか?」
「うん……」
せめて、もう震えることのないように。
きれいなタオルに包んで。
あたたかいミルクと、花の香りを。
一度も呼ぶことはできなかったけれど。
この儚い名前が君を “ そこ ” へ導きますように。
「addio」
晴れ渡る空に、願う。