すでに人もまばらなパーティ会場の隅。
カーテンの裾に隠れるようにして眠る――ボンゴレファミリー十代目ボス、沢田綱吉。
これがマフィア最強ファミリーのボスの姿だろうかと疑問を抱きながら、その肩に手を置く。
「ちょっと綱吉くん、いい加減起きなさい」
揺り起こそうとするものの、返ってくるのは「うー」とか「あー」とか、およそ人語とは思えないもの。
「綱吉くん、風邪ひきますよ」
よほどこの揺れが心地よいのか、彼は穏やかな寝息をたてるばかり。
起きる気配はどこにも見受けられない。
「……仕方ないですね」
彼を抱き上げ、立ち上がる。
相変わらず細い体躯。
少し、痩せただろうか。
「綱吉くん、寝室に運んであげますから、暴れないでくださいね」
「んー……?」
緩慢に手を動かし、確認するように鼻先を胸にこすりつけてくる。
まるで猫のような。
「むくろー……?」
目も開けずに。
声と匂いで判断でもしたのだろうか。
今度はまるで犬のようだ。
「むくろおまえ、ぱーてぃきてなかったらろぉ……」
酒のせいか、呂律が回っていない。
「……人が多いのは苦手なんです」
「れも、きょおはおれのたんじょおびなのにぃ……」
少し、鼻声に聞こえる。
彼は泣き上戸ではなかったはずだが。
「昨日の晩も、今も一緒にいるからいいでしょう」
「やーらぁー」
久々に厄介な酔い方をしているらしい。
彼は力加減も考えずに、きつくしがみついてきた。
「きょおずっといっしょがぁよかったのにぃーっ」
「あーはいはい。ほら、部屋に戻りますよ」
「むくろのへたれぇーっ」
「はいはい、そうですね」
埒があかないので横抱きから縦抱きにかかえ直し、赤子のように背を叩いてなだめる。
肩に乗る頭から聞こえていた、すんすんと泣く声は、やがて寝息へと変わっていた。
ひとまず暴れて落ちるということはないようだ。
僕は安堵に息を吐くと、彼の寝室へと足を向けた。
人が嫌いで、馴れ合うのが嫌いで。
誰かが彼に好意を向けるのが嫌で、その光景を見るのが嫌で。
見ないフリをしてやり過ごす。
「本当は今日一日閉じ込めて、僕だけのものにしてもよかったんですよ……?」
でもそれをするとパーティが台無しになって、彼が憤怒し、そして悲しんでしまうから。
僕は姿を消してやり過ごす。
彼が幸せならそれでいい。
彼さえ幸せであればそれでいい。
「我ながら歪んでますよね」
彼がヘタレと評するのも仕方ない。
そう思いつつ、彼をベッドに横たえる。
スプリングの軋む音。
「ん、ん……?」
瞼が震え、ゆるりと持ち上げられた。
瞳が光源を求め、人を探して動く。
「ここ……むくろ……?」
「寝室ですよ、今から勝手に着替えさせますからね」
「んー……」
枕に頬を寄せ、再び目を閉じてしまう。
常なら慌てて何か言い返しそうな台詞を選んだつもりなのだが。
「一体どれだけ飲んだんですか」
息を吐き、ベッドに脱ぎ散らかされたままの寝間着を引き寄せる。
ネクタイをほどき、ベルトを抜き、事務的に脱がせてゆく。
「さむ……」
「君が少しは協力的なら早く済むんですけどね」
力の入っていない人間ほど扱いにくいものはない。
シャツを着せ、ズボンを履かせ、仕上げにキスを額に落とす。
「水は、いりますか?」
「……なぃ」
「このまま寝ますか?」
「……やぁ」
うつ伏せに顔を埋めたかと思うと、伸ばした手で僕の襟元を掴み、引き寄せた。
「ちょ、綱吉く、んんっ」
慌てて口を閉じ、触れるだけのキスに留める。
目の前の赤い顔が不満をあらわにした。
「……なんれぇ」
「なぜって……」
ふわりと香る、甘い、鼻をつく匂い。
思わず、逃げるように顔をそむけてしまう。
ほとんど唯一の弱点と言ってもいいそれは――
「僕が、アルコール、一切駄目なの知っているでしょう」
「あー……」
前にボンボンで醜態を晒した記憶はまだ霞んでもいない。
深酔いした相手とキスなどすれば、結果は火を見るよりあきらかだ。
というか、この匂いだけですでに危険信号がともりつつある。
「とにかく、酔っ払いは大人しく寝てください」
「やらぁきょおはずっといっしょにいるうう」
「なっ――」
なんだこの酔っ払いの破壊力の凄まじさは。
いつもはこんな言葉、一文字も発音しないというのに、舌足らずな様子も相まって、さも襲ってくださいと言わんばかりの。
しかし、理性で、ぐっとこらえる。
「……別に置いて帰ったりはしませんよ。ちゃんと一緒にいますから」
「じゃあこっちきてぎゅってしててぇ? いっしょにねよお?」
「――っ」
ベッドに拳を突き立てようとも、この身に与えられたものほどの衝撃は返って来なかった。
「つ、綱吉くん? 酔ってますよね? 酔ってるからですよね?」
「よぉってなぁいい」
「酔ってますよぉぉ」
ついベッド脇にしゃがみ込んで訴える。
なんて厄介なんだ。
なんて厄介なんだ。
酒が入っていることを忘れて襲ってしまいそうだとか。
「……むくろぉ」
顔を上げると、涙をたたえて揺れる、大きな瞳が間近にあった。
「らめ……?」
――瞬殺。
「駄目じゃないですよえぇ駄目じゃないですよ!」
ベッドの端まで寄ってきていた彼を一度抱き上げ、半ばやけくそに押し倒す。
上着を脱ぎつつ、額や頬、首筋に口付けて。
「くちはぁ?」
「わかってますよ」
最後に、躊躇いがちに唇を寄せた瞬間、首に細い腕が回された。
「つかまえたぁっ」
「はっ!?」
がっちりホールドされたまま。
口を塞がれ、舌を絡め、熱を移される。
徐々に力が抜けてゆく身体。
「ん……」
酒気を含んだ唾液を嚥下すると、喉が熱く痛んだ。
朦朧とする思考に、さらりとしたシーツの冷たさ。
すでに彼の上でなく、真横に寝ていることに気づくまで数秒。
彼のにやけた口許を見て、ため息がこぼれた。
「……これで、満足ですか」
「んー、くふふぅ」
「楽しそうですね……」
「くふー」
力の入りにくい腕で抱き寄せ、ついばむようにキスを繰り返す。
「お誕生日、おめでとうございます」
「ありがとぉ」
彼は笑いながら、
「きょおいちばんうれしぃ」
涙を一滴だけ枕に吸い込ませた。
「綱吉くん……」
その涙の意味はわからない。
ただ、この心にある想いと共にきつく抱きしめる。
「むくろがいちばんらぁいすきぃ」
「……光栄です」
互いを満たす幸福感と、しばらくして訪れる眠りの波に身を任せ。
残り少ない今日を穏やかに過ごすため。
手は繋いだまま。
ゆっくりと目を閉じる。
何もできないけれど。
ただ君の幸せを願い。
この身を君に捧げよう。