10年前の君はとても厄介で。
あまりに素直にならないから。
「トリック・オア・トリート!」
子ども達は部屋の扉を開けるなり、楽しそうに叫んだ。
「あーはいはい」
彼は母親から渡されていた袋から、キャンディとチョコレートをひとつずつ取り出すと、それぞれの袋に入れていった。
「ありがとう、ツナ兄ぃ!」
「謝謝!」
「今から外回るのか?」
「ランボさん、いっぱいもらうんだもんね!」
「車には気をつけろよ」
わしわしと頭を撫でて送り出す。
子ども達はきゃあきゃあとはしゃぎながら、階段を下りていった。
彼いわく、今年のハロウィンは地域ぐるみで行っているらしい。
「何があれほど楽しいんでしょうかね」
小さなチョコレートを指先で転がす。
菓子などいつでも食べられるし、珍しいものをもらえるわけでもない。
お化けの格好をするというのも奇異な話だ。
「色んなお菓子がもらえて、いつもと違うのがいいんだろ」
「そういうものですか」
「そういうもんだよ」
彼はクッションに座ると、袋を返して残った中身をテーブルに広げた。
カラフルなキャンディと味の違うチョコレート。
「骸はやっぱチョコだよな」
「食べていいんですか?」
「言うこと言ったらな」
「それは……」
つい、口ごもってしまう。
何を要求されているのかはわかっている。
――トリック・オア・トリート
それはハロウィンの常套句。
「そういう決まりだろ?」
「決まりって……」
彼はくるりと包み紙を開け、チョコレートを一粒、口に入れた。
「早くしないと全部食っちゃうぞ」
「うっ……」
そこまでチョコレートが欲しいわけではないが、だからと言って黙ったままというのもしゃくである。
普段ならさらりと言えてしまえるのに、改めて、逆に要求されると、こうも言いにくいものなのか。
「骸? 何黙ってんだよ」
「別に黙ってるわけでは……」
「ほら、お前の好きなチョコだぞ」
「……今日は何ですか、気味が悪いですよ」
「いらないなら別にいいけど」
「誰もいらないとは――」
首筋を撫でられたような嫌な感覚。
本能のまま彼を腕の中に庇う。
開いたままの窓から。
「え、な、何――」
すぐそばに着弾する音。
白煙。
目眩を感じる。
白煙。
煙が晴れると、そこは――
「ん、時間ぴったり」
見たこともない場所だった。
慌てて現状を確認する。
執務室のような、洋風の部屋。
その中の机の上に座っていた。
「はい、あーん」
「え?」
正面に向き直った先で、口に何か入れられた。
「ん、んん?」
甘い。
この味はチョコレートだ。
それも駄菓子のような安い味でなく、カカオ純度の高いチョコレート。
「おいしい?」
「う、あ、はい……」
「よかった」
そう言って笑う彼は、ずいぶん大人びた姿をしているが、見間違いようもなく――沢田綱吉だった。
理解する。
これが噂に聞いていた「タイム・トリップ」とかいうものか。
「まだあるんだよ、ほら」
ひょい、とまた口に放り込まれる。
「ぅぐっ」
「今日のために特別に取り寄せてもらったんだから」
「きょ、今日のために?」
「そう。やっぱ10年前の方がかわいいなぁ」
「ちょっ」
彼は僕の頭を撫で回したあと、ぎゅうと抱きしめた。
「な、なん、な、なっ」
「あはは。かーわいー」
机でかさ上げされているため、彼より高い位置にいるはずなのだが、無理に抱き寄せられたせいで、彼の胸に顔を押し当てる形になる。
その状態で、彼はさらに僕の頭を撫で回した。
「しっぽないの、懐かしいなぁ」
「は? し、しっぽ?」
「あれはあれで好きなんだけど」
ふふ、と笑う気配。
腕の力が抜け、やっと解放されたかと思うと、間髪入れず再び口にチョコレートが入れられた。
「全部食べてけよ?」
「んぐ、ちょ、無理ですよっ」
「あと、もう少しぐらい素直になれよ?」
「は?」
口を開けた瞬間にチョコレート。
いい加減、喉に詰まりそうだ。
口の中が甘ったるくて仕方ない。
どうしてここまで食べさせられるのか。
いや、タイム・トリップが10年後の同月同日に移動するものだとしたら――
はっ、と驚きに目を向けると、彼は慈しむように、懐かしむように、あるいはイタズラを思いついた子どものように目を細めた。
「なんて言うの?」
チョコレートが溶けて、飲み込むまで時間をかけて、それから。
ほとんど呟くような声で。
「……トリック・オア……トリート」
「よくできました」
一口では食べきれないほどの、とびきり大きなチョコレートを押し込まれる。
「そろそろ時間かな」
「ひ、ひあんっへ」
「十年前に戻っても突っ張ってないで仲良くしろよ?」
「……言わえあふえも」
「うん」
成長した彼が笑い、僕の頬にわざとらしいほど音を立ててキスをした。
「ふぁっ」
霞むように白煙。
揺らめく目眩。
その中で、最後に楽しそうな声を聞く。
「ハッピーハロウィン!」
煙が晴れると同時に、周囲を確認する。
地味な室内、低いテーブル、指先にカーペットの感触。
それから、14歳の姿をした沢田綱吉。
彼は早速、泣きそうな顔でしがみついてきた。
「骸! 無事か!? ケガないか!?」
まだ口の中に大粒のチョコレートが残っているため、何度も頷くことで意思表示する。
この心配した様子は一体何事か。
視線の意味に気づいたのか、彼は鼻声ながらも説明し始めた。
「お前が庇って、バズーカが当ったと思ったら、煙が、煙の中から、10年後の骸が、骸がヒモでグルグル巻きでっ」
「はぁ?」
「イモ虫みたいで、なぁ、あっちで誘拐とか事件に巻き込まれなかったか!?」
「別に何も……」
紐で縛られていた? 誰がそんなことを?
そんなの、深く考えるまでもなく思い当たった。
10年後にタイム・トリップをして、会ったのは一人だけ。
ならば、簡単な推理と推測で犯人は割り出せる。
そう、犯人は――
「どうやら10年で、君はずいぶん逞しくなるようですね」
「え、え?」
意図はわからないが、おそらくは10年後の僕が好き勝手しないようにとか、そんな理由だろう。
「酷い話ですよ本当に」
「何の話だよ」
「10年後の君に会いましたよ」
「マジで!? どんなだった!?」
ちら、と見遣り、ため息。
「遺伝子というのは残酷なものですね」
「な、なんだよそれ」
雰囲気としてはかなり大人びていたが、よくよく思い出してみると、外見的にはまったく成長していなかった。
まるで彼の母親か、あるいは――
「あぁ、本当に酷い話ですね」
「何なんだよもぉ!」
怒ったところで怖くもなく。
さらに何か、からかってやろうとして、ふと、10年後の彼に言われた言葉が脳裏をよぎった。
――突っ張ってないで、仲良く。
「……わかってますよ」
少しぐらい。
できないことはない。
「綱吉くん」
「な、なんだよ」
テーブルの上に散らかったままのチョコレートをひとつ取り、中身を彼の口の中に押し込む。
そして、それを奪うように――
「トリック・オア・トリート?」
素直になれないのはお互い様で。
10年後の君だって十分に厄介じゃないですか。