――カミサマ。
どこにいるかも知らないけれど。
聞こえているなら。
「明けましておめでとうございます、ボンゴレ」
軽く片手を挙げて挨拶をすると、彼は眠そうに擦っていた目を、眼球が落ちるかと思うほど大きく見開いた。
震える指が、僕をさす。
「骸、おま、お、お前、な、なん、なっ」
「こらツっくん! 人を指差しちゃいけません!」
文法も成していない彼の言葉は、母親によって遮られた。
「え、でも、え、ちょ、えぇ?」
「一緒に初詣行く約束しましたよね。まさか忘れたんですか?」
向こうから一方的に決められた話だったが。
彼も僕が承諾するとは思っていなかったのだろう、面白いぐらい表情を変化させた。
「ちょ、少しだけ、待ってろ!」
バタバタと忙しない足音を残して、彼は部屋を出て行った。
それと入れ替わりに、目の前に湯飲みが置かれる。
「すみません、お構いなく」
「いいのよぉ、おばさん、好きでやってることだから」
笑いながら、彼女は向かいの椅子に腰掛けた。
彼によく似た双眸が、じっとこちらを見つめてくる。
正直、居心地が悪い。
「あの」
「六道くん、だっけ」
「は、はい」
「あの子、いつも迷惑ばかりかけてるでしょ」
困ったような、けれど慈しみにあふれた笑顔。
母親の。
「……いえ、むしろ、僕が」
「母さん! 俺のサイフ知らない!?」
「どうせまた洗濯物の上でしょー」
慌てた足音が廊下を過ぎる。
しばらくして、再び階段を昇っていった。
「お友達とも、いつもあんな調子かと思うと……」
ため息。
普段の彼を見ていれば、仕方ないことだろう。
弱気で、間抜けで、頼りない。
けれど、それが本当の姿だとしても。
「……いざという時は、頼れる存在なんですよ、綱吉くんは」
「そうかしらぁ」
「僕は、綱吉くんのおかげで、こうしてここにいられますし」
何もなかった世界から引き出してくれた。
居場所を。
存在する意味を。
感情を。
僕にたくさんのものを与えてくれた。
「母さん! マフラー知らない!?」
「ソファーの上に置きっぱなしよー」
足音が降りてきて、ソファーの所で止まる。
「あった!」
「用意できたの?」
「ん、できた」
彼女は立ち上がると、綱吉くんのマフラーの形を整えた。
「寒くない?」
「平気」
何の変哲もない、親子の会話。
今さら羨ましいという感情もわいてこないが。
彼の日常を眺めていると、何とも名づけにくい感情が浮かぶことがある。
憧れ。
おそらくはそれと似たものだろう。
「ごめん、骸、待たせた」
「いえ」
「じゃあ、行こっか」
「はい」
僕は立ち上がり、
「ご馳走様でした」
小さく頭を下げてから、綱吉くんを追いかけるように玄関へ向かった。
「行ってきまーす」
「お邪魔しました」
扉を開ける音と外の冷気。
「あ、ちょっと待って」
手を引かれ振り向くと、丁寧に上着の襟を直された。
驚いている間に、今度は小さなカイロを渡される。
「これは」
「今日は寒いでしょう?」
まったく屈託のない笑顔。
すでに温かくなっているそれを握ると、指先にじわりとしみた。
「……ありがとうございます」
「気をつけて、行ってらっしゃい」
最後に優しく頭を撫でられる。
彼女は笑顔で手を振り、扉を閉めた。
雪が降りそうな空の下を並んで歩く。
「母さんと何の話してたの?」
「特に何でもない話ですよ」
「本当に?」
「おや、気になりますか?」
「べ、別にっ」
そう言ってそむけた顔には、わかりやすすぎるぐらいはっきりと「聞きたい」と書かれていた。
笑ってしまうのをこらえ、僕は彼の耳元に口を寄せて答えた。
「綱吉くんの、話をしてました」
「は、え、なんでっ?」
「いつまでも世話の焼ける子どもだと相談されましたよ」
「ちょ、なんで骸なんかに」
「いつも迷惑かけてないかとか心配もされました」
「ま、マジでぇえ?」
遠くに神社へ続く階段が見える。
露店や人々の賑わいも、聞こえてきた。
「家でいつもあの調子なら、心配かけるのも無理ないですね」
「な、別に、いつもあんなわけじゃ」
「違うんですか?」
「うっ」
むぅと口を閉じて黙ってしまう。
言い訳もできない、素直すぎる反応に、とうとう笑いがこぼれてしまう。
「クハ、それでもマフィアのボスですか」
「み、認めてないし! ボスじゃないし!」
「それにしたって、クハ、正直な顔ですね」
柔らかい頬を指先でつまむ。
「ううひゃい!」
振り上げられた手に弾かれるかと思ったら、ぎゅっと指を握られた。
そのまま引き寄せ、手袋に挟まれる。
「世話が焼けるのは、お前の方だろ」
「冷たいですか?」
「少し。ちゃんとカイロ持ってるか?」
「こっちの手に」
上着のポケットに入れていた手と一緒に、カイロも引き出してみせる。
しばらく両手共に包まれ、温められる。
冷たさも痛みも感じないのに、ごく自然に心配してくる。
以前の僕なら、鬱陶しい同情だと、はねのけていただろう。
今だからこそ、こうして――
「よし、行くぞ」
「はい」
片手はカイロと一緒にポケットの中。
もう片方は手袋と繋いで。
自然、緩みそうになる頬を冷気に当てて、階段を昇る。
――カミサマ。
どこにいるかも知れないカミサマ。
もし聞こえているなら、聞き届けてほしい。
「何お願いした?」
「世界征服、ですかね」
「おま、まだあきらめてなかったのかよ!」
「クフフ」
どうか。
彼を包む「優しさ」が永遠に続きますように。
どうか。
彼が何も失わずに済む世界でありますように。
「――まぁ、結局は自分で叶えますけどね」
「ホントにその自信はどっから出てくんだよ」
「それはもちろん」
人混みに紛れ、こっそり唇を掠め取る。
離れると、寒さで赤い顔をさらに真っ赤に染めて。
「こ、の、変態!」
「クハハっ」
新しい年がどうか、彼にとって幸せな一年でありますように。