54 | Re: sweet box





『 Re: sweet box 』





 ふわふわと柔らかい。
 包み込むような温かさにまどろみつつ目を開けると、閉じたときより随分と視点が低く、世界が横に倒れていた。
 いや、倒れているのは自分か。
 ソファーで読書していたのは覚えているが、いつの間に寝ていたのだろう。
 狭い場所で眠っていたせいで、体が痛い。
 身をよじって体の向きを変えようとしたとき、
「わっ、あ、起きたっ?」
 間近から聞き慣れた声が降ってきた。
「えっ?」
 こちらを覗き込むように向けられた、色素の薄い瞳。
 思わず動きが止まる。
 そういえば、まるで枕を敷いたように、頭が一段高いのはなぜだろう。
 その枕が、まるで人肌のように温かいのはなぜだろう。
 なぜ、僕は彼を至近距離から「見上げる」ことができるのか。
 思い当たる答えはひとつ。
 理解すると同時に思考に混乱が襲い掛かる。
「な、どうして、え、綱吉くんっ?」
「ぅわ、ちょ、危ないっ」
「わっ」
 現状やバランスを考えずに起き上がろうとしたせいで、うっかりソファーから手を滑らせてしまう。
 しかし、間一髪というか、彼に抱き寄せられたおかげで落ちることはなかった。
「だ、大丈夫?」
「あ、はい、えっと……」
 なぜ僕は君の膝枕で寝ていたんですか。
 そう問おうとして、彼の顔がすでに真っ赤であることに気づく。
 これは、どちらを先に訊いた方がいいのだろう。
 いや、質問するよりも前に離してくださいと言った方がいいのだろうか。
 さてどうしたものか。
 ここはやはり、もったいなくもあるが、先に離してもらおう。
「あの、綱吉くん」
「うわっはいっ!」
 面白い返事だ。
 思わず笑いそうになりながら、至極冷静を装って微笑んで見せる。
「抱きしめてもらえるのは嬉しいのですが、少々苦しいので離していただけますか?」
「ひぅわぁっ! ごめんっ!」
 彼はまるで万歳するように、勢いよく両手を上に挙げた。
 離すだけでよかったのだけれど。
「ありがとうございます」
 僕はなんとか笑いをこらえつつ、今度は滑り落ちないように、しっかりと手元を確かめてから起き上がった。
 適度な距離も取れたことだし、気を落ち着かせるためにも改めて現状を分析する。
 ここは黒曜ランドの廃墟、アジトの中だ。
 おそらく、僕が眠っている間に彼が訪れたのだろう。
 彼のことだ、起きるまで待つつもりで隣に座ったのだろう。
 ということは。
 僕は片手で頭を押さえて、短く唸った。
 つまり眠ったままバランスを崩し、彼の膝元に倒れたわけか。
「……あの」
「あのさっ」
 声が重なる。
「すみま」
「ごめっ」
「……」
「……」
 何だろう、この途方もなく気まずい空気は。
 いや、気まずくなるのも理解できる。
 原因が自分にあるのも、十分に理解している。
 それにしても、彼がずっと赤面しているのは、なぜなのか。
 これでは、こちらまで赤くなってしまいそうだ。
「……あ、のさ、」
「なん、でしょう」
 まるで初対面のようなぎこちなさ。
 それは向こうも同じのようで、彼は意識的に声を大きくして言った。
「この前はっ、チョコ、ありがとうっ」
「あ、あぁ、おいしかったですか?」
「うん、骸が選ぶだけあって、すげぇうまかったっ」
「それはよかったです」
「うんっ」
 会話終了とともに、再び沈黙が訪れる。
 どうにも話が弾まない。
 常なら一方的に話しかけて困らせるわけだが。
 隣から伝わってくる空気が、それを許さないように感じられて。
 結果、口を閉じたまま時間が過ぎる。
 そういえば、そもそも彼は何をしに来たのだろう。
 理由もなくこんな、自宅から遠く離れた場所まで来るとは思えない。
 特に今日は何の約束もしていなかったはず。
 来てほしいと言わない限り来ようとしない彼が、なぜ。
 ふと、右袖が引っ張られた。
 呼ばれたのかと思ったが、引かれただけで何もない。
 何もないが、代わりに袖からわずかに震えているのが伝わってきた。
 これはまさか、風邪でもひいているのだろうか。
 顔も赤いし、もしかすると熱があるのかもしれない。
 ここには暖房器具など存在しないから、悪化させると大変だ。
「あの」
「あのなっ」
 再び声が重なってしまう。
 どうして今日はこんなにもタイミングが悪いのか。
 僕は悟られないようにため息をつき、先を譲ることにした。
「……すみません、先にどうぞ」
「あ、うん、ごめん、あのっ」
 視線が天井や床をさまよう。
 いざ視線が合うと、口が開いたまま停止する。
 再び視線がさまよい始める。
「えっと、あぅ、うぅ……」
 それを何度か繰り返した末。
「あのなっ」
 とうとう意を決したのか、彼は唐突に立ち上がった。
 その手には小さな袋。
 おそらく反対側の手に隠し持っていたのだろう。
「これ、あの、マシュマロ!」
「はぁ」
「ちゃんと、デパートの地下で、買ってきた!」
「はぁ」
「チョコ入りで、おいしいって!」
「はぁ」
 これは、もらえるということだろうか。
 僕の疑問を悟ったのだろう、彼は慌てて小さな袋を僕の胸に押しつけた。
「おおおおお返し!」
「何の?」
「ば、バレンタイン、のっ」
「…………あ、」
 言われて初めて、今日が何の日か思い出す。
 時計もカレンダーもない空間では、つい日付を忘れてしまいがちだが。
 そうか、今日は――
「ホワイトデー、でしたね」
「そ、そうだよ!」
「クフ、返事だけで良かったですのに」
「へ?」
 小さな袋を受け取りつつ、いまだ震える手を引いて、胸に抱き寄せる。
「ひっ、わっ、何すっ」
「バレンタインの時、言いましたよね」
「な、何を」
 腕の中にすっぽり収まる小さな体。
 相変わらず、折れてしまいそうなほど細い。
 耳元に口を寄せ、一か月前のセリフをもう一度囁く。
「君のことが、大好き、だと」
「ひぇっ」
「まだ返事をいただいてないんですよね」
「へ、へんじっ?」
「一応告白したつもりだったんですけど」
「こ、こくはくっ」
「えぇ。だから、せめてイエスかノーかだけでも、返事していただけます?」
「へ、へんじっ」
 囁きかけた耳を両手で押さえて。
 泣きそうな目、垂れ下った眉、首まで真っ赤に染めて。
 一生懸命、震える唇で、音を紡ごうとする。
 その姿の可愛らしさといったら。
「クハっ」
 とうとう我慢できずに、笑い出してしまう。
 堰切ったあとは早く。
「クフフ、クハ、クハハハっ」
「ちょ、おま、なんで笑っ」
「クハハハハっ」
「わ、わ、笑うなぁっ!」
 振り下ろされた手を捕まえ、ぎゅうと抱きしめる。
 愛しい。
 胸一杯に満ちる感情を、衝動を押さえつけて。
 ただ、優しく抱きしめて、囁く。
「綱吉くん、大好きです」
「うっ」
「教えてください。僕のこと、好きですか?」
「はぅっ」
 僕の腕の中で震えながら。
 僕のシャツを強く握りしめて。
 それから、僕の肩口に熱い額を押しつけて。
 消え入りそうな声で。
「――す、き……」
 少しだけ、抱きしめる腕に力を込めて。
 ただ浮かぶ言葉を口にする。
「嬉しいです」
 慣れないほど純粋な感情に、少し戸惑いながら。
 それは彼も同じようで。
 伸ばした両手であやすように、僕の背を叩いた。
 言葉はない。
 けれど、伝わるものがある。
 熱。鼓動。
 好きという気持ち。
 触れ合った場所から感じる、充足感。


 時間を忘れるほど長く、もしかすると一瞬かもしれない時間の後、僕は腕を解いた。
 彼はびくりと肩を震わせてから、おそるおそるといった感じで上体を離した。
 まだ赤い顔をしているが、先ほどに比べればマシである。
 プレゼントを渡すだけで、あるいは言葉だけで赤くなるようでは、先が思いやられるけれど。
 今はまだ、これだけで十分。
「……ありがとうございます」
 十分だから。
 僕はキスしたいのを我慢して、立ち上がった。
「せっかくお菓子をいただいたことですし、お茶でも淹れましょうか」
「あ、俺も手伝うよっ」
 パタパタと足音がついてくる。
「お湯使いますけど、火傷しませんか?」
「そこまでドジじゃないし!」
 並んで歩きながら。
 なんとなく、どちらからでもなく、手を繋ぐ。
 それに気づいて、お互いに驚いたように顔を見合って。
 ほぼ同時に口元が歪んで――
「あは、」
「クハハ」

 ゆっくりでいい。
 同じ歩幅で、同じペースで。
 一緒に歩けるなら、それでいい。
 でも、欲を言えば。

「早く食べたいですね」
「うん?」
「クフフ」


 いつか訪れる時を待ちわびながら。
 今は手を離さないようにだけ。






× × ×

恥ずかしいね!
おかしいなぁエロネタやるつもりだったのに。