55 | float choco siger





『 float choco siger 』





 ふわり、紫煙が薫る。
 甘くて苦い、どこか知っているような。
 振り返ると、やはりいつものとは違う色のタバコだった。
「それ、いつものと違うね」
「あ、はい! さすが十代目!」
「えぇっと」
 その「さすが」はリアクションに困るんだけど。
 俺は苦笑しながら、さらに問うた。
「外国の?」
「はい、JOKERっていうんス」
「へぇ」
 何の匂いだろう。
 知ってるはずの、焦げた匂い。
「……あ」
 俺は、とある人物を思い出しつつ、獄寺くんに頼んでみた。
「あのさ、そのタバコ、一本もらってもいい?」



「で、突然この僕を呼びつけた理由は何ですか」
 扉を開けて早速、骸は不機嫌な顔をした。
「理由なしに呼んじゃダメなのかよ」
「君のベッドなら喜んで行きますけどね」
「ばっ」
「マフィアとは関わりたくないんです」
 ため息をつきながら扉を閉め、部屋を横切って執務机の上に腰を下ろす。
 そこにソファーがあるのに。
「それで? 何か用ですか?」
 相変わらず自由な上に偉そうだ。
 この十年で慣れたけど。
 俺は特に突っ込むこともなく、引き出しから先ほどもらったものを取り出した。
「珍しいもの、もらってさ」
「おや、タバコですか」
「うん。これさ、えっと」
 借りてきた灰皿の上で、茶色いタバコをライターの火にかざす。
 薄い紙が焦げて。
 火が――
「あれ? つかない?」
「何してるんですか」
「このタバコ、火がつかない」
「それは、そうでしょう」
「え、なんで?」
 骸は呆れた様子で、俺からタバコを取り上げると、フィルターの方を口にくわえた。
「火、借りますよ」
「え、え?」
 うろたえている間にライターも奪われる。
 見たことのある動作。
 ジジ、と焦げる音。
 しばらくしてタバコを口から離すと、吐息に白い煙が混ざっていた。
 甘い、薫り。
「ただ火にかざすだけではつきませんよ」
 なんだろう、コレ。
 ずっと前に山本が変なこと言ってたけど、アレ、別に、変なことじゃないや。
 そっか、こういうことを言ってたのか。
「息を吸いながらでないと」
 コレはヤバい。
 色っぽいっていうか、艶っぽいっていうか。
 動きのひとつひとつが際立つ感じ。
「それで、このタバコがどうかしたんですか?」
 火をつけるときに少し伏し目がちになるのも。
 淡く照らされるのも。
 タバコをくわえ、薄く開いた唇も。
 指先ひとつとっても。
 目が、離せない。
「綱吉くん?」
 触れたくなるっていうもの、うん、すごくわかった。
 それに、この甘い匂いがやたら思考を乱して――
「綱吉くん、聞いてます?」
「ぅえっ!?」
「……聞いてますか?」
「う、うん! 大丈夫!」
「何が大丈夫なんですか……」
 ついたため息に紫煙が混じる。
 妖艶な。
 気を抜けば見とれてしまう光景を前に、俺は何とか思考を会話に向けた。
「骸、お前、タバコ吸えるんだなっ」
「好んでは吸いませんけどね」
 再び口にくわえ、顔をそむけて煙を吐き出す。
 非喫煙者の俺に気を遣ってるんだとわかる仕草。
 性格とかはさておき、一応イタリア紳士なんだよなコイツ。
「それで? このタバコがどうかしたんですか?」
「あ、そうだ、それさ、匂いが」
「チョコレートですね」
 骸は巻いてある紙を確かめてから、タバコを灰皿の上に置いた。
「PEACE、いや、JOKERですか?」
「え、知ってんの?」
「一応チョコレートですからね」
「……ホント好きなんだな」
 その情熱には呆れるの通り越して、尊敬の念すら覚えるよ。
 ていうか、むしろ、羨ましいとさえ感じる。
 チョコレートってだけで、無条件に好かれるなんてさ。
 俺だって。
「綱吉くん」
「なん――」
 舌先に知らない苦み。
 鼻に抜けるのは知ってる薫り。
 狭い視界に色違いの景色。
 乱れた吐息で、笑う。
「やはり口直しするなら、こっちですね」
 ついさっきまでタバコを挟んでいた指先が、俺の、濡れた唇に触れる。
 触れた場所から痺れて。
 めまい。
「おや?」
 俺はばったりと執務机にうつ伏せた。
「あああぁぁもおおぉぉっ」
 色んな衝動がどうしようもなく、何度も机を叩く。
「はーんーそーくーっ!」
「おやおや」
「エーローいぃーっ!」
「クハっ」
 この、俺のいっぱいいっぱいのリアクションがよほどおかしいのか、骸は腹を抱えて笑い出した。
 なにこれすっごいムカつく。
 人がこんなにも感情の処理に困ってるっていうのに。
 それを笑うか。
 俺は目の前に垂れ下がる尻尾を思い切り引っ張ってやった。
「いたっ、痛いですよ綱吉くんっ」
「お前が悪い!」
「どうしてですかっ」
「もうタバコ吸うの禁止! チョコも禁止!」
「ちょ、後半のは聞き捨てなりません!」
「だってヤだもん! エロいのも、俺より好きなのも!」
「おや、ヤキモチですか」
「ち、違っ……わ、なくは、ない、けど……」
「クフフ」
 耳元にキスが落ちる。
「心配せずとも、チョコレートと比べるまでもなく、綱吉くんが一番好きですよ」
「……本当かよ」
 こめかみ、頬、唇の端、ついばむように繰り返して、最後に絡ませる。
 まだ少し苦みを感じる。
 薫りだけは、こんなにも甘いのに。
「……なぁ、骸さ、他の人の前で、もうタバコ吸うなよ」
「珍しいことを言いますね。どうしたんですか?」
「……や、ヤキモチ……だよ……」
 言いながら自分でも恥ずかしくなる。
 でも、やっぱり、他の誰かが骸に見とれるとか、考えたくもない。
 誰にも好きになってほしくない。
 この苦みも、甘さも、自分だけのものであってほしい。
「なるほど」
 骸は軽く頷くと、まるでヨーロッパの騎士のように、俺の手の甲にキスをした。
「えぇ、すべては君の望むままに」
「は、恥ずかしいっ!」
「今のはときめくところですよ」
「いやいやいや鳥肌立ったし!」
「失礼なっ」
「ていうかいちいちキザなんだよ恥ずかしい!」
「恥ずかしいって何ですかっ」
「そのまんまの意味だよ変態!」
 キスされた手をもう片方の手で握りしめ、そっぽ向く。
 だって、そうでもしなきゃ。
 チラ、と灰皿に視線を落とすと、タバコは灰と薫りだけを残して、火を消していた。
 もう消えてしまったのに。
 熱くて。
 どうしようもなくて。
 ため息。
「ホント、恥ずかしい……」
 こんなにも骸にメロメロな自分が。
「こっち向きなさい綱吉くんっ」
「無理!!」


 火をつけられたのは、どうやらタバコだけじゃなかったらしい。






× × ×

ちゅっちゅしすぎですよ君たちは。