56 | I love you





『 I love you 』





 大好き。
 早く逢いたい。
 抱きしめたい。



 複雑な基地の中を歩き回る。
 巡る内に建物の構造は理解したが、いまだ辿り着けない。
「骸さま?」
 背後からの声に振り向くと、クロームが心配そうな顔で立っていた。
 こうして、夢や幻覚でなく実体で彼女と会うのは、今日が初めてだった。
 そのことを思い出しながら、僕は笑って、彼女の小さな頭に手を置いた。
「何か、用事ですか?」
「ボスを、探してるの?」
「――……」
 笑みに苦みが混ざる。
 長らく感覚を共有していたせいで、彼女には今の僕の焦りも感じられているのだろう。
「ボス、見つからないの?」
「……えぇ」
 そう、目標に辿り着けないのは、単に建物が入り組んでいるからではない。
 目標が常に、動いているからだ。
 それも、まるで僕の行動を先読んでいるような――
 はたと思い当たる。
「超直感、ですか」
 接近を察知し、居場所を変えて回っているのか。
 これは厄介だ。
 いくら憑依や幻覚で姿を変えようとも、彼にはすべて悟られてしまう。
 さらに厄介なことに、彼はこの迷路の抜け道も完全に把握している。
 どうしたものかと、ため息をついたとき、控えめに袖を引かれた。
 見ると、クロームが赤い頬をさらに赤らめていた。
「あの、あのね、ボスいつも言ってたの……」
 躊躇いつつも、はっきりとした声音で。
「早く、骸さまに会いたいって、だから……」
 逃げているわけではない。
 避けているわけでもない。
 そうだ。
 十年もあれば、彼の思考など容易に読める。
「えぇ、わかっていますよ」
 幼子にするように、優しく頭を撫でてやると、安堵するように息をこぼした。
 彼の庇護もあり、優しい子に育ってくれたものだ。
 彼女と話すことはたくさんある。
 けれど、今優先すべきは、鬼ごっこを終わらせること。
「そろそろ本気を出しますか」
 イメージするのは三叉の槍。
 追いつけないのであれば、追い込めばいい。



 駆ける。
 感情が早足に駆ける。
 今すぐにでも。
 破裂しそう。



 地下の基地を抜け、森の中。
 三叉槍で地面を突くと同時に、蓮が枝葉の伸ばし花開く。
「ちょ、危なっ」
 彼は捕まえようとする蔦から器用に逃れ、走り続けていた。
 さすがボンゴレの血を引く者だと感嘆したくなるが、これも計算の内である。
 視界に黒い影。
 あと少し。
 僕は右目に触れると、一気に距離を詰めた。
「ばっ、それ反則っ――」
 避ける隙も与えず突き出した槍は、計算通り彼の――はるか上を、通り過ぎた。
「……へ?」
 彼自身、なぜ避けられたのか理解できていないのだろう、背中から倒れ込んだ箱の中から、呆けた顔で見上げてきた。
 そんな彼を鮮やかに映えさせる、白い花。
 花々は漆黒の箱に縁取られ、鮮烈なイメージを残そうとする。
 モノトーンの。
 喪失。
 それを払拭するためにも。
「……捕まえました」
 僕は霧散した三叉槍の代わりに、そっと彼の手首を掴み、ゆっくりと力を込めた。
 柔らかさ。
 体温。
 脈動。
 生の実感。
「――ゃ」
 震えた短い声。
 しまった、怖がらせた。
 慌てて手を離そうとした瞬間。
「やぁあっ!」
「わっ」
 拒絶の言葉とは裏腹に、逆に手首を取られて。
 バランスを崩してしまう。
 そう認識する頃にはすでに、彼の上に覆い被さっていた。



 この感情は止められない。
 好きだから。
 大好きだから。
 もう離したくないから。



「うーっ、ううぅ」
 細い両腕を背中に回し、顔を胸に埋め、おかしなうめき声を上げる。
 力の込め方が半端でなく、正直、呼吸が苦しい。
 一体何がどうしたというのか。
「あの、ボンゴレ?」
 腕ごと抱きしめられているせいで、起き上がることも、彼を引き剥がすこともできない。
 こうして触れ合えるのは嬉しいが、そろそろ鯖折りとかいう状態になってもおかしくない。
「あの、沢田綱よ」
「うぁあぁっ」
「ぐっ」
 今、みしりと、嫌な音がした。
 しかし、同時に、確信する。
 これは、逃走劇も含め、強烈な――照れ隠し、だ。
「うぅ、むくろ、むくろぉ」
 まるで猫のように、僕の胸に顔を擦りつける。
「ほんもの? なぁ、ちゃんと、じったい?」
「……えぇ、こうして触れ合うのも十年振りですね」
「ほんとうに? うそじゃない?」
「えぇ、ほら、体温があるでしょう?」
「う、うーっ、ううぅ」
 うめき声に鼻をすする音が混じり、やがて嗚咽に変化する。
「むく、むくろぉ、むくろぉ」
「ここにいますよ」
「ぁい、あいたかっ、たぁ」
「僕もずっと逢いたかったです」
「ぎゅってぇ、した、したくてぇ」
「えぇ、もう離さないでくださいね」
「うぇえっ、うああっ」
 まるで保護者を見つけた迷子のようだ。
 そう思いながら、意味を成さない声に、ただ優しい言葉を返し続ける。
「綱吉くん、ねぇ、綱吉くん」
「ぅええっ」
「やっと逢えたのに、ほら、顔を見せてください」
「やぅ、やぁあっ」
「これだと、僕が綱吉くんを抱きしめられません」
「ひぅ、あぅう……」
 彼は躊躇いながらも、おそるおそる、力を緩めた。
 その一瞬。
 僕は彼を抱き上げると、
「ぅあっ」
 今度は自分が下になるように、棺の中に倒れ込んだ。
 白い花が舞う。



 逢えないだけで膨らんだ。
 駆け足の感情。
 欲する心。
 早く――



 狭い視界で、彼と空しか見えない。
 涙に濡れた頬に手を添え、温もりを確かめる。
「……なぜ、僕には話してくれなかったんですか」
 理性が吹き飛んだ、あの瞬間を思い出す。
 果てしない虚無と、猛火のごとき殺意。
「本当に、信じかけたんですよ」
 アルコバレーノの少女と同じように、彼もまた自分を犠牲にすることを躊躇わないだろう。
 仲間のために。
 世界のために。
 十年経とうが変わらない。
 だから、最悪の結末を、一瞬でも信じかけた。
「……だって、巻き込んだら、お前、水牢の中で動けないのに、」
 泣きすぎたせいで掠れた声。
 その声が紡ごうとする、残酷な言葉を、
「もし、狙われたら、助けられな」
 強引に唇を重ねることで奪い取る。
 指先とは違い、舌先の温度は同じくらいで、熱いとも冷たいとも感じられない。
 ただ、喉を伝い落ちた唾液だけは、ひとく熱く、焼けるようだった。
「……僕は、助けを求めるだけのお姫様なんかじゃ、ないんですよ」
 むしろ、わざと自分を狙うように仕向けていた。
 襲撃の混乱に乗じて脱獄できれば。
 あるいは敵の目を少しでも自分に向けられることができれば。
 その間だけでも、守ることができる。
「僕は、君の、守護者なんです」
 キスなどでは到底満たされず、小さな身体を腕の中に閉じ込める。
「守らせて、ください……」
 役目など関係ない。
 ただ、自分のものだと主張して。
 傷つかないように。
 遠くへ行かないように。
 きつく抱きしめる。
 しばらくそうしていると、消え入りそうな声で、彼は言った。
「……ごめん」
 そして、背中に回した手に、そっと力を込めた。



 やっと逢えた。
 やっと捕まえた。
 やっと言える。
 直接、言える。



 棺から這い出て、服に付いた花弁を払う頃には、空は赤く染まり始めていた。
 帰り道に紡ぐのは、他愛のない話。
「背、追い越してやるつもりだったのに」
「クフフ、残念でしたね」
「髪、伸びたな」
「えぇ。君は相変わらずライオンみたいですね」
「うるさい」
「見違えようがなくて、僕は好きですよ」
「……骸、今の方が女顔だよな」
「童顔には負けます」
「色白すぎて不健康そう」
「元から日焼けしない体質なんです」
 そんな会話の途中、彼は少し黙ってから、はにかむような笑い声をこぼした。
「どうしたんです?」
「ん、いや、なんか、あんまり、十年振りって感じしないな、と、思って」
「クロームを通して、度々逢ってましたからね」
「でも、うん、この感覚は、十年振りだからかも」
「どんな感覚です?」
 屈託なく、無邪気に。
 微笑んだまま涙を浮かべて。

「好きすぎて、死にそう」

 一瞬にして思考回路が焼き切れそうになる。
 こんな台詞、一度だって言ってもらったことがない。
 それ故に、理性の破壊力は凄まじく。
 僕は片手で頭を抱え、なんとか衝動を抑えつけた。
「骸?」
 彼は不思議そうな顔で、こちらを見上げていた。
 今、自分が何をしでかしたか理解していないのだろう。
 本当に、そんな可愛い顔して。
 襲われても文句言えませんよ。
 そんな言葉をすべて飲み込んで、前髪越しに、額にキスを落とすだけに留める。
 ここで至ってもいいが、これ以上彼を泣かすのは心苦しいし。
 何よりまだ完全に体力が戻ったわけではないのだ。
 僕は微笑んで、手を引いた。
「早く、戻りましょう」
 彼は納得のいかない顔をしていたが、すぐに笑って頷いた。
「そうだな。暗くなる前に」
 二人、並んで歩く。
 手は繋いだまま。
 互いに導くように。



 戻るべき場所へ。
 一緒にいられる、場所へ。






× × ×

こんな綱吉かわいすぎるわハァハァ。
ということで、
多少、尻切れトンボ感が否めませんが。
これにて未来編終了!

お幸せに!