大好き。
早く逢いたい。
抱きしめたい。
複雑な基地の中を歩き回る。
巡る内に建物の構造は理解したが、いまだ辿り着けない。
「骸さま?」
背後からの声に振り向くと、クロームが心配そうな顔で立っていた。
こうして、夢や幻覚でなく実体で彼女と会うのは、今日が初めてだった。
そのことを思い出しながら、僕は笑って、彼女の小さな頭に手を置いた。
「何か、用事ですか?」
「ボスを、探してるの?」
「――……」
笑みに苦みが混ざる。
長らく感覚を共有していたせいで、彼女には今の僕の焦りも感じられているのだろう。
「ボス、見つからないの?」
「……えぇ」
そう、目標に辿り着けないのは、単に建物が入り組んでいるからではない。
目標が常に、動いているからだ。
それも、まるで僕の行動を先読んでいるような――
はたと思い当たる。
「超直感、ですか」
接近を察知し、居場所を変えて回っているのか。
これは厄介だ。
いくら憑依や幻覚で姿を変えようとも、彼にはすべて悟られてしまう。
さらに厄介なことに、彼はこの迷路の抜け道も完全に把握している。
どうしたものかと、ため息をついたとき、控えめに袖を引かれた。
見ると、クロームが赤い頬をさらに赤らめていた。
「あの、あのね、ボスいつも言ってたの……」
躊躇いつつも、はっきりとした声音で。
「早く、骸さまに会いたいって、だから……」
逃げているわけではない。
避けているわけでもない。
そうだ。
十年もあれば、彼の思考など容易に読める。
「えぇ、わかっていますよ」
幼子にするように、優しく頭を撫でてやると、安堵するように息をこぼした。
彼の庇護もあり、優しい子に育ってくれたものだ。
彼女と話すことはたくさんある。
けれど、今優先すべきは、鬼ごっこを終わらせること。
「そろそろ本気を出しますか」
イメージするのは三叉の槍。
追いつけないのであれば、追い込めばいい。
駆ける。
感情が早足に駆ける。
今すぐにでも。
破裂しそう。
地下の基地を抜け、森の中。
三叉槍で地面を突くと同時に、蓮が枝葉の伸ばし花開く。
「ちょ、危なっ」
彼は捕まえようとする蔦から器用に逃れ、走り続けていた。
さすがボンゴレの血を引く者だと感嘆したくなるが、これも計算の内である。
視界に黒い影。
あと少し。
僕は右目に触れると、一気に距離を詰めた。
「ばっ、それ反則っ――」
避ける隙も与えず突き出した槍は、計算通り彼の――はるか上を、通り過ぎた。
「……へ?」
彼自身、なぜ避けられたのか理解できていないのだろう、背中から倒れ込んだ箱の中から、呆けた顔で見上げてきた。
そんな彼を鮮やかに映えさせる、白い花。
花々は漆黒の箱に縁取られ、鮮烈なイメージを残そうとする。
モノトーンの。
喪失。
それを払拭するためにも。
「……捕まえました」
僕は霧散した三叉槍の代わりに、そっと彼の手首を掴み、ゆっくりと力を込めた。
柔らかさ。
体温。
脈動。
生の実感。
「――ゃ」
震えた短い声。
しまった、怖がらせた。
慌てて手を離そうとした瞬間。
「やぁあっ!」
「わっ」
拒絶の言葉とは裏腹に、逆に手首を取られて。
バランスを崩してしまう。
そう認識する頃にはすでに、彼の上に覆い被さっていた。
この感情は止められない。
好きだから。
大好きだから。
もう離したくないから。
「うーっ、ううぅ」
細い両腕を背中に回し、顔を胸に埋め、おかしなうめき声を上げる。
力の込め方が半端でなく、正直、呼吸が苦しい。
一体何がどうしたというのか。
「あの、ボンゴレ?」
腕ごと抱きしめられているせいで、起き上がることも、彼を引き剥がすこともできない。
こうして触れ合えるのは嬉しいが、そろそろ鯖折りとかいう状態になってもおかしくない。
「あの、沢田綱よ」
「うぁあぁっ」
「ぐっ」
今、みしりと、嫌な音がした。
しかし、同時に、確信する。
これは、逃走劇も含め、強烈な――照れ隠し、だ。
「うぅ、むくろ、むくろぉ」
まるで猫のように、僕の胸に顔を擦りつける。
「ほんもの? なぁ、ちゃんと、じったい?」
「……えぇ、こうして触れ合うのも十年振りですね」
「ほんとうに? うそじゃない?」
「えぇ、ほら、体温があるでしょう?」
「う、うーっ、ううぅ」
うめき声に鼻をすする音が混じり、やがて嗚咽に変化する。
「むく、むくろぉ、むくろぉ」
「ここにいますよ」
「ぁい、あいたかっ、たぁ」
「僕もずっと逢いたかったです」
「ぎゅってぇ、した、したくてぇ」
「えぇ、もう離さないでくださいね」
「うぇえっ、うああっ」
まるで保護者を見つけた迷子のようだ。
そう思いながら、意味を成さない声に、ただ優しい言葉を返し続ける。
「綱吉くん、ねぇ、綱吉くん」
「ぅええっ」
「やっと逢えたのに、ほら、顔を見せてください」
「やぅ、やぁあっ」
「これだと、僕が綱吉くんを抱きしめられません」
「ひぅ、あぅう……」
彼は躊躇いながらも、おそるおそる、力を緩めた。
その一瞬。
僕は彼を抱き上げると、
「ぅあっ」
今度は自分が下になるように、棺の中に倒れ込んだ。
白い花が舞う。
逢えないだけで膨らんだ。
駆け足の感情。
欲する心。
早く――
狭い視界で、彼と空しか見えない。
涙に濡れた頬に手を添え、温もりを確かめる。
「……なぜ、僕には話してくれなかったんですか」
理性が吹き飛んだ、あの瞬間を思い出す。
果てしない虚無と、猛火のごとき殺意。
「本当に、信じかけたんですよ」
アルコバレーノの少女と同じように、彼もまた自分を犠牲にすることを躊躇わないだろう。
仲間のために。
世界のために。
十年経とうが変わらない。
だから、最悪の結末を、一瞬でも信じかけた。
「……だって、巻き込んだら、お前、水牢の中で動けないのに、」
泣きすぎたせいで掠れた声。
その声が紡ごうとする、残酷な言葉を、
「もし、狙われたら、助けられな」
強引に唇を重ねることで奪い取る。
指先とは違い、舌先の温度は同じくらいで、熱いとも冷たいとも感じられない。
ただ、喉を伝い落ちた唾液だけは、ひとく熱く、焼けるようだった。
「……僕は、助けを求めるだけのお姫様なんかじゃ、ないんですよ」
むしろ、わざと自分を狙うように仕向けていた。
襲撃の混乱に乗じて脱獄できれば。
あるいは敵の目を少しでも自分に向けられることができれば。
その間だけでも、守ることができる。
「僕は、君の、守護者なんです」
キスなどでは到底満たされず、小さな身体を腕の中に閉じ込める。
「守らせて、ください……」
役目など関係ない。
ただ、自分のものだと主張して。
傷つかないように。
遠くへ行かないように。
きつく抱きしめる。
しばらくそうしていると、消え入りそうな声で、彼は言った。
「……ごめん」
そして、背中に回した手に、そっと力を込めた。
やっと逢えた。
やっと捕まえた。
やっと言える。
直接、言える。
棺から這い出て、服に付いた花弁を払う頃には、空は赤く染まり始めていた。
帰り道に紡ぐのは、他愛のない話。
「背、追い越してやるつもりだったのに」
「クフフ、残念でしたね」
「髪、伸びたな」
「えぇ。君は相変わらずライオンみたいですね」
「うるさい」
「見違えようがなくて、僕は好きですよ」
「……骸、今の方が女顔だよな」
「童顔には負けます」
「色白すぎて不健康そう」
「元から日焼けしない体質なんです」
そんな会話の途中、彼は少し黙ってから、はにかむような笑い声をこぼした。
「どうしたんです?」
「ん、いや、なんか、あんまり、十年振りって感じしないな、と、思って」
「クロームを通して、度々逢ってましたからね」
「でも、うん、この感覚は、十年振りだからかも」
「どんな感覚です?」
屈託なく、無邪気に。
微笑んだまま涙を浮かべて。
「好きすぎて、死にそう」
一瞬にして思考回路が焼き切れそうになる。
こんな台詞、一度だって言ってもらったことがない。
それ故に、理性の破壊力は凄まじく。
僕は片手で頭を抱え、なんとか衝動を抑えつけた。
「骸?」
彼は不思議そうな顔で、こちらを見上げていた。
今、自分が何をしでかしたか理解していないのだろう。
本当に、そんな可愛い顔して。
襲われても文句言えませんよ。
そんな言葉をすべて飲み込んで、前髪越しに、額にキスを落とすだけに留める。
ここで至ってもいいが、これ以上彼を泣かすのは心苦しいし。
何よりまだ完全に体力が戻ったわけではないのだ。
僕は微笑んで、手を引いた。
「早く、戻りましょう」
彼は納得のいかない顔をしていたが、すぐに笑って頷いた。
「そうだな。暗くなる前に」
二人、並んで歩く。
手は繋いだまま。
互いに導くように。
戻るべき場所へ。
一緒にいられる、場所へ。