57 | one drop







 何度も想う。
 想いは願いに似ていて。
 何度も願わずにはいられない。



『 one drop 』





 窓から湿気た風と、誰かの声が流れ込んでくる。
 教室には他に誰もいない。
 そのはずだった。
「また補習ですか」
 いつもの寒気を合図に、前の席に他校の制服を着た人物が座る。
「迎えに来たんですけど、忙しそうですね」
 黙ってシャーペンを動かし続ける。
「適当に解いていると、再提出になりますよ?」
「……じゃあ手伝えよ」
「嫌です面倒です」
 骸はまだ手をつけていないプリントを取り上げて、蛍光灯に透かせた。
 何をする気だろうか、と手を止めて見ている前で、両手でくしゃりと潰してしまう。
「ちょっ」
 手を広げると、小さな蓮の花に変わっていた。
「なんっ」
 もう一度、手の中に閉じ込めると、くしゃくしゃの紙が転がり落ちた。
「なにしっ」
 それを手の平でひと撫ですれば、何事もなかったように、きれいなプリントが机に乗っていた。
「な、なぁぁっ」
「クハハっ」
 骸は楽しそうに、同じ机の上にひじをついた。
 途端に、額が触れそうなぐらい距離が縮まる。
「あと一問」
 肌に息がかかる。
 それだけで、顔が熱くなって。
 苛立ちがため息に変わって。
 消えてしまう。
「……まだ、一枚残ってる」
「いいえ、あと一問ですよ」
 え、とさっきのプリントを見ると、ご丁寧に汚い俺の字で、俺が考えそうな答えが書き込まれていた。
 まさか、あの、一瞬で?
 でも、そんなの、幻覚っていうより、むしろ、
「マジシャンかよっ」
 しかも手伝うのイヤとか言ってたくせに。
 こういうのをアマノジャクっていうんだ。
「ほら、早く、終わらせて」
 指先でプリントを叩く。
「わ、わかってるよ」



 プリントの端で筆算を繰り返し、最後に出た答えを書き込む。
 簡単に見直してから、
「終わったぁー!」
 俺は両手を上げて背中を伸ばした。
「提出は?」
「今日、なんか先生の会議らしくて、教卓んトコ置いて帰れって」
「そうですか」
 骸は立ち上がると、頼んでもないのに、プリントを教卓まで持っていってくれた。
 親切なのか、意地悪なのか。
 ほんと、アマノジャクな奴。


 でも。


 だから。


 腹立つことはあっても、キライにはなれなくて。
 むしろ、そのひとつひとつが気になって。
 どんどん、惹かれてしまう。
 こんな気持ち、少しだって伝わらないのに。
 どうしてこんなに、想ってしまうんだろう。
 こっそり笑いながら、帰り支度をしていると、
「綱吉くん」
 ――顎を持ち上げられた。
 そう思った瞬間には、唇が触れて、違う、触れただけじゃない。
 舌先に呼吸を奪われる。
「ん、んぅー!?」
 苦しい。
 熱い。
「は、やめっ、ぅあっ」
 酸素を求めて開けた口を覆うように何度も、何度も角度を変えては塞がれる。
「ちょ、まっ、むくっ」
 押しのけようとした腕は簡単に捕まえられ、逆に椅子の背に押さえつけられてしまう。
 なんでこんなこと。
 ここは学校で。
 放課後でも人はいて。
 こんなところ、誰かに見られたら。
 見られてしまったら。
「……クフフ」
 笑い声が耳をかすめ、唇が離れていたことに気づく。
 骸は首筋に落ちた唾液を舐め取り、囁いた。
「綱吉くん、キスだけでイってしまいそうな顔、してますよ?」
「ひゃあっ!?」
 慌てて両手で顔を隠す。
「可愛い」
 指の隙間から額にキス。
 手首を掴まれ、きつく閉じた瞼の上にもキスが落ちてくる。
 どうしよう。
 どうしよう。
 早くどうにかしないと、見つかってしまう。
 こんなの、見られたら。
「……おや?」
 ビクリと肩が跳ねる。
 間近に笑う気配。
 スラックス越しに撫でられる。
「ひあっ」
「イキそうなのは、顔だけじゃなかったんですね」
 骸は閉じた足の間に、無理やり膝を割り込ませた。
「やっ」
 両手を掴まれているせいで、緩く膨らんだところを隠すこともできず。
 どうしよう。
 死にそうなぐらい。
「――ひっ」
 喉が詰まって、代わりに涙が溢れてきた。
「つ、綱吉くんっ?」
「ひっ、ひっく、ひぅ」
 幾粒も。
 雨のように。
 降り注ぐ。
「ひぃっく、ひっ」
 喉が痙攣して、呼吸ができない。
 どうして。
 こんなに苦しいの。
 抑えきれない嗚咽が、余計に涙を押し出して。
 苦しい。
 心が、苦しいよ。
「……ごめんなさい」
 小さな声と共に、手首から熱が離れる。
「ひっ、やっ」
 慌てて手を伸ばす。
 水をかくように何度も伸ばして、やっと指先を捕まえた。
 色違いの目が驚きに見開かれる。
 俺は喉に残る息を飲み込むと、捕まえた指先を力任せに引き寄せた。
 呼吸を捨てて。
 求めるためだけに。
 唇を重ねる。
 窒息しても、かまわない。



「――はぁっ」
 やっと唇を離したときには、どちらも酸素不足で顔が赤くなっていた。
 ぐったりと、それぞれ椅子と机にもたれかかる。
 苦しい。
 苦しいけど。
「……すみませんでした」
「え?」
「つい、焦って……君を泣かせて、しまいました」
 ぬるい風が骸の髪を揺らして、俺の肌にまとわりつく。
 わざと視線を外したまま、骸は独り言のように言葉を続けた。
「……漠然と、不安になるんです。ここにいると、ここには、僕の居場所はなくて」
 静かな教室の中。
 クラスメイトと同じ数の机と椅子。
 違う制服。
 それは、確かに異質で。
「ここにいる君を、僕は、知りませんから」
 複雑に笑う。
 不器用な、アマノジャク。


 だから――


 ひとつ、ふたつと窓を叩く音。
「……雨」
「傘、ありませんね」
「……待てばいいよ」
「すぐにやみそうにないですよ」
「……やむまでいればいい」
 季節外れの上着を握りしめる。
「教えてやるから、全部、骸にあげるから」
 わかるまで。
 知り尽くすまで。
 少しでも、泣くことを覚えるまで。
「一緒に、いればいい」
 骸は笑っていた。
 やっぱり、複雑そうに。
 そして、顔を隠すように、俺を抱きしめた。
 そのとき聞こえたかすかな言葉は、俺の耳にだけ届いて、やがて雨の音に消えていった。



 素直じゃないアマノジャク。
 ――大丈夫。
 さびしいと泣けない独りぼっち。
 ――想いを。
 願うことをあきらめないで。
 ――ずっと。


 欲しいもの全部、あげるから。



 静かな雨の音。
 あと少しすれば、やんでしまうのだろう。
 冷たい床が、事後の熱を吸い取っていく。
「……教室で、こんなことすんの、お前ぐらいだよ」
「わかりませんよ? 最近の若者は乱れていると聞きますから」
「先頭きって、乱してる奴が、言うな」
「クフフ」
 骸はひとつひとつシャツのボタンをとめながら、たまに赤い痕の上にキスを落とした。
 どうしてか、骸はいつもコトが済むと、こうして俺に服を着せてくれる。
 まるでプレゼントを包むように。
 ――渡せるものなら。
 腕を引かれるまま、体を起こす。
「……むくろ」
「何ですか?」
「誕生日、おめでと」
 後ろ髪をすく指が止まる。
 それにかまわず、俺は骸の胸に顔を埋めた。
「……だいすき」
 言葉は何も聞こえない。
 代わりに、きつくきつく、抱きしめられた。
 苦しい。
 呼吸も。
 胸も。
 でも、嬉しい。
 この苦しさは、想いで胸がいっぱいだから。
「だいすき、だいすき」
 言葉と共に涙が。
 幾粒も。
 舞い落ちる。
 その雫を唇に受けて、
「ありがとう、ございます」
 骸はどこか悲しそうに、嬉しそうに、複雑そうに笑みを浮かべて、
「……僕も、愛してます」
 ただそれだけを音に代えて、俺の口に返した。



 雨の音は静かに消えて。



「結構、降ったみたいだな」
「そうですね」
 大きな水溜りをよけて歩く。
 雨があがったところで誰もいないので、手を繋いだまま。
「……家に、ケーキあるんだ」
「それは楽しみです」
 すぐ隣に並んで。
 水を弾く足音ふたつ。
 静かに。
 ただ静かな空間に。
 俺は早まる鼓動を抑えて、ほとんど呟くように。
「ずっと、一緒にいるから」
 目を合わせることができず、俯いたまま歩いていると。
 手を握る力が、少し強くなって。
 見ると、真っ赤な耳が髪の隙間に見えた。
 思わず笑ってしまう。
「な、何ですかっ」
「あはは」
「綱吉くんっ?」
「あはははっ」



 何度も。何度でも。
 君が不安になるならいつでも。
 思いも願いも音に変えて。



 どうか、一粒でも君の中に残りますように。






× × ×

大空の包容力パネェ。

骸様、お誕生日おめでとうございます!
今年のプレゼントは綱吉でしたが、いかがだったでしょう!?