訪れる度に迷いそうな一角を抜け、彼に与えた執務室の扉を開け放つ。
『聞いて下さい、骸さん!』
『何でしょうか綱吉くん』
中にいた人物は、特に驚いた様子もなく、持っていた書類にペンを走らせた。
『今回、骸さんの言った通りに、イタリア語でリボーン先生と交渉を試みましたところ、』
明らかに仕事中だが、綱吉は構わず部屋を横切り、両手で執務机を叩いた。
『明日の休みをもらえました!』
『それはそれは、おめでとうございます』
骸もそれに構わず、ペンを置いて書類を茶封筒の中に入れた。
『これもひとえに、骸さんの、えっと、い、い?』
『知恵』
『知恵が貸りて』
『逆です』
『知恵を、貸してくれたおかげです!』
表に簡単な宛先を書き、机の端に重ねられた書類の上に乗せる。
それから、骸は綱吉に笑顔を向けた。
『はい、よく言えました』
それが合図。
綱吉は一気に力を抜いて、その場にしゃがみこんだ。
「こんな必死に話したの久々だよー」
「なかなか流暢でしたよ」
椅子から離れて机を迂回し、綱吉の横に、同じようにしゃがみこむ。
「もうリボーンの前とかプレッシャー二重で死ぬかと思った」
「クフフ、お疲れ様です」
柔らかく髪を撫でる。
触れるのが。
触れられるのが。
気持ちよくて。
もっと。
もっと、と求めるために。
「抱きついていい?」
「抱きしめていいですか?」
ふたり同時に発音して。
顔を見合わせて。
「あは」
「くはっ」
笑い出しながら。
手を重ねて。
絡めて引き寄せて
抱擁を、交わす。
「リボーンのヤツ、話してる間ちっとも笑わないんだよ」
「スパルタで有名な家庭教師ですからね」
「骸もたいがいだったけどな」
「こんなにデキの悪い生徒を持てば、あぁ、アルコバレーノの気持ちがよくわかりましたよ」
「なっ」
「クフフ」
殴ろうかと思ったけど、手を離すのがもったいなくて。
綱吉は突き飛ばすかわりにきつく抱きしめた。
もちろん、こんなことで骸が反省するとも思ってないが。
「もー、一年分くらい舌噛んだかも」
「それは大変ですね」
「え?」
腕の力を弛めた一瞬の隙。
骸は後ろ髪を引いて綱吉を仰向かせると、唇を重ねた。
深く絡めて嚥下する。
「な、なん、なにし、なっ」
「傷が早く治るように」
「ばっ、擦り傷じゃないんだからっ」
「嫌ですか?」
「いっ……いやじゃ、ない……」
じゃあ、ともう一回。
触れるだけのキス。
ついばむように何度も。
笑いながら。
『明日が楽しみですね』
「え、あ、えっと」
何と言われたか反芻して、答えをイタリア語に訳して発音。
『私も、同じ思いです』
『どこか行きたい場所はありますか?』
「骸が一緒ならどこでもいいよ――って、どう言えばいい?」
『何でもいい、知っている言葉で言ってごらんなさい?』
「え、えー」
頭の中の日伊辞書をめくり続けるが、『どこでも』が見つからない。
他になんて言えばいい。
何と言い変えれば伝わる。
ふ、と浮かんだ単語に、綱吉は表情を弛めた。
『思い出しました?』
「ううん、でも、」
その胸に顔を埋めて。
『……あなたがいれば、私は満足です』
笑う吐息。
『まぁ、よしとしましょうか』
「やった」
骸は名残惜しげに綱吉を離して立ち上がると、先ほどの封筒を手に取った。
「では、今日最後の仕事です」
「あ、そうそう、リボーンに渡すヤツだよな」
「えぇ。お願いしますね」
手を引いて綱吉を立たせながら、封筒を渡す。
「あとで、部屋まで迎えに行きますね」
「あれ? 仕事は?」
「僕もこれで終わりですが?」
「だったら一緒にリボーンとこ行って一緒に帰ろうよ」
ぎゅっと繋いだ手を握る。
できることなら、もう離したくない。
その思いは骸も同じなのか、ぎゅ、と手を握り返した。
「……では、謹んでお供しましょう」
「そんな大げさな」
「あぁ、でも、またアルコバレーノにどやされそうですね」
「無理から休み取ったもんなぁ」
「仕方ないでしょう、明日は、特別なんですから」
綱吉は一瞬きょとんとして、それから、赤く破顔した。
「そっか、特別な日か」
「そうですよ、君が産まれなければ、僕らは出逢えなかった」
あの日に。
この時に。
時間を重ねなければ。
こうして、共にいたいと願うこともなかっただろう。
「……うん」
誰かをこんなにも愛しいと感じることも。
廊下への扉の前で、骸は振り向いて言った。
「誰かに言われてしまう前に、言っておきますね」
「ん?」
『お誕生日、おめでとうございます』
そして、繋いだ手に唇を寄せて。
幸せそうに微笑んだ。
『君の存在に最大の祝福と愛情を』
ぎゅうと胸がいっぱいになる。
嬉しくて。
いとおしくて。
綱吉もまた笑おうとして、泣きそうな、変な顔になった。
「……ありがとう」
うまく笑えない代わりに抱擁を。
少し早い鼓動が伝わったら。
そっと身を離して。
「さて、さっさとアルコバレーノに渡して帰りましょう」
「うん。あ、帰りに晩ごはんの買い出ししないと」
一緒に扉を開けて。
「どうせなら外食にしませんか?」
「えー骸の料理がいいー」
「……仕方ないですね」
長い長い廊下を並んで歩いて。
「ラザニア食べたいラザニア、前に作ってた」
「あれ、隠し味にパイナップル入れていたの、気づいてました?」
「えっ、マジでっ!?」
手を繋いで。
心を繋いで。
「全然わかんなかった……」
「隠し味ですからね」
「まぁいいや、とにかくラザニア作ってよ」
「はいはい」
特別の中に唯一を。
君だけのために。
明日という日を。
共に。