響き渡る。
幾重にも。
反響する。
歌声。
「綱吉くん」
アパートの玄関先につけられた車から降りると、すぐに耳慣れた声に呼び止められた。
嬉しさを隠して、顔をあげる。
「ごめん、遅くなった」
小走りに駆け寄ると、柔らかく抱擁で迎えられる。
その上着が冷たくなっていて、背に回した手に力を込める。
「中で待ってればいいのに」
「どうせすぐ出掛けるんです」
「そうだけど」
風邪とかひいたらどうすんだよ、と口の中で呟く。
笑んだ唇が額に落ちてくる。
「お気遣い感謝します」
「感謝じゃなくてだな、」
「どこに寄り道してきたんです?」
「えっ、なんでわかったのっ?」
慌てて身を離すと、楽しそうな笑い声。
「おや、当たりましたか」
「おまっ」
振り上げた手は簡単に掴まり、引かれ、指を絡められる。
「……てぶくろ」
「はいはい」
骸は黒の手袋を脱いでから、もう一度手を繋ぎ直した。
やっぱり冷えてる。
もっと早く来ればよかったかな。
後悔に少し気落ちしていると、ぐい、と手を引かれた。
「行きますよ」
「……うんっ」
繋いだ方の腕にしがみついて、一緒に半地下の駐車場へと降りる階段へ向かう。
「どこに行ってきたんですか?」
「えっとね、教会」
「また珍しい場所に」
「うん、歌が聴こえてさ」
車体の低く作られた、イタリア車。
電子ロックを解除して、それぞれ乗り込む。
「あぁいうトコに行くと、なんていうか、圧倒されるよな」
七色の明かりを落とすステンドグラス。
その光を受けて鈍く輝くオルガンのパイプ。
今にも天使が降りてきそうな。
「なんか、神様とか、いるかわかんないけど、」
荘厳な讃美歌に引かれるままに。
願いを乗せようとして。
願いを届けようとして。
持ち上げた手が取った動作は、
「手ェ打ち鳴らしたら、すっげぇ注目集めちゃったんだよ」
カシワデ、というものだった。
「…………は?」
回しかけていたエンジンが、キュルルン、と情けない音を残して、止まってしまう。
「つい、神社の感覚でさ、マジで無意識だったんだよ」
慣れないシートベルトに四苦八苦しながら、ふと横を見遣ると。
骸はキーから手を離し、ハンドルに額を押し当てるようにして肩を震わせていた。
「な、なんで笑うんだよ!?」
「いえ、く、くは、クハハっ」
それを見ている内に、どんどん顔が熱くなってくる。
確かに間抜けな話だけど、こんなに笑うことないだろ。
しかもツボにハマってしまったのか、なかなか顔を上げてくれない。
たまらず、袖を引っ張る。
「む、骸ぉ!」
「すみませ、いや、実に君らしい」
「ら、らしいって何だよ、らしいって」
「そういうところ、好きですよ」
シートに肩を押しつけられ、覆いかぶさるように、唇を重ねられる。
絡めて、熱と呼吸が混ざる。
神様がどんなものか知らない。
いたとしても、何をしてくれるかなんてわからない。
天国とか地獄とか、どこにあるのかさえ知れないのに。
「……神など、どこにもいやしませんよ」
「またそんなこと言うし」
けれど、神を否定し、自分だけを信じられる骸は、とても強い人なんだと思う。
それは誇らしくあり、同時に、とても羨ましくもあった。
どうすれば、そうなれるのか。
「そういう君はどうなんです? 敬虔なキリスト教徒には見えませんが」
問われて、少し考える。
「……神様、は……いる、ような気はするけど、実感したことはないし…」
思えば、神様なんて、都合のいいときにしか信じたことがない。
自分の力が及ばないとき、どうしていいかわからないとき。
とにかく何かに頼りたいときぐらいで、普段から信じてるわけでも、祈りを捧げてるわけでもない。
だから、言ってしまえば。
「いたらいいな、て程度には、信じてるのかな」
ふ、と首元に吐息がかかる。
「まぁ、そんなものでしょうね」
気がつくと、ねじれることもなくシートベルトがつけられていた。
「いい加減、自分でつけられるようになってくださいね」
「ややこしいんだよ、スポーツカーのは」
「リュックを背負う要領だと教えてあげたでしょう」
「わかりにくい」
離れる前に、触れるだけのキス。
天使の歌。
願い。
鐘の音。
キーを回し、快調なエンジン音が駐車場に響き渡る。
「それで? 何を願ったんです?」
「え?」
「教会で、何をお願いしたんですか?」
骸はクラッチを踏んだまま、確かめるようにギアを順番に入れ替えていった。
「それは、その、えっと……」
外したネクタイを引っ張ったり丸めたりしながら。
ぽつり、と呟く。
「……今夜、ずっと……い、一緒に、過ごせますように……って……」
冷めてきていたはずの頬が、また熱くなってくる。
いつの間にか下がっていた視界に、白い指先がかすめる。
それは頬に触れ、濡れたままの唇をなぞり、離れた。
追いかけて視線を上げると、骸が色違いの目を細めていた。
「……それぐらい、僕が叶えて差し上げますよ」
思わず見惚れてしまうほど。
キレイすぎて、胸が詰まる。
神様は、もしかするといないのかもしれない。
でも、いなくてもいいかな、と思う。
今、この手の中に、目の前に、幸せは確かにあって。
この手を離さなければ、この目をそらさなければ。
「じゃあ、お腹空いたし、早くディナーについれてってよ、神サマ?」
「クフフ、お望みのままに」
最後に、シートベルトをめいっぱい引っ張って。
その頬に唇を押し当てたら。
吐息で笑う気配。
ギアは素早くローに入れられ。
車はゆっくりと滑り出して。
聖夜に願う。
刹那にも永遠を。
叶えてくれるのは他の誰でもなく。
あなた。