使った食器やコップを運びながら、人の少なくなったリビングを振り返る。
さっきまであそこにみんながいて、
「お誕生日おめでとう!」
そう言ってくれるのが嬉しくて仕方なくて。
はしゃいで、笑っていた時間は、あっという間に過ぎてしまって。
「ツっ君?」
洗い場にいた母さんに手を伸ばされ、慌てて重ねた食器を持っていく。
「ありがとう」
受け取った食器を水の中に沈めて、一枚一枚洗っていく。
その手元をなんとなく見ていると。
クス、と短い笑い声が聞こえた。
視線を上げると母さんは嬉しそうに目を細めていた。
「ワイワイした後って、なんだかちょっとさみしくなっちゃうわよね」
無意識にまたリビングを見遣って、
「……うん、そうだね」
なんとなく落ち着かない気持ちの正体を自覚する。
すっかり片付けられて、今は誰もいない空間。
もっとずっと続けばいいのに、と願っても。
楽しいことほどあっさり終わってしまうもので。
日付が変われば、誕生日もおしまい。
「パーティのときも、そんな顔してたわよね」
「え?」
「ほら、クロームちゃんのお兄さん? が来れないって聞いたとき」
クロームに兄なんていない。
けど、そういう風に説明したことのある人物は一人いる。
そっくりな髪型で、実際クロームの兄のような存在で。
あいつは。
「……骸は、こういうの、嫌いだから」
他人との馴れ合いが嫌いで。
そもそもマフィアが大嫌いで。
俺のことも嫌いで。
そんな嫌いだらけのところに、あいつが来るはずない。
ていうか来られたら逆に怖いし困る。
「ワイワイするの苦手な子なの?」
「たぶん、あんま、こういうの好きじゃないっぽい」
「ふーん……じゃあ、想像してみましょうか」
「え?」
「もし、その子が来ていたら、どんなパーティになったかしら?」
「どんな……」
視線の先、何もない空間に、今日の記憶を重ね合わせて。
リボーンは確かビアンキの膝の上に座ってて。
ソファーに獄寺君と山本がいて、その周りをランボやイーピンが駆け回って。
クロームはずっとテレビの前で京子ちゃんやハルと一緒に座ってて。
お兄さんとか、あぁ、バジル君はずっとあそこに立ってたっけ。
それで、俺があそこにいて。
――じゃあ、さ。
例えば、そこにクッションを置いて、骸が座っていたら。
仏頂面だろうか。
怒った顔してるだろうか。
それとも、呆れたように、笑って――
「――ちょっと、出掛けてくる」
「え、ツっ君?」
「ごめん、すぐ帰るから!」
「コラ! もう遅いんだから、ちょっとツナぁ!?」
怒った声が聞こえたけれど、もう止まらない。
駆ける。
財布忘れたから電車もバスも使えない。
だから駆ける。
走ったら何分、何十分ぐらいだろう。
わからない。
とにかく駆ける。
これ、帰ったら説教だろうな。
リボーンにも怒られそう。
でもいいや。
それでもいいや。
知ってる道と、知らない道を、走って。
走っている途中に。
ぞくりと、悪寒がして。
使ったことのない、自販機の明りに照らされて。
「おや、奇遇ですね」
違う中学の制服を着た、特徴的な髪型の、悔しいほど美形の少年が、そこにいた。
「えっ!?」
慌てて立ち止まったせいで。
「うわっちょっ」
足がもつれて。
「ひっ!?」
次の瞬間には、頭からアスファルトの上をスライディングしていた。
「クハっ」
すぐさに独特の笑い声が落ちてくる。
「クハハハっ、鈍くさいですね君っ、クハハハハっ」
「うううるさい!!」
跳ねるように起き上がり、キッと睨み上げる。
骸はさして怯んだ様子もなく、色違いの双眸を細めた。
「こんな時間にランニングですか?」
「う、ま、まぁ……」
言えるわけがない。
気がついたら家を飛び出していたなんて。
「おま、お前こそ、こんな時間に、ここ並盛だろっ?」
「ただの散歩ですよ」
「散歩?」
思いのほか平和な回答に、オウムのように聞き返してしまう。
それに対して、
「えぇ、たった数カ月とはいえ身動きを完全に封じられていましたからね、感覚を取り戻すために」
骸は朗らかな笑みと残酷な答えを返してきた。
「―――っ」
胸が痛む。
じわりと視界が滲む。
あれほど背中を押していた衝動はどこに消えたのか。
「それより、今日はクロームがお世話になったようで」
「え、あ、うん」
いつの間にか地面に落ちていた視線を上げると、骸は口許に笑みを残したまま、自販機のほうを向いていた。
不安定な明かりに照らされて。
やっぱ美形だよなぁ、とかそんなことを頭の端で思う。
「お世話っつーか、うん、楽しんでくれてたら、いいな」
「喜んでましたよ」
「マジで?」
「戻った途端に、たくさん話してくれました」
「そっか……」
安堵と、焦燥。
右手で掴んだ胸がじくじくと疼く。
少ない唾を無理やり飲み込んで。
「あ、のさっ」
赤い色の瞳だけ向けられ、思わず肩が震える。
駄目だ、言葉を止めるな。
「骸もさっ」
駆けろ。
「骸も来れば、よかったのにっ!」
こちらを見ていた目がわずかに見開かれて。
それから。
「――くっ、クハっ、クハハハっ」
さっきとは違う。
ぞっとする声で笑い出した。
「君もおかしなことを言う。この僕に、マフィアと馴れ合えと?」
クスクスといまだ笑いつつ。
「マフィアなど消えてしまえばいいと願っている僕に?」
「それは、」
「マフィアさえ存在しなければ、呪われた身に堕ちることなどなかったのに?」
「む、むく」
「マフィアを潰すために、隙あらば君の体を乗っ取ろうとしているのに?」
笑い声が消えて。
こちらを向いた顔に表情はなく。
冷たい瞳で。
「僕はマフィアが大嫌いだ。マフィアに関わる人間も大嫌いだ」
言葉の刃が突き刺さる。
深く深く抉って。
乾いていたはずの視界がまた滲んで。
何も言えない。
俺には言葉がなさすぎる。
何を言っても、偽善と同情にしかならない。
きつく唇を噛む。
悔しくて、悔しくて。
俯いていた頭に、ぽん、と何かが触れてきた。
「ひぇっ?」
驚いて再び顔を上げると、色違いの瞳に冷たい光はなく。
口許には苦笑を浮かべて。
「まぁ、最近は少し、考えが変わりましたけどね」
「変わっ、えっ?」
「沢田綱吉、君の考えは気に食わないが、たいして嫌いでもないんですよ」
「嫌いじゃ、ない?」
「闘いを経験するほどに強くなる君を見ていると」
「え、え?」
「もう一度、闘ってみたいと思える程度には、認めているんですよ」
意味がわからない。
誰が強くなって。
誰を認めていて。
闘ってみたいとか。
一体、何を言っているのだろう。
たぶん間抜けな顔をしていたのだろう、骸は口をへの字に曲げて、指先で額を突いてきた。
「いたっ、何すんだよっ」
「本当に、よくも今まで生きてこれましたね」
「へっ?」
「ヴァリアーにミルフィオーレ、シモンと次々と狙われて、よく勝ち残れましたね」
「そ、それは、」
黒曜との戦いの後で、休む間もなく襲ってきた出来事。
その中で勝ち進んでいけたのは。
紛れもなく。
「みんなが、それに骸がいてくれたからだよ」
「おや、僕にも感謝するのですか」
「お前には一番感謝したいんだよ、お前がいてくれなきゃ、ほんとにどうなってたか」
決して仲間としては動かないけれど。
いつでも俺にヒントを与えてくれる。
背中を蹴り飛ばすように。
「前へ、進めたのは、骸がいたからなんだ」
だから。
「ありがとう、骸、ありがとな」
笑顔は自然と浮かんだ。
骸は驚いた表情から呆れた顔に変わって。
それから、
「やっぱり馬鹿な子どもですねぇ」
片手で俺の頭を優しく叩いたかと思うと。
急に鷲掴んで軽く突き飛ばした。
「わっ、わっ、ちょっ」
「感謝などしないでください、気持ち悪い。僕は僕の思惑で動いただけです」
おかげさまで牢獄からも出られましたしね、と口許を歪める。
その不敵な笑い方が。
憎らしいけど。
やっぱり、カッコいい。
「どこまでランニングするつもりなんですか?」
「あ、えと、今日はもう、帰る」
「そうですか」
そう言って、骸は自販機から離れて俺の脇を通り過ぎた。
それを立ったまま目で追っていると。
数歩進んだところで振り返って、不思議そうに首を傾げた。
「何ぼけっと突っ立ってるんですか」
「え?」
「帰るんでしょう? 道、間違ってます?」
「え、帰るって、黒曜はあっち」
「君の家はこっちでしょう」
「そう、だけど、え? なんで?」
わけがわからず動けないでいると、骸はこれ見よがしにため息を吐き出した。
「言わなきゃわからないとか、本当に馬鹿ですね君は」
「ば、ばかって言うな」
「家まで送って差し上げます」
「えぇっ!?」
「自覚がないようなので言ってあげますけど、マフィア界で今一番狙われていますからね、君」
「ええぇっ!?」
「うやむやに終わったとはいえ継承式を済ませたんですから、今やボンゴレのボスは君ですよ」
「そんなっ」
「毎日毎夜刺客を送り込まれて、もう安穏な日々は過ごせないでしょうね」
「ううううそだろ!?」
「えぇ、嘘です」
―――間。
「嘘なのかよおおおおっ!!」
「あ、お誕生日おめでとうございます」
「いまさらああああっっ!?」
「いかがでした? どっきりのプレゼント」
「もう一生いらねぇよ絶対いらねぇええっ!!」
「クハハハっ」
楽しそうに笑って。
だから、自然と足は動いて。
追いつくと、骸はゆっくりと歩き出した。
歩幅を合わせてくれてるんだとわかる速度で、ついにやけてしまう。
「まぁ、君は今後も誰かしらに命を狙われるでしょうね」
「いやだけど、でも、その通りなんだろうな」
「守って差し上げますよ」
「えっ」
「僕の野望のためにも沢田綱吉という器を壊されては困りますからね」
「そ、そっちかよ……」
ちょっとでも期待してみたいのに。
現実っていうのは甘くない。
でも。
それでも、さ。
じわじわと上がってくる熱に、表情が緩むのも止められず。
だって、おめでとうって言ってもらえた。
あの骸が俺に、おめでとうって言ってくれた。
どうしよう。
すごく嬉しい。
最高の誕生日だと思えるぐらい。
「何にやけてるんですか気持ち悪い」
「き、気持ち悪いとか言うなし」
両手で頬を押さえて軽く持ち上げる。
そうでもしないと緩んだっきり下に垂れていくような気がして。
そのままゆっくり歩いていると。
クス、と短い笑い声が耳に触れた。
見上げた先の視線はこっちを向いていなかったけれど。
珍しく優しげな表情に。
胸が小さな悲鳴を上げて。
叫んで。
駆けて。
転がりたいような。
本当にどうしようもない早鐘を押さえて。
今だけはゆっくりと。
「今日、誕生日なんだよ」
「知ってますよ、おめでとうございます」
「ありがとうゴザイマス」
静かな夜の道を。
ふたりきり。
もしも、この駆ける衝動が恋ならば。
―――俺はきっと、彼のことが好きなんだろう。