言われた通りの時刻と場所。
地下アジトの中とはいえ、寝室に呼び出しとは乙な誘いである。
多大なる期待を胸に。
ノックの代わりに電子盤のベルを鳴らすと、小さく鍵の開く音がした。
入れという声は聞こえないけれど。
開閉ボタンを叩き、スライドしていく扉を横目に。
「失礼しますよ、綱吉く――」
むせるような甘い匂いに。
反射すら間に合わず。
顔面にチョコケーキをぶつけられた。
まるでコントのワンシーンのように見事。
いっそ感動すら覚える。
しかし。
だがしかし。
膝から崩れ落ち、床に手をついた衝撃で顔についたクリームやらスポンジやらがぼろぼろと落ちていく。
「―――っ」
咄嗟に目を閉じたものの、クリームなのか何かが入り込んだのかひどく痛い。
情けないことに鼻にも入ったようだし。
脱いだ手袋を犠牲にして、何とか呼吸の術だけは確保する。
途端に。
「これ、アルコール……っ!」
鼻腔に突き刺さる甘ったるい香り。
まさか洋酒入りのケーキをぶつけられたのか。
息を止めても間に合わない。
眩暈。
倒れる。
そう、覚悟した瞬間に、誰かに腕を掴まれた。
誰かなどと言ってみたが、相手はわかりきっている。
「つな、よし……っ!」
そのまま引き上げられ、引きずられ、どこかに放り投げられた。
スプリングの軋む音。
ここが寝室であることから、ベッドに転がされたのだと判断する。
強姦でもされるのか。
その連想に笑ってみるが、しかし、嫌な予感は消えない。
せめて視覚だけでも取り戻さなければ。
もう片方の手袋も脱いで、目元のチョコクリームを拭う。
痛い。
生理的な涙でもって異物を押し流して。
やっと開いた視界には。
「ハッピーバレンタイン」
赤い顔と据わった目で死ぬ気の炎を宿した半裸の恋人が、己に覆い被さっていた。
危うく意識が飛びかけた。
「なに、え、はいっ?」
上半身半裸ならわかるが、まさかの下半身半裸。
シャツの裾で下着の有無まではわからないが、それにしたってあり得ない。
さらに混乱を助長するかのように死ぬ気モードという出で立ち。
ベッドまで運んだ怪力から、うっすら予想はしていたが。
綱吉は淡く光る瞳を嬉しそうに揺らし、やや低い声で囁いた。
「むくろ……かわいい……」
「ちょっ」
頬を這う熱い舌。
クリームを舐め取っていく粘着質な水音。
そして、アルコールの匂い。
「君、まさか、酔ってますね!?」
「よってない」
「酔ってるでしょう、お酒臭いですよ!?」
「よってない」
「そう言う人ほど酔ってるんですよ!」
「よってないっていってんだろ」
「んむぅっ!?」
溶けたチョコレートと、スポンジの欠片。
アルコールを多大に含んだ呼気。
「く、ふぁっ、ちょっ、綱吉!」
視界が、思考が、熱に歪む。
しばらく味わっていなかった酩酊状態。
これが嫌いで摂取を忌避しているというのに。
「い、いい加減にしないと、怒りますよ?」
「おこる? どうして?」
「どうしてって、君、知っているでしょう僕が」
「なぁ、きもちいいことしよう」
「人の話を聞き、な……?」
言葉が途中で消えてしまう。
今、何と言った。
聞き取れなかったわけでなく、認識が受け付けなかった。
それぐらいあり得ないことを。
今、言わなかったか。
あえて押し黙って次の句を待っていると、綱吉は不敵に微笑んで音を紡いだ。
「きもちいいこと、しよう?」
「―――っ」
抵抗もできないまま、ズボンから自身を取り出され。
両手のチョコクリームをなすり付けて遊んでから。
綱吉はゆっくりと、舌で綺麗に舐め取り始めた。
「クフっ、ふふ……まさか、こんなことになるとは……っ」
今までにフェラを強要したことはあったが、率先してされたことは一度もない。
しかし何度も教えただけあって、なかなか、ポイントを突いてくるというか。
「飲み込みは遅い癖に……クフフっ、死ぬ気だからですか?」
アルコールも手伝ってか、自身はすぐに質量を増し、狭い咥内を圧迫した。
「んっ、んぅ……むく、お……」
先端を口蓋の柔らかい部分になすりつけて。
すぼめた唇で竿を擦り上げる。
「いいですよ、そう、お上手ですね……っ」
肘を立ててなんとか上体を起こし、伸ばした手で髪を撫でてやる。
手の平に触れる炎は熱く感じるものの、皮膚を焼く痛みはない。
綱吉は咥えたまま息だけで笑い、さらに喉まで使って奉仕し出した。
「そんなにがっついて……おいしいんですか?」
「んぐぅ、あぁ、あまぅて……おいひぃ……」
さすがに喉は痛かったのか、咳をひとつだけこぼして、身を起こす。
そうすると。
乱れたシャツの裾から、ひょこりと、濡れた先端が頭を出した。
「……くは」
思わず口に当てた手はチョコレートの味がして。
「クハハっ、ハハっ、君、下着も脱いで、待っていたんですか?」
最初こそ混乱状態であったが。
現状に受け入れてしまうと、これはこれで面白いものがある。
「しかも、フェラだけで、反り勃たせて……クフフ、お酒とは、怖いものですねぇ」
震えるそれを指先でつまんでやると、綱吉は細い腰を跳ねさせた。
もう一度身を寄せて、根元を押しつけるようにして擦りつける。
唾液とチョコクリームと、先走りが絡んで。
「あ、あっ、むくろぉっ」
「おやおやっ、はしたない、ですねっ」
物欲しげにひくつく尿道口に自ら指先を喰い込ませ。
もう片方の手でふたつまとめて扱きあげて。
「ごりごり、してぇ、きもちぃっ」
速いリズムの水音。
「むくろぉ、きもち、ぃっ、よぉ」
「綱吉、あまり、強くすると、いたいっ」
「らめっ、て、とまんないっ、とまんなぃっ――!」
握力が常より数倍強くなっていることを忘れていたのか。
綱吉は自分だけ先に果てた申し訳なさから、少し落ち込んだ顔でこちらの服を脱がし始めた。
「……酔い、醒めました?」
「よってない」
「まだのようですね」
「よってない」
「君、記憶、残るほうでしょう?」
「よってないっていってんだろ」
ネクタイを掴み上げられ、深く舌を絡められる。
やはりアルコール臭い。
手が離れると、酩酊のままに頭が枕に埋まった。
くらくらと天井が回る。
茶色い綿毛が視界から消えて、足先からブーツの感覚がなくなる。
これはこれで楽だが、威厳というものがなくなりそうで怖い。
「綱吉くん」
名を呼ぶと、細い指先がチョコクリームを咥内に押し込んできた。
もはや抵抗も無意味と知って、大人しく舐め取る。
少し苦めでおいしい。
ケーキのままでも充分おいしくいただけただろうに。
「……これ、僕のために、用意してくれたんですか?」
「そうだけど、ちょっとちがう」
再び視界に戻ってきた童顔が、顎や喉元に残るクリームを舐め取っていく。
「違う?」
「おれがちゅうもんしたのは、おさけはいってない、とくちゅうだったのに」
時折きつく吸いついてキスマークを残す感触。
「とどいたらおさけいりで、はらたってやけざけのんで」
「……それで、酔っ払った挙句、人の顔に、ケーキ投げつけますか、普通」
「あと、きょうのために、にしゅうかんもかんづめで、すとれすたまってたし」
残りのクリームはすべて手に取って。
覆い被さる体勢のまま、綱吉はそれを後ろの口に塗りつけた。
「んんっ、ぁ……」
「たった二週間の、ご無沙汰で、これですか?」
「しろくじちゅう、んっ、かんしつきでぇ」
「オナニーもできなかったと?」
「だ、からぁっ」
「クフフ……とんだ、セックス中毒ですね」
「ち、ちがぅ……っあ、はぁっ」
淫猥に歪む顔を恍惚と眺めながら、だるい腕で背中に敷いたままの上着を引き抜いてベッド脇に落としてしまう。
首の後ろに当たって痛む髪留めも抜き取って。
赤い頬に手を添えると、猫のように擦り寄ってきた。
「しかし、それだけでは、死ぬ気になっている、理由がありませんね」
「これは……」
すっかり溶けたクリームを、今から受け入れる熱に塗りつけて。
炎に照らされたまま、ゆるりと微笑み、
「もっと、きもちよくなるかなって、おもって」
綱吉は一気に腰を落とした。
「ああぁぁぁっ!」
細く声を引きつらせて、少量の精が降りかかる。
痙攣する内壁に引っ張られそうになりながらも、こちらはなんとかこらえきって。
しかし、こみ上げる笑いは、抑えきれず。
「クフフ、クハハハっ!」
「や、いま、うごくなっ」
「君も、淫乱になった、ものですね」
「そ、なことっ、なぃ」
「いいんですよ、もっと快楽を貪りなさい」
「だからぁっ」
「もっと、僕を、求めて」
真っ直ぐに向けた視線の先で、炎が、揺らめいた。
こくりと喉を鳴らして。
綱吉は膝を立てて上体を後ろに傾けると、後ろ手をついたまま腰を上下に動かし始めた。
「んぁあっ、あっ、むくろぉっ」
故意か偶然かはわからないが、結合部を見せつける格好で。
「きもひぃっ、んくっ、ぁあっ」
酔わされていなければ、足の間で揺れるモノを愛撫してやれるのに。
それだけを口惜しく思いながら。
「むくろのぉっ、いっぱい、ふぁあっ」
抱かれるよりもずっと激しい挿抜を繰り返して。
泡立ったクリームが溢れ落ちる様がひどく艶めかしい。
騎乗位は上に乗る側が自慰をしているようなものだと誰かが言っていたが。
「ここっ、すれると、ぃっ、のぉっ」
恋人の自慰を鑑賞するというのも、これはこれで興奮できるものだ。
自ら前立腺を擦りつけて、快感に痺れるほどにきつく締めてくる。
純朴そうな顔をして淫らに乱れてみせる姿が。
「綱吉くん、とても、綺麗ですよ」
くつくつと喉が震える。
「ふぇっ、あっ、わかんなっ、ぁあっ」
「イキたそうな顔に、なってきましたね」
「んっ、もぉっ、イぃっ? むくろっ、いっしょに、イこ?」
小さく律動しながら上体を起こし、今度は胸に手をついて身を屈めてくる。
キスは変わらずアルコールの味がして。
眩暈と共に唾液を嚥下する。
最後の気力を使い切る勢いで細い腰を捕まえると、
「えぇ、いいですよ、一緒に」
肌のぶつかる音も激しく、下から責め立てた。
「あぁあっ、んぁあっ、むくっ、ひあぁっ」
「ねぇ綱吉くん、どこに、出してほしいです?」
「んっ、なかぁっ、なかにっ、ちょぉだぃっ」
「クフフっ、望むままに」
「ひぁっ」
最後に深々と貫いて。
「ゃああぁっあっ、あああぁあっ!」
「―――っ」
中に、外に、精が放たれた。
小刻みに上下する胸と。
回り続ける天井。
吐きそうな気もするし、ひどく眠い気もする。
熱病のように体はだるいし、汗で張り付く髪が気持ち悪い。
腕枕に横たわる綱吉の額には、すでに炎はなく。
いつも通りの栗色の瞳を向けて問うてくる。
「むくろ、きす、してい?」
「……いいですよ、これだけ酔わされては、拒絶する理由が」
言葉の途中でも遠慮なく重ねられる。
赤子かと問いたくなるほど舌を吸われて。
心の中でため息をつく。
酔っ払いというのは理性のタガが外れたり幼児退行したり色々あると聞くが。
厄介なものだ。
本当に厄介だけれど。
「むくろ、だいすき」
そう言って笑う表情は愛おしくて。
ついつい許してしまうのだから。
「酔いとは本当に恐ろしい……」
「どうしたの?」
「いいえ、疲れたでしょう? 僕も、もう眠い」
「うん、おきたら、またきもちいいことしような?」
「っ君は、本当にっ」
自分が何を口走っているかまったく理解していない顔で。
しかし。
彼の中でこの記憶が失われることがないのは知っている。
「……えぇ、いいですよ、その頃には酒気も、抜けてるでしょうしね」
引き寄せたシーツと共に抱き寄せてやると、綱吉は嬉しそうに吐息で笑った。
これが、次に目覚めた時にどうなるか。
見物に違いない。
密かな企みに笑みを浮かべ。
ふわふわと回る甘い世界に、おやすみを告げた。