世界なんて壊れてしまえばいいと言うから。
壊れてしまわないように、ひとつ、俺は願い事をした。
散らばる瓦礫に拳をぶつけ、さらに粉々に砕いてしまう。
そうして誰も下敷きになってないことを確認しながら、一歩ずつ騒動の中心へと近づいてゆく。
深い森の奥にそびえ立っていた屋敷はすでに、ただの木屑やコンクリート片へと変貌してしまった。
さぞ立派な庭があっただろう場所は火に舐められ、面影すらない。
どれだけ暴れてみせたのか。
「近くに生体反応は?」
『そこから東100メートル付近に離れて2と3、さらに北西800メートル先に2』
「どっちかわかる?」
『たぶん遠いほうかな』
「まだ目視は……無理か。入江、引き続きナビよろしく」
『了解、ボス』
「だからボスじゃないって」
返答に苦笑を乗せて、イヤホンからのナビゲーションを頼りに駆ける。
普段から名前で呼ぶよう言っているのに、たまにからかいの意を込めてボスと呼んでくるから困る。
「まったく……マフィアじゃないんだから」
炎をともさないまま、綱吉は向かった先の瓦礫に拳を打ち立てた。
小さい頃、綱吉にはこれといって将来の夢とか具体的な理想はなかった。
たぶん人並みに幸せな家庭とか、そういうのを漠然と思っているだけだった。
転機は十四歳のとき。
生きることに受動的だった自分は、死にかけて、生きたいと、能動的に思考するようになった。
そして出会いと経験を重ねて。
ふと、ぼんやりとしたものであったけれど、夢というものを見い出した。
きっかけは世界に絶望した一人の少年。
彼は世界を恨み、世界を呪い、そして世界を壊して作り直すことを望んでいた。
――きっとそれは今も変わらない。
けれど彼が選んだ方法は、彼自身すらも破滅へと導くものだった。
「それだと、お前まで、壊れちゃうよ」
思わず泣いてしまった訴えに、彼は笑うだけだった。
今さら止められないとでも言いたげに。
だから。
綱吉は願い、望み、そして決めた。
この世界を壊さないためにも、彼を壊さないためにも。
無残な瓦礫の間を駆け抜け、月明かりに立つ人影を発見する。
見違えるはずのないシルエット。
綱吉は持っていた死ぬ気丸を飲み込むと同時に、力強く踏み切った。
一気に軽くなった体は両手の炎の推力でさらに押し上げられ、夜空の中へと舞い上がる。
コンタクト越しの視界はクリアで、すべてがスローモーションに見える。
その中で。
こちらに気がついた彼は色違いの目を細めて、笑った。
つられるように笑い、掌底を彼へと向ける。
そして――放った。
響く轟音。
土煙。
近くの瓦礫の上に着地し、煙が晴れるのを待っていると。
悪寒。
真後ろ。
前転の要領で両手を突いてかかとを振り上げると、見慣れた刃が閃いた。
弾く金属音。
そのまま一回転して地上に着地し、見上げる。
さきほどまで立っていたいた瓦礫には新たな主が君臨していた。
特徴的な髪型に、整った顔立ちと赤と青の瞳。
何年経とうと何度でも同じ感想を抱かせる彼は、悠然と口許を歪めて声を響かせた。
「久しぶりですね、綱吉」
「あぁ、そうだな、骸」
まるで予定調和の邂逅。
「君もコレを?」
問いながら、骸は片手に引きずっていた男の頭を持ち上げてみせた。
もう跡形もない屋敷の主であった男。
数年前から抗争を繰り返しているマフィアファミリーの、ボス。
イヤホンからの照合確定の声を聞き、綱吉は片手を差し出して告げた。
「ソレは俺が説得中の物件だ。引き渡せ」
「クフフ、説得ですか、聞く耳も持たない愚者に」
「聞く耳つけることも俺の説得方法だ」
「なるほど、しかし返答は否です。コレは生かしておく意味がない」
「そんなこと言うな、意味は誰にでも、ある」
「相変わらずの理想論ですね」
振り下ろされた三叉槍が涼やかな音で空を裂く。
切っ先は真っ直ぐ、眉間に向かって。
「結果、面倒事ばかり抱え込んで、結構なことだ」
「別にいいだろ、好きでやってんだから」
「僕にその体を渡せば、苦労せずに済みますよ?」
「誰が渡すか。お前こそ全部俺に任せれば、」
「お断りします」
「だろうな」
足場を確認し、再び掌底を相手に向けて構える。
どちらの瞳にも冗談の色はない。
ただ相手だけを真っ直ぐに見据え、互いに笑みを浮かべる。
「少しは強くなりましたか」
「お前こそ弱くなってないだろうな」
「愚問です、ね!」
言葉が終わると同時に今度は骸が宙に舞った。
追いかけるように放った炎は夜闇へと消え、代わりに何本もの蔦が周りを囲み始める。
それは、彼が好んで咲かせる蓮の花。
ただの幻覚か、それとも有幻覚か。
考える暇があるなら。
絡まる蔦がドーム状になる前に、綱吉は真上へと飛び上がった。
幸いにも巨大な土台が綱吉には用意されていた。
血統と共に受け継ぐ組織と、組織を束ねるための地位と、地位を確固たるものにする両手の炎。
望みを、願いを、実現するための道具として。
触れることさえ恐れたそれに、綱吉はあえて手を伸ばした。
――掴むと同時に彼とは道を違えてしまったけれど。
思い通りにならない組織の頂点で、それでも綱吉はボンゴレの改革を果たした。
結果としてボンゴレはマフィアではなくなり、その規模も昔ほど大きいものではなくなった。
けれど、規模と反比例するように、ボンゴレは裏社会への影響力を強めていった。
いわゆる、少数精鋭の集団。
あるいは武力以外の説得力を手に入れて。
そして歳を重ねるごとに増す綱吉のカリスマ性に惹かれ、そして恐れ、反発する勢力は徐々にだが確実に減っていった。
三十路を少し過ぎた程度の若者に、世界はひれ伏し始めていた。
もはやそこに屋敷があったとは思えないほどの荒野にふたり。
互いに間合いを牽制しつつ、乱れた呼吸を整える。
一番最初の闘い以降、何度も決着のつかない争いを繰り返した。
理由は単純に、感情の問題だと、とっくの昔に自覚している。
綱吉は骸に殺意を持つはずがないし、骸は綱吉を傷つけるつもりがない。
そんなふたりが闘って、決着のつくことがあるだろうか。
ゆえに、この行為は互いを奮い立たせるための一種の儀式なのかもしれない。
強くなることに迷わないために。
己の弱さを直視するために。
そうあることを、間違いではないと、認めるために。
「……次で、決める」
「受けて立って差し上げます」
沸き立つ紺の炎。
爆ぜる橙の炎。
風が止んだ、瞬間。
駆ける。
深く踏み込んで。
交錯。
跳ね上がる金属音と。
胸倉を掴んだ拳に、すでに炎はなく。
――唐突に、鐘が鳴り響いた。
遠くの教会が日付が変わったと告げる音。
控えめだけれど、しっかりと響き渡る。
森の中に反響して。
やがて、余韻すら夜に溶けて。
再び訪れた静寂の中、綱吉はゆっくりと唇を離した。
けれど呼吸を共有するほど身を寄せたまま、見上げる。
十四歳の時よりはずっと近づけたけれど、結局追い越すことはできなかった。
この数センチが憎らしいと思いつつ、綱吉は間近に問うた。
「ルールは」
「ちゃんと覚えてますよ」
「言って」
「互いの誕生日と記念日は何があろうと休戦」
「今日は?」
「僕の誕生日ですね」
「ということは?」
どこか責めるような視線に笑い、骸は武器もない手を軽く上げてみせた。
「これで、一時休戦です」
「よし」
今度はしっかり抱きついて、キスを送る。
何度も、ついばむように、何度も。
「年々、積極的になってきますね」
「嫌かよ」
「クフフ、そう見えます?」
「んっ……」
最後に深く深く呼吸を絡めて。
互いに相容れない立ち位置を手に入れたけれど。
おかしなことに。
不思議なことに。
互いに幻滅することは一切なかった。
むしろ、違う道に足を進めていたなら、逆にそのほうが失望していたかもしれない。
骸が、マフィアを殲滅し、すべてを壊すことで世界の転生を願ったことを認めた上で。
綱吉は、マフィアを解体し、争いをなくすことで世界の復活を望んだ。
その果てに衝突があるとしても。
――どちらか片方が欠けただけで均衡を失う関係だとしても。
もう一歩先に進めば共存の道があると信じて。
「ということで、コレは俺がもらってくから」
邪魔にならないよう端っこに転がしておいた標的を片手で拾い上げ、綱吉は「確保」とイヤホンに話しかけた。
「な、今日は僕の誕生日なんですから譲りなさい」
「イヤでーす」
相手への気遣いなく引きずりながら来た道を戻る。
戦闘開始の合図と共に全員退避させていたので、ひとまず拠点まで戻らなければいけない。
「せめて契約を」
「だーめ」
奪い返そうとした手から逃げるように、早足に先へ進む。
「綱吉っ」
「俺の手の届く限り、俺は骸を止め続けるよ」
無理やり腕を掴もうとした手が止まり、色違いの目がわずかに見開かれる。
けれど、すぐに苦笑するように細めて。
骸はやれやれとため息をこぼした。
「相変わらず、君は甘い」
「でも、甘いの、好きだろ?」
「クフフ、そうですね」
完全に毒気の抜けた声音に、思わず顔がにやけてしまう。
ついさっきまで激しい戦闘をしていたというのに。
また歩き出して、数歩したところで綱吉はふと立ち止まり、振り返った。
怪訝そうにする骸に向かって。
充分に息を吸って。
最上級の祈りを込めて。
「Buon Compleanno! 骸、超愛してる!!」
そしてふたりはまた、二重螺旋のような運命を描く。