76 | 空気に含まれる甘味料の割合とは





『 空気に含まれる甘味料の割合とは 』








 特に何もない休日。
 同棲を始めた当初はお互い居場所が定まらずにぎこちない距離感を保っていたが、何年も一緒に過ごせば同じ空間にいることのほうが当たり前になってくるもので。
 ソファーの肘置きに頭を乗せる形で寝転がり、綱吉は胸の上に乗せるようにしてケータイを眺めていた。
 二人掛けのソファーに収まるには膝を曲げるしかなく、その隙間に脚を通す形で反対側には骸が座って読書していた。
 ちらりと視線を上げては、端正な横顔だよなぁとか思ってみる。
 どうして恋愛関係にまで発展したかなど、今となってもよくわからない。
 たぶんはっきりと恋に落ちた瞬間というものがお互いになく、思い返して、そういえばと気付いたような感じだったからだろう。
 それでも好きだという気持ちは明確に自覚しているし、ずっと一緒にいたいと願っている。
 もう離れては生きていけないほどに。
 ふと、気になるタイトルを見つけ記事を読み進んでいく。
「うわぁ、これすごい」
 思わず感想がこぼれる。
 しかし骸はただの独り言だと判断したのか、まったく反応もしてくれなかった。
 やや気に食わず、起き上がって骸の背中に流れる髪を掴む。
「見て」
「……何ですか」
 嫌そうに本を閉じた骸の目の前に、綱吉はケータイを差し出した。
 そこに表示された太字のタイトルは『チョコレートが湧き出る魔法の蛇口!』というもの。
 一瞬、色違いの瞳が光る。
「あ、やっぱり反応した」
「何ですかこれ」
 骸は綱吉の手からケータイを奪い、慣れた操作で記事を読み進めた。
 下へとスクロールして写真が表示される度に、読書を邪魔された不機嫌さが表情から消えていく。
 最初こそわからなかったが、観察して見慣れてくると骸の表情は実に読みやすいものだった。
 記事の内容は、骸の大好きなチョコレートの話題。
 バレンタインの期間限定で、どこかのアートギャラリーをチョコレート工場という体裁に改装したのだと。
 そして、そこでは目玉としてホットチョコレートの流れ出る蛇口が用意されているらしい。
 これで食いつかないわけがない。
 読み終わっただろう頃合いを見計らって、問うてみる。
「行きたい?」
 もちろん即答で返ってきた言葉は。
「行きましょう」
「だよなー」
 綱吉はケータイを取り返して、スケジュールを開いた。
 イベントはバレンタインデーまでと書いていたから、金曜の、その日までで空いている日はあっただろうか。
 一日ずつタイムスケジュールを確認して出た結論は無情なもの。
 ――これはちょっと、微妙かも。
 しかし骸はすでに行く気満々の様子だ。
 もう一度スケジュールを確認し、リボーンに言いつけられた仕事の内容を反芻し、それさえ処理できればと算段を付けて。
「……水曜、はどうだろう」
「わかりました」
 了承も早い。
 これは確実にスケジュールを空けておかないと、失敗すれば半殺しにされるレベルだ。
 ケータイを両手に挟んで、なんとかできますように――と祈ってから、綱吉は水曜のスケジュールに『デート』と書き足した。
 一方で骸は嬉しそうに自分のケータイでも記事を検索して、早速情報収集を始めていた。
 行くからには充分に楽しむつもりなのだろう。
 本当に、チョコレートに関しては全力というか何というか。
 普段は人の性格の甘さを馬鹿にする癖に、食べ物だけは甘党だというのだから変な話だ。
 甘い、の意味が違っていることは承知しているけれど。
 なんとなく指先で頬をつっついてやると、簡単に捕まって指を噛まれてしまった。
「ちょ、ばか!」
 慌てて手を回収して、そのまま仰向けに倒れる。
 まったく隙もない。
 再びケータイを操作しておもしろそうな記事がないか拾い読みしながら。
 ――ふと、思ったまま口にする。
「チョコ出る蛇口があれば水槽にチョコ溜められるよな……水槽が三メートルくらい深かったら……」
 並々と注げるような。
 もしかしたら固まるかもしれないけれど。
 いや、飲み物のチョコレートなら。
「そこに突き落とせば、お前幸せに死ねるよな!」
「ちょっと待ってください綱吉くんなぜそんな明るく殺害計画を語れるのか小一時間ほど問いたい」
 ケータイから顔を上げて息継ぎもなく言ってきた骸に、綱吉は小首を傾げて問うた。
「でもほら、幸せだろ?」
「そうですね絶頂の幸福感を味わえるでしょうが君は僕を殺す気ですか」
「うーん……」
「悩むな」
「あはは、冗談だよ」
「そう聞こえませんでしたけど」
 骸は眉根を寄せ、綱吉の片足を持ち上げながら脚の間に身を挟ませる形で覆い被さってきた。
「うわぁー、重いー」
 言いつつも笑って、倒れてきた身体を抱き留めてやる。
 さっき引っ張ったせいでズレたらしい髪留めを指でつまんで抜き取る。
 真っ直ぐで柔らかい髪はすぐに散らばり、薄いカーテンのように骸のうなじを隠した。
 反応が返ってこないけれど、心音でも聞いているのだろうか。
 綱吉は指で梳いてやりながら、蒼い髪に鼻先を埋めた。
 他愛ないじゃれ合い。
 よそから見れば恥ずかしいいちゃつきかもしれない。
 でも、お互いのぬくもりと匂いが、心から落ち着くものだから。
「……君でも、僕が死ぬこととか想像するんですね」
「するよ、何度かした」
「例えば?」
「うーん、何歳で死ぬかなーとか」
 以前に一度、大空の炎を持つ者は早逝すると言われたことがある。
 初代も、あまり長くは生きられなかったと。
 しかし遠い先祖よりずっと近くにいる自分の父親は、百五十歳まで生きるとか豪語していたから大丈夫のような気もする。
 九代目もまだまだ隠居生活を楽しんでいるし、ディーノさんや白蘭も、ユニもすごく元気だ。
 きっと今は昔と違うから。
「お互い長生きしたいよなぁ」
「爺臭い二十代ですね」
「うっさい」
 両腕で骸の頭を抱きしめる。
 独特の笑い声が聞こえて。
「あとに残されるのでなければ、僕はいつ死んでも構わない」
「じゃあ骸も長生きコースな」
「おやおや」
「俺は寿命で、死ぬつもりだから」
「クフフ、寿命ですか」
「骸と一緒に仲良く年取って、そんで布団の上で死にたい」
「腹上死」
「違う」
 目の前の房を根元から掴んで引っ張る。
 抜けない。
「あぁ、でも」
 仕方ないから手を離して、髪を指に絡めて遊ぶ。
「死ぬ時はそばにいてほしい」
「僕の目の届かない場所でなんて、死なせませんよ」
 はっきりとした声。
 骸は手をついて上体を起こすと、色違いの瞳でもってして真っ直ぐに綱吉を見下ろした。
 首筋から長い髪が流れ落ちてきて。
 檻に閉じ込められたような心地。
 ――悪くない、気分。
「そうだといいな」
 綱吉は髪を一筋絡め取り、唇に寄せた。
 骸がその手首を捕え、指に口付ける。
 それから、互いに重ねて。
 離れると似たような笑みが浮かんでいた。
「なんかしんみりしちゃったな」
「散歩にでも行きますか?」
「いっそ今日行っちゃう?」
 どこへとは告げていないのに、骸は表情を明るくして頷いた。
「いいですね、行きましょう」
 言わずとも通じる会話が嬉しくて。
 綱吉は離れようとする骸にぎゅっと抱きついて一緒に起こしてもらい、ソファーから降り立った。
 床に落としていたケータイを拾い上げてポケットに突っ込んで。
「混んでないといいな」
「そうですね」
 掛けてあったコートを取って。
 反対の手は繋いで。
 最後に部屋の明かりを消して。



 バレンタインデーには少し早いけれど、甘いデートを始めよう。






× × ×

30歳が近づいてきたぐらいの骸さんと綱吉さんの日常のようなもの。
のんびりまったり同棲していたら幸せですよね。
はぁ……むくつないとおしい……