子どもの頃に憧れていた、キザな男が言っていた。
「いいか、シニョリーナってのは何度好きだ愛してるだ言われようと、満足することはねぇ。高価な宝石だって、一週間でただの石ころになっちまう」
キザが過ぎて滑稽なようにも見えたが。
「だから、好きなヤツを振り向かせたかったら、言葉も物もたくさんポケットに持っとけよ。臨機応変に、駆け引きできるようにな」
それでもたぶん、いつも正しかった。
そして俺は今更に後悔する。
前触れもなく「好きだ」と言われた。
キスと共に「愛してる」と言われた。
けれど、それに返す言葉が思いつかなかった。
どんなにポケットをあさろうと、最初から入れてなどなかったから。
唐突すぎたからだ、とか。
そんな言い訳も、重い口ではどうにもならない。
準備も覚悟も怠っていたのは自分。
だから、今更に後悔していて。
だから、こんなにも不安が満ちていて。
好きと言えばいいだけの話。
「おいっ」
「ん?」
「す……っ」
「す?」
「す、寿司、が、食べたい」
「じゃあ今日は俺ん家で晩メシな」
そうじゃないだろ。
愛してると言えばいいだけの話。
「おいっ」
「ん?」
「あ……っ」
「あ?」
「あ、明日、は、雨らしいぞ」
「そうみたいなー」
違うだろそれは。
単純に簡単な言葉なのに。
どうしても喉から出ようとしない。
こんなに、苦しいのに――
「なーなー」
「何だよ」
食後の日本茶をすすりながら、山本はさらりと問うた。
「今日ずっと何か言いたそうだったけど、何か悩んでたりする?」
思わず湯呑みを落としてしまいそうになる。
「べ、別にっ」
「ないならないでいいけど、一人で抱え込むのはよくないっつーか、俺がさみしいのな?」
「はあ?」
「うん、悩むのはいいや。でもほっとかれるとさみしいから、せめて触れ合いだけは欲しいわけな?」
「……日本語で話せ」
あまりの理解不能な文法に、げんなりと言ってやると、山本はにっこりと笑って告げた。
「黙って俺の胸に飛び込んで来い?」
「果てろ!」
叫んで振り上げた拳は簡単にとらわれ、回され、体勢を崩したかと思うと――
「やっぱ、もうちょい肉付けないとなー」
山本の膝の上で、後ろから抱きしめられていた。
「ば、このっ」
「なぁ、獄寺」
耳元に真面目な声。
「獄寺が口下手なのは、俺が一番わかってるからさ、無理に言う必要ないからな?」
止まりそうになる呼吸。
首筋の熱い部分に触れる気配。
すべての苦しみを吸い取るかのように。
「その分、俺がたくさん愛の言葉ってやつを言わせてもらうからさ」
「――っ果てろ!」
「いたっ」
裏拳は防がれることなく、山本の額にヒットした。
悔しいことに。
本当に悔しいことに。
嬉しいと、歓喜する、早鐘の訴え。
言葉が喉を通るよりも早く、できることはひとつ。
抱きしめる力の弱まった腕をすり抜けて、押し付ける。
絡ませることも何もない、質素なキス。
ゆっくりと離れて。
「……何か、言うことは」
「すげぇ愛してる」
「もっとボキャブラリー増やしてこい馬鹿」
皮肉を吐いたらもう一度。
何も入れてなかったポケットを満たすほどの言葉を。
惜しみない愛情を。
不安を消してしまうほどに。
いつか倍にして返してやるよ。