仕方ない。
繰り返しても下がらない溜飲に苛立つ。
――悪ィ、その日は試合あっから。
部活なら仕方ない。
それでも苛立つのは、苛立つ理由がわからないから。
舌打ちひとつ。
ポケットに財布だけ突っ込んで、家を出る。
眩しい。
見慣れたグラウンドを走り回る影。
その内にひとつ。
応援に駆けつけた生徒に紛れ、隠れるように木陰に座る。
ボードを見ると、試合は7回裏1アウト、走者1・3塁の危機。
投げる。打つ。捕る。2塁がアウトに。1塁へ送球。まさかの暴投。
「あっ」
さざめきに似た短い悲鳴の連鎖。
走者は1塁を蹴って2塁へ。その間に3塁にいた走者がホームベースを踏む。
得点は6から7へ。点差は3から4へ。
防止の下に苦々しい顔。
秋になったとはいえ、グラウンドの中は暑いのだろう。
それでもアイツは笑って、声を出した。
「あとワンナウト! きばってこーぜぇ!」
複数の掛け声が続く。
「よくやるぜ……」
苛立ちはまだ消えない。
理由もわからず、いっそう胸に溜まる。
打ち上げられた球は投手のグローブに落ちた。
8回の表で点差を2点に縮め、裏で再び1点離され、9回表2アウト満塁の展開。
バッターボックスに立つ姿に、知らず、拳を握る。
ぐるぐると胸の内を回る何か。
なんとか正体を見極めようとしつつ、遠く、見つめる。
初球、ボール。打つもファール。ボール。ボール。内角ギリギリのストライク。
あっという間にフルカウント。
次がストライクなら、負けが決まる。
プレッシャーがあるはずだ。プレッシャーを感じてるはずだ。
それなのに、バットを構え直した姿に、表情に、迷いはなかった。
いつも見せる、飄々としていて、ムカつくほど不敵な。
俺は立ち上がると、木陰から出た。
ゆっくりと、グラウンドから離れる。
投手が振りかぶる。
応援席が息を呑む。
高く、音が、響く。
それは青空に弧を描き、そして、天に伸ばした手の中に、収まった。
一瞬の間、それから歓声。
傷だらけの白球。
視線を降ろすと、驚きを隠せない目をかち合った。
手の中の球を見せつつ、もう片方の手の親指を立てたまま、振り下ろしてみせる。
崩れるように笑う。
たぶん声を出して笑っているのだろう。
けれど、周りの声にかき消されて、耳には届いてこなかった。
流れは最終回裏になっても変わらず、相手に1点も返させないままゲームセットの声。
再び木陰に戻り、チーム全体で喜ぶ様子を遠目に眺める。
苛立ちはまだ残るが、少しだけ晴れた。
理由はまだわからない。
「ごくでらっ!」
応援席の端から回って。
「獄寺っ、来てくれたんだっ」
山本が小走りに駆け寄ってきた。
犬みたいに嬉しそうに。
「……邪魔したか」
「全然!」
即答かよ。
「むしろ、すげぇ、勝利の女神って感じなのな!」
「性別が違ぇ」
なんだよ女神って。
「つか、勝ったのは、お前がホームラン打ったから、だろ」
「獄寺がいたから打てたんだよ」
「打った後で気づいただろ」
「落ちた先に獄寺いて超ビビった」
ふわり。
抱きしめられる。
「すげぇ嬉しくなった」
「ばっ」
暴れてもがっちりホールドされてて、少しも離れられない。
試合のあとで疲れてるんじゃないのかよ。
どうして、俺の方が、力が入らない。
「ありがとなー」
「別に、何もしてねぇよ」
仕方ない。
抵抗をあきらめ、ため息と共に視線を落とす。
その先に。
「……なぁ」
「ん?」
「このボール、もらってもいいか?」
「ボール?」
傷だらけで、薄汚れてて、キャッチボールぐらいしか用途のない白い球。
空から落ちてきた、勝利の決め手。
山本は深く考えた様子もなく、単純に、簡単に頷いた。
「あぁ、うん、たぶん、問題ないと思う」
「そうか」
「って、あ、ごめんっ」
慌てて両肩を掴み、体を離す。
「服、汚れたままだった! すぐ着替えてくっからっ」
素早くきびすを返して走り出す。
「ちょっ、待っ」
伸ばした手は届かず。
番号の書かれた背中が。
苛立ち。
仕方ないとあきらめたもの。
わからない何か。
ふと、山本が振り返った。
「なぁ、今日、俺ん家来るよな?」
「なんでだよ」
「ごちそう用意してっからさ」
「なんでだよ」
「だってほら、今日は――」
鼓動が跳ねたせいで、耳が遠くなる。
楽しそうに笑いやがって、ムカつく。
「誕生日、おめでとう!」
走り去っていく姿を見送りながら。
苛立ちの理由。
木陰に座り込んで。
単純にも明快な原因。
服に残る泥と、少しの汗の匂い。
幼稚なわがまま。
認識すると苛立ちがいっそう増した。
違う、これは苛立ちじゃなく。
白球を握りしめ。
聞く相手もいないのに、文句は勝手に口からこぼれた。
「もっとちゃんと祝いやがれ……!」
この胸にあったもの。
それは、単なる独占欲。