まったく律儀な奴だ。
言われた通りに、廊下側の窓から中庭を見下ろしているが。
そこから見えるのは一通りの、あるいは様々な光景。
アイツが小さな袋を渡しながら謝り、次々に現れる女子がそれに対し各々感情的な反応を返す。
大半は笑っているが、たまに泣いたり怒ったりする女子もいた。
なんでこんなの見させられるのか。
意図はわからないが、たぶん、理由は熱に浮かされてこぼした愚痴。
今思い出しても死にたくなる。
あんなこと――
ちょうど女子が途切れたところで、山本がこっちに手を振ってきた。
「授業始まっぞ、アホが」
「山本、大変そうだね」
「バカなだけっスよ」
「獄寺くんはお返しとか、しないの?」
「誰からかもわからねぇし、時間の無駄っス」
一ヶ月前にもらったチョコのほとんどが送り主不明の物だった。
山本が預かった分は、誰からか忘れたとか抜かしやがるし。
何だよそれ、とか思ったが、あれだけの量なら仕方ねぇか、とも思った。
「十代目は、どうされるんですか?」
「え、俺?」
十代目は少し考え、それから俯きつつ小さな声で仰った。
「どうって……普通に、渡すつもりだけど……」
幼い顔が赤く染まる。
見てるこっちまで照れてしまいそうな。
「あ、山本戻ってきたみたい!」
廊下の向こうから走ってくる姿に、十代目は急いで駆け寄っていった。
誰が十代目にチョコ渡したか知らないが、お返しがもらえるとは幸せな奴だ。
「ごっくでらーっ」
「ンだよひっつくな!」
俺は山本に回し蹴りを食らわせ、十代目とともに教室に戻った。
……お返しか。
一階の、中庭側の壁にもたれるように座りながら、タバコ代わりの飴をかじる。
頭上の窓からは、静かな会話が風に乗って流れてくる。
「――うん、ごめんな」
「気にしないで――」
同じやりとりが何度も繰り返される。
山本いわく、これがケジメらしい。
文字通り、すべてを「返し」て、たったひとつを残すための。
そして、その心の中に残る唯一。
それは。
「……わっかんねぇ」
嬉しいのか悲しいのか。
喜ぶべきか怒るべきか。
判断が狂う。
確かにあのとき、熱でアタマがやられて、本音を呟いた。
小さな独占欲の塊。
まさか、受け入れられるとは思ってなかった。
だってこの感情は、自分でも戸惑うほどひどく、汚らしい。
「ごっくでらー」
窓の外から伸びてきた手が頭上に置かれる。
「触んなっ」
その手を振り払って立ち上がりながら、
「もう終わっ――」
山本の顔を見た瞬間、絶句した。
「あはは、怒らせちまったのな」
真っ赤に腫れた左頬。
「ふざけないで、バシーンって感じで」
無意識に伸ばした、手の平に熱。
じわりと。
「あ、獄寺それ冷たくて気持ちいい」
そう言って山本は手を重ね、目を閉じた。
……あぁ、そうか。
わかった。
――罪悪感。
俺があんなこと言わなければ、こんな怪我をすることはなかった。
誰かを傷つけ、泣かせることもなかった。
それが悲しいと、良心が痛む。
なのに、嬉しいとも感じる。
他の全てを切り捨てて、唯一に選んでくれた。
他者を傷つけてでも、受け入れてくれた。
それが嬉しいと、独占欲が歓喜する。
反するふたつの感情が同時にあふれて。
苦しさに泣きそうになる。
どうすればいい。
「獄寺?」
瞼が持ち上がり、真っ黒な瞳が向けられる。
そこに映るのは自分だけ。
そう、俺だけだ。
「なんで泣きそう」
「後悔しないのか?」
言葉を遮って、気持ちをぶつける。
「俺を選んだって、俺は何も、何も返せないのに」
享受して、甘受して、奪うだけ奪い取って。
「俺はお前に何も、残せやしないのに」
ただただ欲しいと訴える。
「それでも――」
不意に。
夕焼けの色を遮って、柔らかいものが触れた。
「……なぁ、獄寺」
武骨な指が髪を撫でて過ぎ、顔を挟むように両頬を包み込む。
俺の手とは違って、温かい。
「俺のこと、好き?」
「なっ」
「答えて」
笑ったまま、声だけが真剣な色を帯びる。
俺は躊躇いつつ、けれどはっきりと頷いた。
「あぁ」
「俺の全部やるっつったら、嬉しい?」
「……あぁ」
「怖い?」
「――っ……怖ぇ。本当に、全部奪っちまいそうで、なのに、」
山本のシャツを強く握りしめる。
「なのにそれが嬉しくて、嬉しくなる自分が怖くなる……」
エゴにまみれた悪循環。
こんなモノが自分の中にあるなんて、知らなかった。
それでも欲しいと思うなんて。
こんな汚い独占欲の塊なんて――
「うん、それでいいのな」
一瞬、頭が真っ白になる。
「…………は?」
いつの間にかうつむいていた顔を上げると、山本はやっぱり笑っていた。
「嬉しいのも怖いのも、俺を好きだからだろ? それで十分なのな」
「な、意味が、わかんねぇよ」
「うーん、だから、なんつーか……」
頬から手が離れたかと思うと、優しく抱きしめられた。
心臓が跳ねる。
「こうして獄寺を腕の中に抱ける、それだけで、もう十分、俺は幸せなんだよ」
「……わけ、わかんねぇよ」
「あはは」
言葉の意味も、その意図も理解できなかったけれど。
じわじわと。
冷たくて暗い、思いモヤみたいなものが消えてゆくのを感じる。
「――っ」
不意に泣きそうになり、吸い込んだ唇を強く噛む。
これ以上、無様な姿を見せてたまるか。
しょうもない意地ではあるが。
それに、泣くよりも他に、することがあるだろう。
こんな馬鹿な俺を受け入れてくれるなら。
この選択を後悔させないために。
「いい加減離せこのアホが!」
「うぐぉっ」
頭突きで怯んだ隙に、半歩分距離を取りつつ胸倉を掴んで、引き寄せる。
「んぐっ」
相手の目を真っ直ぐに見つめて。
そらすことを許さない視線で。
密接に触れ合ったら。
突き飛ばすように、手を離す。
「さっさと帰んぞ!」
「え、えっ?」
濡れた唇を拭うこともできず、目を白黒させる。
なんだよ、そのアホ面は。
キスなんて初めてじゃないだろ。
俺は足元のカバンを拾うと、さっさと昇降口に足を向けた。
「ちょ、獄寺っ?」
「置いてくぞ、バーっカ」
「待っ、ごくでらぁ!」
窓の外を慌てて走る足音。
それを聴きながら、緩む頬をつまんで引っ張る。
早く立て直さねぇと、またあのアホを調子づかせちまう。
「ったく」
悩んでたのが馬鹿らしくなる。
でも、また悩むんだろう。
何度も。
不安に駆られて。
その度にアイツは、抱きしめてくれるだろうか。
……そうだと、いいな。
そのためにも。
「追いついた!」
「くっつくな!」
「なんで?」
「歩きにくいんだよ!」
「え、じゃあ抱き上げて」
「果てろ!」
「えー、じゃあ手ェ繋ぐのは?」
「……仕方ねぇな」
できることから、やっていこう。