うたた寝。
夢うつつ。
半覚醒の。
「――と……――?」
起きているような。
ゆらゆら。
目を閉じたままの闇。
音はどこか途切れ途切れで。
こめかみに触れる気配。
「―――?」
ここは。
時間は。
重い瞼に触れ、笑う声。
誰。
――あぁ、そうだ。
ゆっくりを目を開ける。
「おはよう?」
すぐ近く、目の前で、武は嬉しそうに笑った。
「疲れた?」
手のひらにソファーの弾力。
自分の家、リビングのソファーだ。
窓枠は見慣れた夜景を縁取っていて。
「……寝てた」
あくび。
なんでこんなとこで寝てんだっけ。
何してたっけ。
パーティ。
そうだ、誕生日の――
一気に目が覚める。
「っ、十代目はっ!?」
「ツナならもう帰ったぜ?」
「な、なんで起こさねぇんだよ!」
「ん、だって、『起こさなくてもいいよ獄寺くん昨日までずっと仕事だったんだもん寝かせてあげようよ』ってツナが」
わざわざ口調も真似て。
「じ、十代目……!」
なんて慈愛に溢れた方なんだと感涙する一方で、見送りもまともにできない自分を恥じる。
せっかく、忙しい業務の合間を縫って、恐れ多くもボス自ら、誕生日を祝ってくださったというのに……!
「ツナは気にしてねぇと思うぜ?」
「だけど……」
「ほら、もらったプレゼント見てみようぜ?」
言って、武は視線で俺の横を指した。
顔を向けると、ソファーの上には大小さまざまな包みが重ねられていた。
直接もらったもの、誰かが預かってきたもの、届けられたもの。
自分の誕生を祝福するもの。
多少納得いかないものの、十代目には後日お礼申し上げるとして。
「……おう」
俺は大人しく頷いた。
順番に包みを解いていく。
十代目からはクラシックの、俺が好きな指揮者のDVD。
姉貴からはシルバーのネックレスとブレスレットのセット、シャマルは葉巻なんてキザな品で。
あと、笹川兄弟からは食器をもらい。
「食器は助かるな、だいぶ減ってきてたから」
「うるせ」
他にも着ぐるみやら観葉植物やら、猫用のおもちゃなんてのもあった。
全部ソファーの周りに広げていって。
「さすが右腕、愛されてんのなー」
「テメェに言われるとなんか腹立つ」
「はは、じゃあ最後は俺のな」
それまで犬のようにソファーの足元に座っていた武は、不意に、俺と向かい合う形で、片膝を床についた。
驚く視線の先で、ポケットから小さな箱を取り出す。
細いリボンをほどいて。
「隼人」
武は半分に開いた箱を差し出した。
銀色の。
飾り気のないシンプルな。
細身の。
例えるならそれは。
まるで――
「あー、その、あのさ、」
少し、上擦った声。
こいつでも緊張するんだな、と頭の端で思う。
「隼人は、その、こういうカタチ、好きじゃないっぽいけど、」
左手を取られる。
「でも、日本じゃ、法的にも無理だし、だからせめて、カタチだけでも贈らせてほしい」
それは薬指を淡く飾り。
胸をひどく締めつけた。
あの人の手にはなかったもの。
あの人が望んでいたかもしれないもの。
あの人はあえて選ばなかったもの。
あの人には――
唐突に、体の中で何かが弾けて広がる感覚。
それは喉や胸に詰まって。
ひどく苦しくて。
なのにさらに広がって。
広がって。
唇を噛む。
「……怖い?」
頷いたまま、俯く。
怖い。ひどく怖い。
自分だけが手に入れてしまって。
果たして許されるのか。
無知が犯した罪は。
「……隼人」
しっかりと左手を握って。
真っ直ぐに目を見つめて。
わずかに、微笑んで。
武は、優しく、言葉を紡いだ。
「怖いなら怖いでいい。全部まとめて、受け止めるから。俺に、隼人の全部……抱きしめさせてほしい」
溢れた。
苦しさに。
嬉しさに。
両手を伸ばして。
ソファーから落ちて床の上。
離れられず。
首に回した腕に力を込めて。
しがみつく。
「……これ、返事として受け取っても?」
「聞くな」
「うん、ありがとう、今までずっと一緒にいれくれて、ありがとう」
武は笑って、
「これからもずっと、死ぬまでずっと一緒に、いてくれな」
俺をきつく、きつく、きつく抱きしめた。
「――ということで」
ソファーに座り直し、武もすぐ隣に腰を降ろした。
「明日からのハネムーンについて」
「は!?」
「やっぱ結婚したらハネムーン」
「ちょ、待っ、仕事どうすんだよ!」
「あ、そうだ、忘れてた」
ソファーに引っ掛けたままの上着から封筒を一枚。
「ツナからもうひとつ、プレゼント預かってたんだった」
中から抜き出したのは細長いチケット。
よく見えるように、その両端をつまんで。
「明日から一週間の休暇と一緒に」
「なっ――」
それは、飛行機の往復チケット。
行き先は、もちろんイタリア。
用意周到すぎて、もはや言葉も出ない。
というか、十代目が、ボス自ら、俺らのためにここまでしてくださったなんて。
「嬉しい?」
「き、聞くな」
「うん、楽しみなのな」
頷くことはしなかったが。
実際、仕事の関係なく向こうへ渡るのは初めてで。
一度、十代目をご案内したことがあるだけで、ろくな観光もしたことがない。
改めて巡るイタリアはまた変わった顔を見せてくれるだろうか。
あの場所も――
「隼人の母さんにも、報告に行かないとな」
「――っ」
左手を握ったまま。
肩を寄せ合ったまま。
「幸せにしますって」
じわ、と鼻が痛くなる。
隠そうとしたら頭ごと引き寄せられた。
胸に押しつけられて。
ぬくもりと、鼓動。
もし、あの人の幸せが。
俺の存在に続いているなら。
もしも。
俺の存在そのものが報いとなるなら。
シャツを握りしめて、顔を上げる。
「……それをいうなら、なる、だろ」
「なる?」
「い……一緒に、幸せになる、んだよ……」
言ってる内に恥ずかしくなって、視線をそらせる。
肩に置かれた手が僅かに震えて。
次の瞬間には、
「っ隼人! 愛してるぜ!」
「ぅわっ」
力加減なしに抱きしめてきやがった。
「ばっ、苦しっ」
「幸せになろうな、いっぱいいっぱい、幸せになろう」
心の底から嬉しそうに。
いつだって幸せそうに。
この数年で感化されてしまったものだと、思いながら。
「……当然だろ」
左手を重ねて。
誓いのキスを。
「――さて、」
そのまま首筋に落ちようとした頭を遮って、俺はソファーから降りた。
「え、ちょ、」
「明日出発なんだろ」
「そ、そうだけど」
「さっさと準備するぞ」
「え、隼人、初夜はっ?」
「ばっ」
反射で、その頭を殴りつける。
「いたっ」
「し、そ、なの、するか! 果てろ!」
もう一発見舞って、俺はリビングを後にした。
慌てて追いかけてくる足音。
流れから背中に抱きついてくるんだろうと予測しながら。
左手を見下ろして。
俺は――
あの人が願ったものを。
俺ができることを。
精一杯の。
感謝を。
わたしの小さな世界は。
あなたの優しさで満ちていた。
あなたの笑顔が生きがいだったの。
ピアニストを夢に抱く少女。
それがわたしだった。
「ラヴィーナ、私、貴女のピアノが好き」
いつもそう言ってくれる親友の結婚式。
わたしは喜んで演奏をプレゼントした。
それが出会いだった。
「ラヴィーナ、彼が貴女の演奏を気に入ってくれて」
「応援したいんですって」
「私も貴女を応援したい」
彼女は大天使ガブリエル様のように優しい女性で。
彼は大天使ミカエル様のように強い男性で。
わたしは彼らに祝福されるように。
ピアニストの夢を追い続けていた。
それで十分のはずだった。
「ラヴィーナ、貴女はとても素敵な女性だもの」
「彼が好きになったのもしかたないわ」
「もし私が男だったら、貴女と結婚したかったぐらいよ」
どうして笑っていられるの?
この罪を許せるの?
どうして優しくできるの?
罪を犯したわたしを。
「ラヴィーナ、泣かないで」
「貴女が悲しいと私も悲しい」
「ねぇ、ラヴィーナ、笑って」
「貴女が嬉しいと私も嬉しい」
泣いて。
泣いて。
そして理解した。
カタチなんていらない。
繋がりもいらない。
もう、何も望まない。
「おめでとうラヴィーナ!」
「きっとラヴィーナによく似た子よ」
「ビアンキも楽しみですって」
「神様にもお願いしたの」
「元気な子が産まれてきますようにって!」
私の大天使ガブリエル様。
ううん、聖母マリア様。
どうか、この子に、祝福を。
「……嘘、よね?」
「ううん、嘘じゃないわ。冗談でもない」
「でも、そんなことっ」
「わたしね、この子を、おかあさんのいない子にしたくないの」
「何、言って……」
「おかあさんがいなくなる悲しみも、知ってほしくないから」
「ラヴィーナ!」
わたし、知ってた。
この病気がもう治らないことを。
本当は知っていたの。
誰よりも先に、天へ召されることを。
だから。
「産まれてきてくれて、わたしの元に来てくれて、ありがとう」
小さな命を抱きしめる。
涙が止まらない。
それでも微笑む。
わたしは聖母マリア様にはなれないけど。
「あなたの、おかあさんは、あの人よ」
「あなたの、おとうさんは、あの人」
どうか彼女のように優しい子に。
どうか彼のように強い子に。
「あなたの名前は、はやと、隼人、可愛い子……」
どうか。
どうか。
「ら、ヴぃーな?」
「ラヴィーナさん!」
「今日もピアノを教えて!」
「みんな上手ってほめてくれたよ!」
「ぼくね、」
あなたの笑顔が生きがいで。
あなたの優しさで満たされて。
わたしの小さな世界は。
「ラヴィーナさんのこと、いちばん、大好きだよ!」
本当に、幸せでした。