10-1 | かごめかごめ



『 かごめかごめ 』





 夢を見る。
 夢を見る。


 地下に潜む摩訶不思議。


 落ちれば最後。
 お日様とはお別れ。



 ようこそ × × × 。
 ここは君だけの世界――






 陽気で退屈な昼下がり。
 誰もが読書に勤しんで、日向を駆けることもしない。
 わたしは姉さまの本を覗き込んで、すぐに視線を庭に戻した。
 読めない漢字ばかり。頭が腐ってしまいそう。
 何か面白いことはないかしら。
 鞠つきも花摘みもいつもと同じ。
 何か違うことを。
 退屈なんて忘れてしまう何か――
「大変じゃあ、遅れてしまう!」
 草陰を過ぎる、真っ赤な瞳の真っ白なうさぎ。
 若葉生い茂る季節にありえない色。
 人の言葉を話すうさぎ。
 それよりも、もっと気になるのは、その姿。
 うさぎは立派な紋付の裃を着ていたのだ。
 袂から金色の懐中時計を取り出して時間を確かめ、再び走り出す。
「あぁ、遅れてしまう、大変じゃあ!」
 服を着たうさぎ?
 まだ短い時間しか生きてないけれど、そんなの、初めて見た。
 おかしいこと、この上ない。
 わたしは知らず、庭に降りて駆け出していた。
 退屈とは違う、非日常を追いかけて。



 庭を抜けて、垣根をくぐると、そこは林の中。
 いた。
 浅葱色の後姿を見つけたと思うと、うさぎは大木の根本に消えてしまった。
 巣穴だろうか。
 それほど大きくもないが、通れなくもない。
 わたしは迷うことなく、穴の中に入ることにした。
 暗い。
 何も見えない。
 終わりがあるのかもわからない。
「戻ろう、かしら……」
 もう少しだけ、と腕を動かしたとき――
「きゃ――」
 両手が空気を掴んだ。
 浮遊感。
 地面がなくなったのだ。
 ということは、落ちているのだろうか。
「ど、どうしよう」
 わたしは周りを見回してみた。
 襖や障子、違い棚の床の間。
 見慣れた風景が、すべて下から上へと流れ、見えなくなっていった。
「やっぱり、落ちてる……!」
 どうしよう。
 どこまで落ちるのかわからないけど、きっと怪我じゃすまない。
 木から落ちたことが一度だけあるけれど、あのときよりもずっと痛いはず。
 下を見ても、あるのは底なしの暗闇。
「地面の下にあるのは――」
 姉さまが読んでいた漢字だらけの本に書いてあった。
「死者の国」
 岩で塞いだ、地下の世界。
 そこには死んだ者しかいない。
 青白い顔の住人を思い浮かべ、わたしは恐ろしさに身をすくませた。
「それとも、地獄、かしら」
 地獄には罰を与える鬼がいるという。
 いつかに見た地獄絵は、それはそれは恐ろしかった。
 あんな痛い思いをするのだろうか。
 そう思うと、泣きそうになってきた。
「どうしよう。嘘をついたから、舌を抜かれてしまうのだわ」
 流れた涙は上へ。
 わたしだけが下へ落ちてゆく。
 もっとちゃんと謝ればよかった。
「ううん、もしかしたら、戻れるかもしれない」
 そのときに、ちゃんと謝れば、許してもらえるかもしれない。
 そうだ。悩んでいても、どうしようもない。
 わたしは何か、楽しいことを考えることにした。
「そういえば、たまにご飯をあげたかしら」
 短いしっぽの三毛猫。
 鼠を捕まえるのが得意だけど、少しやんちゃの過ぎる猫。
 障子を破って怒られてなければいいけど。
 父さまの大事なお皿を割ってしまったときは――
「きゃ、あ!」
 小枝の折れる音。枯葉の散る音。
 落ちる、音。
 ぱらぱらと葉っぱが降ってくる。
 それを見ながら、わたしは底に着いたことを知った。



 結構な音がしたと思ったけれど、怪我も何もないようだ。
「ここは……?」
 見上げた先にあるのは遠い暗闇のみ。
 登ろうとしても、きっと無理だろう。
 井戸よりもずっとずっと深い場所なのだから。
 あきらめてあごを引くと、白い漆喰の壁に挟まれた空間があった。
 手の平には板張りの床。
 廊下だろうか。
「あっ」
 ずっと先に、さっきの白うさぎが走っていく姿が見えた。
 どうしようとか考える前に、駆け出す。
 庭で聞いた声と同じ声。
「困った、大変じゃあ、どんどん遅くなってしまっておるわぁ!」
 もう少しで追いつく。
 そう思って角を曲がると――
「……いない」
 どこにも白うさぎの姿はなかった。
 四方を襖に囲まれた、広い広い部屋。
 どこかに入ったのかしら。
 一番近くの一枚に手をかけてみるが、微塵も開こうとはしなかった。
 誰かが向こう側に棒でも挿しているのだろうか。
「一体、どこにいったの?」
 見失っては追いかけることもできない。
 しかたなく、開かない襖にそって歩き続けていると、豪奢な燭台を見つけた。
 その上には蝋燭でなく、小さな金色の鍵。
「鍵のかかった扉が? でも、そんなのどこにもないし」
 見渡す限り、松や梅を描いた襖ばかり。
 襖に鍵をかけるなど聞いたこともないが、どこかに開く襖でもあるのだろうか。
 ひとつひとつ丁寧に確かめながら、一周してみるが、
「どれも開かないじゃない!」
 出られない。
 どこへも行けない。
 まるで閉じ込められたよう。
「――い、嫌だ、どこか、どこかにっ」
 そのとき、すらりと襖が滑った。
「開いた、けど……?」
 すぐに細長い格子の戸に塞がれていた。
 涼しい風、花の匂い、緑豊かな庭園。
「わぁっ」
 格子の先には見たこともない景色が広がっていた。
 けれど、格子の隙間は狭くて、外に出られそうにない。
 これでは本当に、座敷牢に閉じ込められてしまったようだ。
「違う、違う、違う」
 呟きながら視線を下に落とす。
 床と格子が触れる場所に、四角い小さな木戸がはめ込まれていた。
 小さな錠前と、反対側には蝶番。
「まさか、ここの鍵?」
 試しに差し込んで――回った。
 カチリ、と軽い音を鳴らせて、錠が外れる。
 木戸は指先で軽く押しただけで簡単に開いてしまった。
 開いたけれど。
「こんなの、通れるわけないわ」
 腕は通っても、体が通らない。
「鼠ぐらい小さければ、もしかしたら通れるかもしれないけど」
 実際には、わたしは鼠のように小さくないし、猫や犬よりもずっと大きい。
「せっかく出られると思ったのに……」
 うつむくと、ぽたりと小さな雫が落ちた。
 それはひとつでは終わらず、続けていくつもの雫が水溜りを作り始めた。
 袖を濡らして、畳を濡らして、それでも雫はあふれてくる。
 外に出られない。
 上にも登れない。
 どこへも行けない。
「嫌だぁ」
 泣いたってどうにもならないことを、わたしは知っているのに。



 どれほど泣いていたかわからないけれど、ふと、遠くから近づく足音に気がついた。
 慌てて涙を拭う。
 これでも武士の娘、人前で泣くことは許されない。
 しっかり背筋を伸ばして周りを見回すが、襖に囲まれた部屋には誰の姿もない。
 違う、この足音は、草を踏む音だ。
 はっと格子にしがみついた瞬間、白いうさぎが目の前を通り過ぎた。
「おぉ、急がねば、おぉ、あの御方を待たせるわけには!」
 長い袴を不器用にさばきながら、えっほえっほと走っていく。
「――ま、待って!」
「ひっ」
 うさぎはしゃっくりのように飛び上がって、それから一目散に逃げ去ってしまった。
「ちょっと、どうして、待ってよ!」
 叫んだって、もう影すら見えない。
「待って、置いてかないでよぅ」
 小さな扉から手を伸ばしても、小さな扇子を拾っただけ。
 あのうさぎが落としたものだ。
 こんなもの拾っても、どうにもならない。
 止まったはずの雫がまたぽたぽたと落ち始めた。
 さきほど作った水溜りからあふれて、小さな川になって外へと流れる。
 こんなにこんなに泣いてるのに、どうして誰も助けてくれないの。
 帰りたい。
 帰りたいだけなのに。
 ぎゅっと扇子を握りしめると、何かがおかしい、そんな感じがした。
 自分の手を見てみるが、変わったところはない。
 いや、扇子が大きくなっている。
 違う、部屋全体が大きくなっている。
 いや違う、大きくなっているのではない。
「わたし、小さくなってる!」
 理由や原因を考える間にも、体はどんどん小さくなり、周りの物は巨大化していく。
 ふと、すっかり大きくなった扇子が目に入った。
 これを持っているからだ。
 わたしは慌てて扇子を放り投げた。
 すると、体は縮むのを止め、目の前にはちょうどいい大きさになった木戸があった。
「外に出られる!」
 体が小さくなったことは確かに一大事だけど、そのおかげで外に出られる。
 はやる気持ちと一緒に足を踏み出すと同時に――
「きゃあ!」
 水音も大きく、深い川の中へと滑り落ちてしまった。
 口に入り込む水は塩辛い。
 これでは川ではなくて海だ。
 だから泣いてはいけないというのに。
 なす術もなく流れに身を任せていると、忙しい水音が聞こえてきた。
 誰かが泳いでくる。
 大きな影。あれは鯨か何かだろうか。
 やっと目で見えたと思うと、わたしは声を上げた。
「やだ、ねずみ!」
 こんな巨大な鼠なんて初めて見る。
 そうか、今、わたし、小さくなっているから。
 この鼠も海に落ちてしまったのかしら。
「……あの、この海の、出口を知っていますか?」
 けれど鼠は何も聞こえなかったかのように、一心に泳ぎ続けていた。
「あの、ちょっと、聞いてるの?」
 我関せずといった体(てい)。
 言葉が通じないのだろうか。
 鼠の言葉なんて、そんなの知るわけがない。
「たまなら猫だから、少しはわかるかしら」
「ねこ!?」
 長いしっぽが勢いよく水面を叩いた。
「言葉がわかるの?」
 それなら話もできる。
 わたしは急いで言葉を繋いだ。
「あのね、たまというのはね、わたしの飼ってる猫で、とても頭がいいのよ。いつもたくさん鼠を――」
「猫の話などたくさんだ! 猫など、凶悪で、非道で、たまったもんじゃねぇ!」
「あっ」
 目の前にいるのは鼠なのだった。
 猫の話題なんて、怒るのは当然だ。
「ご、ごめんなさい。もう、猫の話はしないから」
「本当か?」
「本当よ、約束するわ」
「……だったら、ふん、岸まで連れてってやるよ」
 鼠はそう言って、わたしの前にしっぽを差し出した。
 掴まれ、ということだろうか。
 おそるおそるしっぽを握り締めると、鼠は短く鼻を鳴らした。
「それから、ふん、なぜ俺が奴らを嫌うのかをしっかりと聞かせてやる」
 引かれるままに進んでいくと、やがて海はほととぎす、雄鶏、鴨や鷹、他にも見たことのない動物でいっぱいになっていた。






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