近所にある古い理髪店。
洒落た美容院とかじゃなくて、赤と青と白のポールがくるくるしてる散髪屋。
でも、店主は不釣合いなほど若くて、くやしいほどハンサムだったりする。
「そんじゃ、今回も遊んじゃっていいんだ? 実流(みのる)」
いつもの軽快な口調に、俺はこくりと頷いた。
「りょーかい」
初めてここに来たのは四年前。
あることがあって、無性に髪を切りたくなって駆け込んだのが始め。
シャキン。
「それで? 今回は誰さんにフラレたの?」
そう、俺は失恋する度にここに来ていた。
髪を切るために。
「……剣道部の、柳原先輩」
「ほぉう。初の運動系」
シャキン。
演歌をバックミュージックに、合わないリズムで鋏が鳴る。
でも、今となってはそれが一番落ち着く組み合わせ。
俺は胸の中のどうしようもないものを吐露するように、言葉をこぼした。
「思い切って、今日、告白したら、」
シャキン。
「先輩、受験だからって、断られた」
シャキン。
「あと、自分より小さい、男には、興味ないって……」
ぼろ、と涙がこぼれ落ちる。
「うぅぅ」
「泣け泣け。タオルは余るほどある」
ケープがあるせいで両手は使えず、涙は拭われずにぼたぼたとその上に落ちてゆく。
切り落とされた髪がはらはらと水溜りに沈む。
シャキン。
気持ちも髪と一緒に切り落としてしまえればいいのに。
「ほら」
最後は冷たいタオル。
受け取って、腫れた瞼を冷やす。
「まぁ、あれだよ。他にもっといい人がいるさ」
かさかさと箒で掃く音。
目を閉じた暗闇に、石鹸の匂い。
「……晃さん、美容院とかのほうが向いてるよ、やっぱり」
「あっはっは」
本音だったのに、冗談とばかりに笑い飛ばされた。
人柄も技術も最高で、外見も文句なし。
憧れ。
そんな一言に収まりきらないぐらい。
「俺、もう好きになんの、やだなぁ」
「おいおい、そんなこと言うなって」
切りたての感触を楽しむように撫でまわされる。
「いつか、ほら、運命の人ってやつに出会えるさ」
何か思いついたのか、そのまま整髪剤でいじり始める。
大きくてごつい男の手なのに、動きは繊細で丁寧。
「でも……身長低いし、細いし、かっこよくないし」
「まだまだ成長期が何言ってんだか」
くつくつと低い笑い声。
心地よく耳に滑り込んでくる。
「俺、晃さんみたいだったらよかったのに」
「あっはっは。惚れるなよぅ」
「えっ―――」
不意に、鏡越しに視線が合ってしまった。
迂闊だった。
冗談だろって流せ。今からでも。遅くないのに。
「〜〜〜〜〜っ」
俺は鏡の中から目を逸らして、逃げ出すように出口に向かった。
だって、
鈴が大きな音を立てて響き渡る。
「おいおいおい」
俺はまだ扉の中。
すぐ目の前には晃さん。
「逃げる前に、さっきの意味教えてくれよ」
扉に押し付けられ、晃さんの両腕で退路を絶たれる。
「い、言いたくないから、逃げるんじゃ、ねぇかよ」
「そりゃそうだが」
わかってるなら放してくれよ。
離れてくれよ。
そんなに近くにいられたら―――
「頼む。教えてくれ。さっきの意味って」
止められないじゃないか。
「ば、ばかばか、ばっかじゃねぇの!?」
俺は顔を見られたくなかったし、見たくもなかったから、俯いたまま叫んだ。
「はぁ? 年上に向かって馬鹿とは」
「なんでわかんねぇんだよ! 逃げるのは、逃げたのはっ」
せっかくただの客から友達ぐらいまで、なれたのに。
「図星だからだよ!!」
でも、こんな接近は、求めてなかった。
怖くて、求められなかった。
「おいおい……マジかよ……」
嫌われた。
気持ち悪いって思われた。
同性で、俺でも信じられないのに。
「そんなの……もっと早く言ってくれよ」
―――間。
「は?」
おそるおそる視線を上げると、うっすらと赤い顔があった。
「え、まさか、晃さん?」
「まさかだよ。そうだよ。その通り」
「俺の、こと……?」
返事は少し引きつった、照れ隠しのような笑み。
そんな。
「ば、ばかばかばか!」
「だから年上に向かって馬鹿とは」
「もっと早く言えよばか!」
「早くって」
頭の中は真っ白で、でも言葉は次から次にこぼれ落ちた。
「もっと早く言ってれば、俺、こんなに失恋すること、なかったんだぞ!?」
「んな、責任転嫁な」
「最初から、一目惚れで、あんたに会うために―――」
がば、と口を押さえる。
でももう遅い。
「なんだかなぁ」
くつくつと低い笑い声。
ゆっくりとうなだれて、額が合わさる。
睫毛の先。
「あ、晃さん?」
「ほんと、もっと早く言やぁよかったなぁ」
吐息が唇にかかって、心臓が跳ね上がる。
どうしよう。
どうしよう。
まさかこんな展開になるなんて。
心の準備?
そんなのどこにもありやしない。
目の前の顔が笑う。
少年のような、初めて見る笑顔。
「実流、俺も一目惚れ。ずっと好きだったよ」
どきどきする。
4年間の遠回りなんてどっかに飛んでってしまうぐらい。
「晃さ―――」
BGMは古い演歌。
ムードも何もへったくれもない。
でも、甘いと思ってしまった。
思ってしまったらもう遅い。
「ううぅ」
「な、泣くな泣くな」
涙を吸い取る、柔らかい感触。
「エロいぃ〜」
「え、エロいとか言うな!」
両手で顔を挟まれてるせいで、逃げることも叶わない。
いや、でも、逃げるつもりはもう、ないんだけど。
「……つか、この程度でエロいとか言ってくれるな」
「晃さん……」
そういえば、4年前って俺、中一じゃん。
「ショタコン?」
逃げたくなった。
「本気で引くなよ! 違うからな!?」
焦った表情。
思わず笑ってしまう。
ついさっきまであんなに泣いて、怖がっていたのに。
なんてあっけない。
「晃さん、」
初恋破れて駆け込んだ先の、失恋を繰り返した後の、予想外の恋愛成就。
運命みたいな。
「好き」
いつでも演歌の流れる理髪店。
年寄りの、男性しか来ないような散髪屋。
でも、店主は不釣合いなほど格好よくて最高の、
俺の恋人。