01 | cutting heart



『cutting heart』




 近所にある古い理髪店。
 洒落た美容院とかじゃなくて、赤と青と白のポールがくるくるしてる散髪屋。
 でも、店主は不釣合いなほど若くて、くやしいほどハンサムだったりする。


「そんじゃ、今回も遊んじゃっていいんだ? 実流(みのる)」
 いつもの軽快な口調に、俺はこくりと頷いた。
「りょーかい」
 初めてここに来たのは四年前。
 あることがあって、無性に髪を切りたくなって駆け込んだのが始め。
 シャキン。
「それで? 今回は誰さんにフラレたの?」
 そう、俺は失恋する度にここに来ていた。
 髪を切るために。
「……剣道部の、柳原先輩」
「ほぉう。初の運動系」
 シャキン。
 演歌をバックミュージックに、合わないリズムで鋏が鳴る。
 でも、今となってはそれが一番落ち着く組み合わせ。
 俺は胸の中のどうしようもないものを吐露するように、言葉をこぼした。
「思い切って、今日、告白したら、」
 シャキン。
「先輩、受験だからって、断られた」
 シャキン。
「あと、自分より小さい、男には、興味ないって……」
 ぼろ、と涙がこぼれ落ちる。
「うぅぅ」
「泣け泣け。タオルは余るほどある」
 ケープがあるせいで両手は使えず、涙は拭われずにぼたぼたとその上に落ちてゆく。
 切り落とされた髪がはらはらと水溜りに沈む。
 シャキン。
 気持ちも髪と一緒に切り落としてしまえればいいのに。


「ほら」
 最後は冷たいタオル。
 受け取って、腫れた瞼を冷やす。
「まぁ、あれだよ。他にもっといい人がいるさ」
 かさかさと箒で掃く音。
 目を閉じた暗闇に、石鹸の匂い。
「……晃さん、美容院とかのほうが向いてるよ、やっぱり」
「あっはっは」
 本音だったのに、冗談とばかりに笑い飛ばされた。
 人柄も技術も最高で、外見も文句なし。
 憧れ。
 そんな一言に収まりきらないぐらい。
「俺、もう好きになんの、やだなぁ」
「おいおい、そんなこと言うなって」
 切りたての感触を楽しむように撫でまわされる。
「いつか、ほら、運命の人ってやつに出会えるさ」
 何か思いついたのか、そのまま整髪剤でいじり始める。
 大きくてごつい男の手なのに、動きは繊細で丁寧。
「でも……身長低いし、細いし、かっこよくないし」
「まだまだ成長期が何言ってんだか」
 くつくつと低い笑い声。
 心地よく耳に滑り込んでくる。
「俺、晃さんみたいだったらよかったのに」
「あっはっは。惚れるなよぅ」
「えっ―――」
 不意に、鏡越しに視線が合ってしまった。
 迂闊だった。
 冗談だろって流せ。今からでも。遅くないのに。
「〜〜〜〜〜っ」
 俺は鏡の中から目を逸らして、逃げ出すように出口に向かった。
 だって、


 鈴が大きな音を立てて響き渡る。
「おいおいおい」
 俺はまだ扉の中。
 すぐ目の前には晃さん。
「逃げる前に、さっきの意味教えてくれよ」
 扉に押し付けられ、晃さんの両腕で退路を絶たれる。
「い、言いたくないから、逃げるんじゃ、ねぇかよ」
「そりゃそうだが」
 わかってるなら放してくれよ。
 離れてくれよ。
 そんなに近くにいられたら―――
「頼む。教えてくれ。さっきの意味って」
 止められないじゃないか。
「ば、ばかばか、ばっかじゃねぇの!?」
 俺は顔を見られたくなかったし、見たくもなかったから、俯いたまま叫んだ。
「はぁ? 年上に向かって馬鹿とは」
「なんでわかんねぇんだよ! 逃げるのは、逃げたのはっ」
 せっかくただの客から友達ぐらいまで、なれたのに。
「図星だからだよ!!」
 でも、こんな接近は、求めてなかった。
 怖くて、求められなかった。
「おいおい……マジかよ……」
 嫌われた。
 気持ち悪いって思われた。
 同性で、俺でも信じられないのに。
「そんなの……もっと早く言ってくれよ」

 ―――間。

「は?」
 おそるおそる視線を上げると、うっすらと赤い顔があった。
「え、まさか、晃さん?」
「まさかだよ。そうだよ。その通り」
「俺の、こと……?」
 返事は少し引きつった、照れ隠しのような笑み。
 そんな。
「ば、ばかばかばか!」
「だから年上に向かって馬鹿とは」
「もっと早く言えよばか!」
「早くって」
 頭の中は真っ白で、でも言葉は次から次にこぼれ落ちた。
「もっと早く言ってれば、俺、こんなに失恋すること、なかったんだぞ!?」
「んな、責任転嫁な」
「最初から、一目惚れで、あんたに会うために―――」
 がば、と口を押さえる。
 でももう遅い。
「なんだかなぁ」
 くつくつと低い笑い声。
 ゆっくりとうなだれて、額が合わさる。
 睫毛の先。
「あ、晃さん?」
「ほんと、もっと早く言やぁよかったなぁ」
 吐息が唇にかかって、心臓が跳ね上がる。
 どうしよう。
 どうしよう。
 まさかこんな展開になるなんて。
 心の準備?
 そんなのどこにもありやしない。
 目の前の顔が笑う。
 少年のような、初めて見る笑顔。
「実流、俺も一目惚れ。ずっと好きだったよ」
 どきどきする。
 4年間の遠回りなんてどっかに飛んでってしまうぐらい。
「晃さ―――」
 BGMは古い演歌。
 ムードも何もへったくれもない。
 でも、甘いと思ってしまった。
 思ってしまったらもう遅い。
「ううぅ」
「な、泣くな泣くな」
 涙を吸い取る、柔らかい感触。
「エロいぃ〜」
「え、エロいとか言うな!」
 両手で顔を挟まれてるせいで、逃げることも叶わない。
 いや、でも、逃げるつもりはもう、ないんだけど。
「……つか、この程度でエロいとか言ってくれるな」
「晃さん……」
 そういえば、4年前って俺、中一じゃん。
「ショタコン?」
 逃げたくなった。
「本気で引くなよ! 違うからな!?」
 焦った表情。
 思わず笑ってしまう。
 ついさっきまであんなに泣いて、怖がっていたのに。
 なんてあっけない。
「晃さん、」
 初恋破れて駆け込んだ先の、失恋を繰り返した後の、予想外の恋愛成就。
 運命みたいな。
「好き」


 いつでも演歌の流れる理髪店。
 年寄りの、男性しか来ないような散髪屋。
 でも、店主は不釣合いなほど格好よくて最高の、
 俺の恋人。