組織の地盤も固まり、他のマフィアが自主的に傘下に入るようになった頃。
大きな抗争が減少する一方で、奇襲や暗殺が増加した。
いまだ血生臭さから離れられない。
「霧、最近目を隠さなくなったね」
石畳をリズムよく鳴らして歩きながら、彼が言った。
無意識に前髪を耳にかけていたことに気づくと同時に、わずかに驚く。
「……そう、ですね」
紺色の左目より、やや赤みがかって紫に近い右目。
人間には珍しいオッドアイというもの。
他人の目から隠すためだけに伸ばしていた前髪。
「そういえば、そうですね」
それを次の休みには切ろうかと考えるほどに。
この瞳がコンプレックスでなくなっていたなんて。
「最初はうつむいてばっかでさ、プリーモ以外の誰とも話そうとしなかったし」
踊るように振り向いて、無邪気に笑う。
「霧も大きくなったよねぇ」
「いつの話ですか」
ばつの悪さに顔をそむける。
彼の言っていることは本当だ。
最初、出会う前、地獄を見た過去。
今でも明確に思い出せる、濁り腐った世界。
この色違いの瞳は両親にさえ嫌われていた。
いや、嫌われる方がまだましであることを自分は知っている。
実の両親に売られ、動物のように檻で飼われた日々。
そう、怖いのは好奇の目。
人間を平気で売買できる人間の目。
鉄格子の向こうから、この瞳の価値を値踏みする。
もう二度と太陽を見ることはできないと思ったときに、出会った。
金色に揺らめく、美しい光。
冷たい檻を溶かして、差し伸べられた手。
あたたかな――
ちりと肌を焦がすような感覚に、ジョットを抱き寄せる。
次の瞬間、石畳で何かが爆ぜた。
確認せずとも経験でわかる――狙撃されたのだ。
「やはり、来ましたね」
「うん」
物陰、窓、屋上、複数の人影と殺気。
ゆらりとオレンジ色の炎がともる。
「援護しろ」
死ぬ気の炎をまとう彼はまさに無敵。
頼もしさに笑みを浮かべながら、霧は得意の三叉槍を構えた。
「御意に」
生きていく世界と共に与えられた使命。
すべてをとして、すべてを捧げて。
戦場に舞い散る炎。
その背中を守るために。
彼の近く、倒れた男がわずかに動く。
鈍い光。
「ジョット!」
鮮やかな、赤。
「霧!」
肩を掴まれ、強引に振り向かせられる。
「撃たれたのか!?」
「いえ、大丈夫です」
返り血で服を汚してしまったが。
「さすが雷ですね」
どこに隠れているかはわからないが、彼の狙撃に狂いはない。
雷のごとく、一瞬で打ち抜く。
「おかげで助かりました」
「怪我は、ないのだな?」
「はい」
「そうか」
安堵の息と共に力の抜けた身体を抱きとめる。
すでに何者の気配も殺気も感じられない。
逃げ出した者も、他の守護者によって消されているだろう。
「疲れましたか?」
「最後に、どっと疲れた」
「最後?」
「霧が私を庇って撃たれたのかと、寿命が縮む思いだよ、もう」
炎の消えた手が伸びてきて、頬を伝う返り血を拭う。
彼の心配は、仲間を思ってのことだろうか。
自分自身を想っての言葉なら、嬉しいのに。
「しかし、この身体も命も、貴方を守るために存在するので」
「自己犠牲を喜ぶような人間に、私は守護者の名を与えたわけではないよ」
真っ直ぐに見上げてくる真剣な瞳。
少しでもそらすことを許さない。
「……拾っていただいた日に、この身体も命も貴方のために使うと、誓いました」
「拾ったと言っても、あのときは人身売買をしている組織を潰すことが目的だったし」
「それでも、僕にとって、ジョットは命の恩人です」
一生をかけても、きっと返しきれないほどの恩を。
与えられたすべてに報いるために。
惜しいものは何もないのに。
「恩など、いらない」
彼は悲しそうに首を振った。
「義理も何もいらない。ただ、そばにいるだけでいい」
握りしめられ、スーツに皺が寄る。
身体が硬直する。
どうすればいいか、わからない。
何を求められているのかも、判断がつかない。
「……ジョット?」
「霧を拾ったのは、共に生きるためだ」
「生きる……」
「だから、私のために死ぬことは許さない」
最後まで、最期の一瞬まで。
隣にいることを。
そうか、自分は許されたのか。
「……わかりました」
そっと手を取り、閉じた瞼に当てる。
檻から出て最初に見た空の色。
夜の紺と朝の朱を混ぜた、深い紫色の空。
嫌い呪っていた瞳と同じ色。
夜明けの空の下で、彼は微笑んで言った。
ただ一言、綺麗だと。
それだけで救われた気がした。
それだけで充分だった。
彼がいれば、それだけでいい。
永遠の忠誠を。
「決して貴方を残して死なないことを、誓います」
「うん、それでいい」
満足そうな笑み。
長い前髪をすくって、過ぎる。
「じゃあ、帰ろっか」
「はい」
長いマントをひるがえし、彼は再び石畳をリズムよく鳴らし始めた。
その背について霧も歩き出す。
共にあるために。