「ねぇ、キミ」
塾の帰り道。
ふと顔を上げるが、誰もいない。
「そう、キミだよキミ」
声に引かれるように振り向くと、知らない人が立っていた。
第一印象は白。
肌も髪も、服すらも病的なほど白いのに、なぜか不思議と、彼らしいと思った。
高校生くらいだろうか、外国人の年齢なんてわからない。
「こんにちわ」
「こっ……こんにちは……」
「この近くの子?」
頷いていいものか逡巡する。
知らない人と話しちゃいけないと教えられたし。
最近は男子中学生でも誘拐される話を聞くし。
「あは、超警戒されてる」
彼は笑って、目の高さを僕に合わせた。
瞳が青い。
氷みたいだ。
「僕は白蘭。花の名前なんだ。知ってる?」
「ランなら、知ってます……」
「さすが物知りだね。キミの名前は?」
「……い、入江……正一」
「じゃあ正チャンだね」
初対面なのに友人のように馴れ馴れしく。
この人、何?
「僕さ、知り合いの家、探してるんだけど」
「知り合いの家?」
「うん。正チャンはサワダっていう人、知ってる?」
「沢田さん?」
思い当たるのは近所に住む一家と、同じクラスの女子。
学校で聞かれたなら後者と考えそうだが、ここは道の真ん中で、自宅の近くでもある。
なら、教えるのは前者。
「沢田さん家なら、この筋の、あの家ですけど」
「あれ?」
「はい」
外からでは在宅中かわからないが、家がわかればあとは自分でどうにかしてくれるだろう。
これ以上することはない。
ていうか関わりたくない。
そう思って帰ろうとすると、彼が再び笑顔を向けてきた。
「正チャンさ、宇宙に興味あるの?」
「は、え?」
予想外の質問に、変な声が出た。
「な、なんで、ですか?」
沢田さん家に行くんじゃないのかよ。
「それ、僕も持ってる」
指差された腕には、図書館から借りてきた分厚い本。
表題には『よくわかる宇宙科学』と書かれている。
中身は高校生か大学生向けみたいで、今の僕には少し難しい。
「宇宙っておもしろいよね。どんどん広がって、どんどん離れてく。ねぇ、始まりって何だったんだろうね?」
「始まり……ビックバン?」
「正チャンは賢いね! そう、ビックバン。その爆発はなぜ起こったのかな?」
そんなの知るわけがない。
この本だって、まだ全部読んだわけじゃない。
「……ぐ、偶然?」
「必然」
屈めていた腰を伸ばして、夕焼けに染まり始めた空を見上げ、笑う。
「存在するすべてには存在するだけの理由がある。それはつまり必然だよ。なぜ、必然なのかな」
学校で流行った理不尽な謎かけより難しい。
きっと哲学とか、そういう話なんだ。
だから僕は正直に答えるしかなかった。
「僕には、わからない、です……」
「だよね。うん、仕方ないよ」
怒ることも落胆することもなく、彼は笑って僕の頭を撫でた。
「僕だってまだ、確信がないんだもん」
まるで、もうすぐ確定できるとわかっているような物言い。
「……あなたは、学者か何かなんですか?」
「まさか!」
けたけたと笑う。
「学者なのは正チャンの方だよ」
「は?」
「早く大きくなって、もっと賢くなって、すごく素敵になったら」
青い双眸を細めて。
寒気を感じさせるほど美しく。
「また、来るよ」
彼は微笑んだ。
そういえば。
この人、出会ったときから笑顔しか見せていない。
ぞくりと。
違和感が恐怖に変わる。
どうして笑う?
怯える気配が伝わったのか、彼は小首を傾げ、
「どうしたの、正チャ――」
突然鳴り響く、軽快なメロディ。
エレクトリカル・パレード。
それは薄い携帯電話から響いていた。
「あーあ、呼び出しだ」
嫌そうに笑い、終話ボタンを押す。
「もう戻らなきゃ」
その言葉に、僕はほっと胸を撫で下ろした。
やっと解放される。
「正チャン、ありがとね」
「え、別に、お礼言われることなんて」
「ダメだよ。こういうのは素直に受け取らないと」
ふっと視界が真っ白に染まる。
頬に触れる感触。
左目元の刺青。
「――っ!?」
慌てて頬を押さえる。
目の前に笑顔。
キス。
知らない人にキスされた。
いや、外国人だから当たり前なのか?
同性でもありなのか?
わからない。
意味がわからない。
その反応が楽しかったのか、彼はクスクス笑いながら。
「Grazie、またね」
ひらりと手を振って。
軽く身をひるがえして。
沢田さん家とは反対方向へと消えてしまった。
目的はどうしたんだよ。
それに。
「またねって……」
通りすがりに偶然道を聞かれただけの関係で言うセリフじゃない。
なのにどうしてだろう。
僕は彼と再会する気がしていた。
いつか。
その内。
彼が見つけた必然に、
捕まってしまうのだろう。
そんな気がしていたんだ。