その日は天気がとてもよくて、あたたかくて。
スペードは庭先にテーブルとイスを持ってこさせ、書類整理に勤しんでいました。
それもこれも仕事もせずに書類ばかり溜め込む誰かさんのせいですが、文句を言っても積み上がった書類は減りません。
なので仕方なく、スペードは誰かさんがサインもしくはチェックだけで済むように嫌々ながらも取り計らうのでした。
「んー、それにしても暖かいですね」
淹れたばかりの紅茶を一口含んだとき、庭を何かが横切りました。
金色の。
見間違えようもなく。
「ジョット!?」
おかしな長い耳が頭頂にくっついていましたが、今、庭を駆け抜けたのは、間違いなくこれら書類を片付けなくてはならない張本人でした。
「あなた……仕事もせずに何ふざけた格好してるんですか!?」
頭にきたスペードはすぐさに、茂みに消えた姿を追って駆け出しました。
茂みを乗り越え、木々の間を抜けると、ちょうど太い樹の根本に飛び込む金色の影が見えました。
どうやら樹の洞の中にウサギの巣穴があるようです。
「ジョット! 出てきなさい!」
しゃがみこんで穴に呼び掛けますが、反響するのみで応えは返ってきません。
「かくれんぼしてるわけじゃないんですよ!?」
わんわんわん、とただスペードの声だけが響きます。
どうしたものか考えながら身を乗り出したとき――
「ひゃっ」
くるりと前転するように、スペードは穴の中に転がり落ちてしまいました。
「きゃあああぁあっ!?」
真っ暗なトンネルの中を。
落ちて。
落ちて。
落ちた先には。
「いたたた……」
スペードが顔を上げると、そこには、見たことのない廊下が続いていました。
「ここは……どこでしょう……?」
あちこちに色んな形の扉があります。
試しに手近なノブを回してみますが、鍵がかかっているのか全く開きませんでした。
「まさか閉じ込められ……?」
廊下の先に金色。
「ジョット!」
スペードは慌てて駆け出しました。
しかし複雑な廊下の中、すぐにその姿を見失ってしまいました。
「ったく、逃げ足の早い……!」
八つ当たりに近くの壁を蹴った時。
――コツン。
何やら木戸を叩いたような音がしました。
「んー?」
見ると、その壁だけカーテンがかけられています。
スペードは試しにそのカーテンをめくってみました。
「これは……」
そこには、小さな子どもがやっと通れるかと思うぐらい小さな扉が隠れていました。
扉には、その小ささに対してアンバランスなほど大きな鍵穴があり、扉の向こうを覗き見ることができました。
「……予感はしていましたが」
森を脱兎のごとく走り去る姿。
スペードは苛立たしげに壁を殴りました。
すると。
――スコン。
「いたっ」
脳天に何かが落ちてきました。
「な、なんですかっ!?」
それは床を転がって、スペードの足に当たりました。
どうやら小さな瓶のようです。
スペードは瓶を拾い上げ、そこについているタグを読みました。
「わたしを飲んで?」
中身はピンク色の液体です。
不穏な気配しかしません。
しかし、出現したタイミングから何かの打開策かもしれないと考え、スペードは躊躇いながらも、瓶の縁を唇に当てました。
ひとくち。
「……いちご味」
すると、なんということでしょう、みるみるスペードの体が小さくなってゆくではありませんか。
「なっ、なんでっ、ちょっ!?」
しかも対照的に、着ていた服が巨大化するようにブカブカになってゆきます。
どこまで小さくなってしまうのか、このままでは自分の服で溺れてしまいます。
恐怖にきつく閉じていた目をゆっくり開けると、あれほど小さく見えた扉が、少し屈めば通れそうなほど大きくなっていました。
スペードが四苦八苦しながら服の中から脱出し、腕に絡む服を振り落として見ると、
「ん、んー?」
そこには小さくて可愛らしいぷにぷにの手がありました。
見回してみると、どうにもつま先がいつもよりずっと近いように感じます。
「まさか……」
スペードは慌てて両手で体を叩きながら確認し、最後に両頬をつまみました。
ぷに、という触感。
「若返りの薬!?」
それから、なぜか服装もフリルのかわいいワンピースに変わっていました。
「なっ、何なんですかこの奇天烈な展開はっ!?」
叫ぶように問うても、答えてくれる人なんてここにはいません。
「なんで幼児なんですか、なんで女装させられるんですか、意味がわかりません……」
しかし、嘆いている暇はありません。
スペードは脱げてしまった服を丁寧に畳んでから、ちょうどいいサイズになった扉を開けて外に出ました。
「え?」
扉の下は川でした。
「ひああああっ!?」
豪快な水音を残して、スペードはあっと言う間もなく流されていってしまいました。
「はぁ、はぁ、死ぬ、かと……」
なんとか岸に這い上がって呼吸と鼓動を整えていると、急に視界が高くなりました。
「ひゃわっ!?」
「何かと思えばスペードではないか」
「な、ナックル! おお降ろしなさい!」
わたわたと短い手足をばたつかせても、大人のナックルには少しも届きません。
「お前は変わった格好が好きだな」
「これは私の趣味ではありません! 降ろしなさい!」
「しかし男がスカートとは奇抜だな」
「これは不可抗力です! 降ろしなさい!」
「ちょうどいい、頭数が足らんで困っておったのだ」
「人の話を聞け! 今すぐ降ろしなさい!!」
「なんだ、究極怒りん坊だな。よーしよし、たかいたかーい」
「きゃあああっ!?」
ナックルはあやすようにスペードを高く持ち上げました。
「ひ、ひっ、ひどくっ、侮辱された気分ですっ……!」
涙目で小刻みに震えるスペードを、落ち着いたものと納得したのか、ナックルは地面に降ろしてあげました。
それと同時に、ナックルの足元にたくさんの子どもたちが駆け寄ってきました。
口々にナックルを急かします。
「そうだったな、スペード! お前も参加してくれるな?」
「な、何にですか」
「かけっこだ! 背丈もこいつらと同じくらいだし、俺が入るよりずっといい」
「な、なぜ私が」
「よーし、よーいどんと言ったらスタートだからなー」
「だから人の話を聞け!」
ガリガリと木の枝で地面に線を引き、子どもたちが横一列に並ぶと、
「よーい、どん!」
スペードの意見を完全に無視して、ナックルはかけっこをスタートさせました。
一斉に駆け出す子どもたちに動揺していると。
向こう側、ゴールの先に。
「ジョット……っ?」
なんと、ずっと探している姿が見えるではありませんか。
スペードは慌てて、子どもたちに混ざって駆け出しました。
どれほど走ったでしょうか。
森の木々に阻まれ、スペードは再び見失ってしまいました。
「本当にっ……逃げ足だけは速いっ……」
あきらめてとぼとぼ歩いていると、目の前に大きなキノコが現れました。
その上には緑色の毛玉のついた寝袋が転がっています。
「まるで芋虫のようですね」
スペードはキノコの縁に手をかけて背伸びをし、精一杯伸ばした手で芋虫の頭を叩きました。
「起きなさいランポウ! ランポウ!」
「んあー、眠いものねー」
「……んー、どうやら永眠したいようですね」
「ひぇぇっ起きた! 起きたものね!! ……て、あれ? ちっちゃい?」
ランポウは寝袋を着たまま、のそのそと縁まで寄ってきました。
「ぶあははは! デイモンちっせ痛い!」
「私を侮辱するからです」
「いたっ、痛い! やめるものね!」
「鬱憤が溜まってるんです解消させなさい」
「いたっ、ちょっ、八つ当たりだものね!?」
ひとしきり毛玉を叩いたのち、スペードは問いました。
「ジョットを見ませんでしたか?」
「ひっ、ひっく、ひどいものね、いじめっこだものね……」
「ジョットを、見ませんでしたか?」
にっこり笑いながら寝袋の胸倉を掴んで引き寄せると、ランポウは慌てて向こうを指差しました。
「見た! あっち! 走ってったものね!!」
「あっち?」
「あっち!」
「嘘じゃないでしょうね」
「本当だものね!」
「んー、まぁいいでしょう。嘘ならどうせ知れることです」
「ひぃっ」
恐怖に震えるランポウを離して、スペードは顎に手を当てて考えました。
指差された方向は、確かにジョットが駆けていっただろう方向と同じです。
違っていても戻って殴れば済む話。
スペードはランポウの言う通りに進むことにしました。
「あぁ、それと」
「何だものね!?」
「この体を元に戻す方法など知っていたりしますか? まぁ、期待はしてな――」
「それならこのキノコを食べるといいものね」
「――え?」
「このキノコの左側が大きくなるキノコだものね」
スペードは絶句しつつも、思い切り毛玉を叩きました。
「痛い!? なんで!?」
そして、とりあえずランポウの言う通り、もぎったキノコを少しだけ食べてみました。
しっかり咀嚼して飲み込むと同時に、なんということでしょう、スペードの体はみるみる大きくなり、元の大きさへと戻ることができました。
しかも、今回は服も一緒に大きくなりました。
「なんで女装のままなんですか……っ!?」
「痛い!」
「屈辱です……っ!!」
「やめて!」
気の済むまで毛玉を叩いてから、スペードはベソかいてるランポウを無視して、再びジョットを追いかけることにしました。
しばらく森を進むと、急にひらけた場所に出てきました。
「ここは……?」
どこかの庭先のようで、長い長いテーブルの上にはお茶会のセットが並べられていました。
「おや、デイモンではござらんか」
「その珍妙な話し方は……」
テーブルの端へ目を遣ると、縦に長い帽子を被り、着物という衣装を身にまとった雨月が座っていました。
雨月はにこやかに手招きして言いました。
「ちょうどお茶を楽しんでいたところでござる、一緒にいかがか?」
「……まぁ、一杯ぐらいなら」
喉が渇いていたこともあり、スペードは大人しく雨月の近くに腰掛けました。
雨月は慣れた手つきでポットからカップにお茶を注ぎ入れ、スペードの前に差し出しました。
「ありがとうございます」
「構わぬでござる」
そして、席に戻ると再びお茶を飲み始めました。
どちらも何も言わないまま、静かに時間だけが過ぎるようです。
「――って、悠長にしてる暇はないんですよ!」
「ジョットを探しておるのか?」
「んー、あなたは話がわかりやすくて助かります。どこに行ったかご存知で?」
「ジョットならこれを忘れて、向こうに行ってしまったでござるよ」
「忘れ物?」
雨月は着物の袖から懐中時計を取り出し、スペードに渡しました。
「これは……」
「よければジョットに届けていただけぬか?」
「まぁ、ついでですし」
「感謝いたす」
スペードは残りのお茶も飲んでしまってから、懐中時計をポケットの中に入れて立ち上がりました。
「向こう、ですか?」
「あぁ、向こうでござる」
「わかりました。ありがとうございます」
「気をつけて」
にこやかに手を振る雨月に別れを告げ、スペードは再び森の中へと駆けてゆきました。
森の奥へ進むにつれ、暗く不気味な雰囲気になってきました。
さすがのスペードも少し足取りが重くなってしまいます。
「どこへ行ったんですかジョット……」
「城に行ったぜ」
「え?」
声のした方向がわからず辺りを見回していると、再び声が降ってきました。
「ジョットなら城にいるはずだ」
「G!」
ちょうど頭の上の枝に、Gが煙草をふかしながら座っていました。
「城とはどういうことですか」
「城は城だろ、おら、向こう見やがれ」
煙草を挟んだ指で示された先には、立派なお城がそびえ立っていました。
「あんな城、いつの間に……」
「ずっとあっただろ」
「は? 何言っ……G?」
「なんだよ」
「頭に何かついてますが」
「頭?」
Gは煙草をくわえ、両手で自分の頭に触りました。
「……何もついてないぜ?」
「いえ、ついてますよ、耳が」
「耳なんて誰にでもついてんだろ馬鹿か」
「ばっ、失礼ですねだからあなたは嫌いなんですよ!」
「テメェに好かれても嬉しくねぇっつの」
煙に乗せてけたけたと笑います。
「なっ、なっ……!」
スペードはGのいる木の幹を蹴って、頭上のGを指差しました。
「ちょっと降りてきなさいそのおかしな猫耳ひっこ抜いてあげます!」
「降りてほしかったらそのキモい女装なんとかしやがれ」
「できたら苦労しませんよ!!」
「ジョットもまたおかしな趣味してるぜ」
「まさかこれジョットの仕業ですか!?」
「あっ」
しまった、と言うようにGは口を押えました。
「……まぁいつものことじゃねぇか」
「いつものことだから余計に、余計にぃ!!」
もう何が言いたいのかすらわからなくなってきました。
とにかくもう我慢の限界です。
スペードはポケットの中の懐中時計を握りしめ、Gを睨みつけました。
「城ですね、ジョットは城にいるんですね!?」
「たぶんな」
「はっきりしてください!」
「あー、いるいる、ぜってーいっ!?」
投げた懐中時計が見事にGの頭に直撃しました。
「て、めっ、この野郎!」
落ちてきた時計をすかさず受け止め、スペードは全速力で駆け出しました。
「待ちやがれ!」
背中に怒声がぶつけられましたが、弓をひく音も聞こえたので、スペードは一切振り返らずにその場をあとにしました。
バラ園に駆け込んだところで、スペードは植え込みの陰に座り込みました。
立てた膝に額を落として、呼吸を整えます。
「はぁ、無駄に疲れました……」
「そんな座り方するとパンツ丸見えだよ」
「ひゃああ!?」
まさか人がいると思っていなかったスペードは、慌てて足を降ろしてスカートを押えました。
顔を上げると、そこにはアラウディが冷めた表情をして立っていました。
頭に赤い宝石をあしらった王冠を被っていて、何やらとても偉そうです。
「スペード柄とか、え? 君そこまで自己主張するタイプだったのキモい」
「は!? そんな柄、あぁっ! またジョットの仕業ですか!」
「しかも何それ女装とか、え? 君そういう趣味だったのキモい」
「このっ、こっ、あぁもぉGといい腹立たしい人たちですね!」
アラウディはスペードを見下ろしたまま、静かに手錠を取り出しました。
「猥褻物陳列罪で逮捕するよ」
「さすがに傷つきました!」
「がっちゃん」
「それは口で言うことじゃないでしょう!?」
「連行して裁判するよ。きびきび歩いて」
「ちょ、待っ!?」
抵抗する間もなく、スペードはアラウディに引っ立てられてしまいました。
「なぜ私が裁判にかけられなきゃいけないんですか!」
「色々あるけど、今日報告としてあがってきたものだけでも……」
コートの内側から書面を取り出し、アラウディは朗々と読み上げました。
「理不尽な暴力行為、無害な市民への投石行為」
「あいつら……っ!」
「あと猥褻物陳列罪」
「それは完全なる冤罪です!」
「着いたよ」
何やら薄暗く、重々しい空気に支配された部屋に入ると、アラウディは被告人席に蹴り入れたスペードがきゃんきゃん喚くのを無視して、裁判長の席に着きました。
鐘を打ち鳴らし、よく通る声で宣言します。
「これよりD・スペードの裁判を始める」
「冤罪です!!」
「証人、前へ」
アラウディが手を挙げると、どこからかナックルが姿を現しました。
「俺は別に言うことがないのだが……」
「何でもいいよ」
「……しいて言うなら、スペードがかけっこの途中でいなくなったせいで参加賞の菓子が一袋余ってしまったな」
「頭数ってそっちの話だったんですか!?」
「被告人うるさい黙って」
「なっ、ん!?」
突然、背後から伸びてきた手がスペードの口を塞いでしまいました。
「んんっ、ん? んー!!」
その手の持ち主は無理やり振り向いたスペードと目が合うと、楽しそうに微笑みました。
首を傾げた拍子に、頭頂の耳がぴょこんと揺れます。
「続けるよ。次の証人」
今度はランポウが現れ、すでに泣きながら訴えました。
「あいつ俺様に八つ当たりしてきたものね! 頭たんこぶだらけだものね!!」
「まぁ殴りたくなる気持ちはわかるけど」
「ひどいっ」
「はい、次」
雨月が出てきましたが、特に言うことはないようで困ったように笑っていると、後ろにいたGに押しのけられました。
「とりあえず二発殴らせろ。倍にして返してやらねぇと気が済まねぇ」
「何したか話してくれないと」
「道教えてやったのに人の頭に物ぶつけやがったんだよ」
「恩を仇で返したわけだね」
アラウディはしばらく考えてから、再度鐘を打ち鳴らしました。
「じゃあ次、弁護人」
「うむ」
スペードの背後に立つ者は、やっと口から手を離しました。
「ぷはっ、ちょっと! 何するんですか!?」
スペードは胸倉を掴み上げて叫ぶように、その名を呼びました。
「ジョット!!」
器用に金色の長い耳でぺしぺしとスペードの頭を叩き、ジョットは両手を軽く挙げました。
「デイモンが話すと先に進まないじゃないか」
「だっ、だって、こんなっ」
「うんうん。俺に任せて少し黙ってろ」
「なっ、ちょっ、ジョット!?」
ジョットはスペードを抱きしめて黙らせ、アラウディを見上げました。
「言いたいことはたったひとつだ」
「……何?」
ふっ、と不敵に微笑み、ジョットは言い放ちました。
「かわいいは正義!」
「意味がわかりません!」
即座に突っ込みを入れたスペードを諭すように、ジョットは言いました。
「デイモンはかわいい。かわいいから何を着せても似合う。かわいいから何をしても許される」
なぜか自信たっぷりです。
逆になぜそこまで自信があるのかスペードですら疑問に思えてくるほどです。
「なぁ、そうだろうアラウディ?」
「んなわけあるかボケぇ!!」
「うおっ」
証人側から投げられた椅子を、ジョットはスペードを抱き寄せながら身軽によけました。
「危ないではないかG!」
「かわいいもクソもあるか殴らせろ!」
「クソはない! デイモンはかわいい! だから殴らせん!!」
「ふ、ふざっ」
「っざけんな今すぐそっち行くから待ってろ!」
「ちょっと裁判中に喧嘩始めないでよ」
「いいだろう迎え撃つ!」
「ちょ、ジョット、離しっ」
「大丈夫だデイモン、お前は俺が守る」
「ジョット……」
プチリ、と糸の切れる音がしました。
「……ざけ……た……うが……」
「ん? どうした?」
「――っ!」
スペードは両腕を突っぱねてジョットから身を離し、声を張り上げました。
「ふざけなるな! あなたがすべての元凶でしょうがぁ!!」
振り上げた手は簡単に受け止められてしまいましたが、言葉は止められません。
「それでもマフィアですかそれでも組織ですかあなたたちみんなふざけるのも大概にしてください!!」
浮いた涙に詰まる呼吸で、スペードは思いっきり叫びました。
「こんな変な話に私を巻き込むなぁぁぁ!!!」
カチ。
どこかで音がした途端。
ガク、と世界が揺れました。
「ふぁっ?」
慌てて顔を上げると、そこは元いた庭先のテーブルの上。
散らかった書類もそのまま。
「……夢……?」
スペードはいつの間にか、眠ってしまっていたのでした。
淹れたてだった紅茶もすっかり冷めてしまっています。
まだ重い瞼をこすると、テーブルの上に金色の毛玉を見つけました。
大事な書類に涎を垂らしてすやすやと安らかな寝顔に、先ほど見た夢がすべてフラッシュバックします。
「こ、のっ……!」
腕をふり上げようとして、スペードは背中にかけられていたマントに気がつきました。
いつも羽織っている大事なマントです。
「………………はぁ」
ため息をついて拳をテーブルに落とすと、夢の中で預かったものと同じ時計が手に当たりました。
カチカチとリズムよく針を刻む音を響かせます。
「起きたらちゃんと仕事してくださいよ……?」
マントを返しつつ、スペードはこっそりその頬にキスを落としました。
身を起こすと、そこには深い琥珀色の瞳。
「ジョッ……!?」
「今のはぐっときたデイモン愛してる!」
「ぎゃあああ! 寄るな離せ抱きつくなぁぁ!!」
それは天気がとてもよくて、あたたかい日の、短いお話。