「だから嫌いなんですよ! ジョットの馬鹿者! 爆発してしまえ!!」
庭先にテーブルと椅子を並べての小さなお茶会。
楽しんでいたはずなのに。
戯れが過ぎて喧嘩に発展するのはいつものことで。
売り言葉に買い言葉。
歯に衣着せぬ物言いと、凝り固まった理屈と言い訳。
どうにもうまく噛み合わない会話の末。
デイモンは先程の台詞を吐いて、席を立ったのだった。
「おい待て」
背けた顔には、無表情を装ったつもりだろうが、後悔の色が浮かんでいて。
「デイモン」
こういう場合は熱が冷めるまで放置しろと右腕は進言してくるが、あれは自責を繰り返して自己を追い詰める癖があるので、そう放ってもおけない。
できるだけ目の届く場所に置いておかないと。
やれやれと立ち上がりかけたとき。
音。
教会の鐘をついたような。
反響と余韻。
それから、デイモンの身体が傾いだ。
「で、デイモンっ!」
椅子を蹴るように駆け、地面に落ちる直前に受け止める。
スラックスの膝が土で汚れてしまったが、どうでもいい。
それよりも。
しっかりと抱き寄せ、白い頬を叩く。
「デイモン、お、おい、大丈夫かっ」
反応はない。
一体どういうことだ。
ふと、足元に鉄製の丸い鍋が転がっているのを見つける。
どこかで見たことのある。
誰かが抱えていたものと酷似している。
そう、これは――
「……ランポウ?」
頭上から短い悲鳴。
ゆっくりと見上げると、二階の窓に高速で首を振り続ける人影。
「わわわわざとじゃないものね! ここここれは事故だものね!!」
笑顔。
そして。
「そこを……動くなよ?」
額にゆらりと炎がともった。
頭を極力揺らさないように抱き上げ、ジョットは再度その頬を叩いた。
「デイモン、おい、デイモン、大丈夫か」
やはり反応はない。
脈は落ち着いているし、呼吸もしている。
気を失っているだけか。
蒼髪の頭を撫でると、ちょうど房のあたりに熱をもった膨らみが触れた。
脳天直撃だったらしい。
「……何かで冷やしてやらないと」
誰かに頼もうかと辺りを見回しても簀巻きにしたランポウしか転がっていない。
抱えて行ったほうが早いか。
そうするか。
肩を抱き寄せ、膝裏に腕を差し入れたとき。
「ん……」
長い睫毛が震え、蒼い瞳が現れた。
「あぁ、デイモン、気がついたか」
揺れながらわずかにさまよって。
こちらを視界に留めると。
「ジョット……」
嬉しそうに、満面に笑みを浮かべた。
まるで大輪の花が咲き誇るかのよう。
しかも両腕を伸ばして抱きついてきた。
「で、デイモンっ?」
やはり打ち所が悪かったのか。
こんな態度ありえない。
あのプライドの高いデイモンが。
こんな犬みたいに擦り寄ってきて。
こんな無邪気に。
こんな。
「ジョット、大好きですっ」
頭の中で何かが吹っ切れた気がした。
「ということでデイモンがとてつもなく可愛いんだがどうしてくれよう」
「テメェの脳ミソなんざ爆発してしまえ」
執務室に呼び出されたGは至極面倒臭そうにそんな台詞を吐き出した。
大体予想通りの反応にため息をこぼす。
机の上にちょこんと座らされていたデイモンはそれを見ると、心配そうに、そばに立つジョットの袖を引いた。
「んー、私、困らせてしまってます?」
「いや、そんなことはまったくない」
前髪越しに額に口付けてやる。
そうすると、デイモンは嬉しそうに目を細めた。
逐一可愛い。
「それで?」
Gはやや語気を強めて問うた。
「まさか惚気るために呼び出したんじゃねぇだろうな」
「さすがだな、その通りだ」
「よし、そこ動くなよ今すぐその頭射抜いてやっから」
「というのは冗談で」
スパン、と。
射抜かれることはなかったが、代わりに頭をはたかれた。
相変わらず音は高いが痛みがない、的確なツッコミだ。
「まぁ、ちょっと見ててくれ」
「何を」
「デイモン、いい子だからここにいろよ?」
「えっ」
デイモンは驚いた顔をしてから、泣きそうな顔をして。
「……はい」
しょんぼりと淋しそうに頷いた。
これだけでもかなりぐっときてるわけだが。
ジョットは抱きしめたい衝動を抑えてデイモンから離れ、静かに部屋を出て行った。
「何なんだよ……」
Gが呟いたのも束の間。
「……ひっく、ふぇっ」
俯いたままのデイモンから嗚咽が漏れ聞こえ出した。
驚いて見遣ると、そこには迷子のように泣きじゃくる姿が。
「やですぅ……ジョット、ジョットぉ……っ」
「え、ちょ、おま、はぁ!?」
「ふぇぇぇえぇぇ」
うろたえるGを余所に、泣き声は激しさを増し。
さすがに誰か呼びに行ったほうがいいのではと考えた瞬間。
「ということだ! わかったかG!」
扉が開いたと思ったときにはすでに、ジョットはデイモンを抱きしめていた。
髪形が乱れるほどかいぐり撫で回す。
「ジョットぉ、寂しかったですぅ」
両手を伸ばし、鼻先を擦り寄せてくる。
甘えるように何度も。
卒倒しそうなほどの激情を心中に押し留めて。
「このっ、この可愛さっ! 尋常じゃないだろう!」
けれど珍しく頬を紅潮させて。
このまま力説し始めそうなボスに対して右腕は冷徹に、
「しね」
短くそれだけ吐き捨てた。
「まぁそんなこんなで、俺がいないと泣き出すわけでだな」
同じ空間にいれば安心なのか、今は笑顔で雨月と話をしている。
それをソファーに座って眺めながら、ジョットはため息をついた。
本当に幼い子どもも同然だ。
「頭打って精神年齢が退化したってことか」
「というよりも、何だろうな、ひねくれた部分がなくなったというか」
「あぁ、確かに素直になったといえばそうかもな」
「だろう?」
寂しければ泣き、嬉しければ笑う。
ただそれだけだが、普段のデイモンなら決してしないことだ。
感情をとにかく抑えているせいで。
「……タガが外れたか」
直前に喧嘩したことも要因のひとつなのだろう。
後悔した表情を思い出し、どうしたものかと小さく呻く。
その視線の先で、雨月が巾着から取り出した干しアンズをデイモンに渡していた。
「って、おい、雨月! 餌付けるな!」
「おや? 駄目でござったか?」
「菓子などやったらっ」
しかし止めるのが遅く。
「ありがとうございます」
デイモンは嬉しそうに笑うと、雨月にぎゅっと抱きついた。
「これはこれは」
雨月は優しくその頭を撫でてやった。
「……アレだけかよ?」
「だけとか言うな」
「お前、アイツのこととなると独占欲強いよな」
「うるさい」
「他に、誰にやったんだ?」
「ナックル」
それはほんの数刻前のこと。
部屋に戻る途中で偶然にナックルと会い、ナックルがおそらくは子どもたちに配った余りだろう菓子を渡し、そしてデイモンは礼を述べながら抱きついた。
おそらく感謝の気持ちを表現しただけなのだろうが、自分以外の男に抱きつく姿などできる限りで見たくない。
というか、あんな可愛いデイモンに抱きつかれて変な気を起こさないわけがない。
「んなのテメェだけだっつの」
「お前、俺が今までどれほどの不埒者を追い払ってきたと」
「ご苦労さまなこって」
「他人事と思ってるだろう」
「とりあえず俺を巻き込むな馬鹿野郎とは思ってる」
「右腕だろう」
「不甲斐ないボスのな」
睨み合い。
しかし不毛な争いはすぐに終了し。
嬉しそうに干しアンズをかじる姿を愛おしげに眺めつつ、ジョットは声音だけを凛と尖らせた。
「真面目な話、ずっとあのままだと組織自体にも支障が出かねん」
「守護者がアレじゃ示しつかねぇし」
「デイモンの仕事は他で分担できるとしても」
「ボスの仕事はお前にしかできないからな」
「参ったな……」
ため息。
交渉の中にはボスだけで話し合う場合もある。
それにデイモンは幻術士として名の知れた存在でもあるため、公平さを重んじる取引の場に連れて行くことは難しい。
皆が皆ジョットのように直感で見抜けるわけがないのだ。
もう一度ため息をつきかけたとき、甘い香りが鼻を掠めた。
膝に手を置く気配。
見遣ると、デイモンが足元にちょこんと座って、こちらを見上げていた。
「あの、ごめんなさい、私のせいで……」
「心配するな、お前は何も悪くない」
実際、今回の事態においてデイモンは被害者だ。
そして加害者はすでに簀巻きにして外に吊るしてある。
「でも」
「大丈夫だ」
頭を撫で、額にキスを落とす。
そうするとデイモンは嬉しそうに、笑顔を見せた。
素直というか無邪気というか。
本当に、いつもの毒気が完全に抜けてしまっている。
「まぁ、とりあえずは」
ジョットは苦笑の混ざった表情をGに向け、当面の方針を告げた。
「ボスの身辺警備という名目でそばに置くことにする」
「寝てないの?」
庭先に出した椅子に座りながら、アラウディはさらりと問うた。
「……いや、寝たと思う」
「何? お預けされたの?」
言葉に詰まったまま、ジョットは組んだ手の上に額を落とした。
絞り出すようなため息をついて。
横に座るデイモンが心配そうに、せっせとジョットの前にクッキーを並べていく。
その可愛さに抱き寄せ、蒼髪に鼻先を埋める。
「ちょっとな、その、精神的に、コレ抱くの無理があった……」
「無理?」
離れれば泣くので毎晩同じベッドに入るわけだが、それで盛り上がらないわけがないので本能のままに試みたのが昨夜。
押さえつけて、服を脱がせて、さて事に至ろうとしたとき。
きょとんとして状況を理解していない顔と、何も疑わない無垢な瞳を見た瞬間。
「あの罪悪感は半端ないぞ……」
思わず服を着せ直して寝かしつけてしまうほどだった。
「わお、貴方にも道徳心とかあったんだ」
「俺はGほど鬼畜じゃないぞ」
「お菓子、並べてないで僕にもちょうだい」
差し出された手に、デイモンは素直にクッキーをひとつずつ乗せていった。
「ありがとう」
「どうしたしまして」
にっこりと笑顔を向ける。
アラウディはわずかに驚いた顔をして、その頭を撫でた。
「確かにこれだと犯罪だね。貴方を逮捕するところだったよ」
「だ、ダメですっ、ジョットは悪いことしてませんっ」
「うん、話を聞く限り未遂までいってるけどね」
しゃらん、と手錠を鳴らせる。
デイモンは慌ててジョットを渡すまいとしがみついた。
それが可愛くて可愛くて。
ジョットは人目もはばからずデイモンを抱きしめた。
「んー、ジョット、苦しいです」
そう言いつつも声は楽しげで。
人前でのスキンシップを何より嫌がるはずなのに。
子どものように高い声で笑う。
それを鋭い視線で見つめつつ、アラウディは問うた。
「……ねぇ、デイモン」
「何ですか?」
「今、同盟を結ぶか傘下に入れるか考えてる組織があるんだけど、意見聞かせてもらえる?」
「んー、例のファミリーのことですね」
デイモンは無邪気に笑い、
「彼らは攻撃力こそ乏しいですが情報網は素晴らしいものですし、下に扱うよりも同等としたほうがよろしいかと」
流暢に見解を述べてみせた。
発想や判断の仕方は変わってない。
顎に手を当てて短く息を吐く。
「精神年齢の退化じゃないのは明らかだね」
「あぁ、知識や判断能力は問題ないのだが」
「が?」
ジョットは言葉を詰まらせた。
これなら大丈夫だろうと他のファミリーとの会合に連れていったのが一昨日のこと。
それが完全な失策だった。
問題がないはずがなかったのだ。
そう、最大の問題点を見落としていた。
無邪気に笑顔を振りまくデイモンが、身の危険を引き寄せるのに充分可愛すぎたということを。
「家に帰り着くまで何人殴ったことか……」
男女問わず、さらに普段なら見向きもしない稚児趣味の者まで。
抗争以外であれほど動いたのはGとのマジ喧嘩以来だ。
「貴方ってたまに大馬鹿者だよね」
「この件については反省している」
ため息。
「元に戻る様子もなく?」
「今のところはまったく」
「ふぅん」
ジョットの隣で嬉しそうにクッキーをかじる姿をじっと見つめる。
視線が合うと、首を傾げながらふわりと微笑んだ。
いつもの皮肉笑いでも愛想笑いでもなく、心からの穏やかな笑顔。
何も隠そうとしない純粋な姿。
アラウディはため息をひとつだけこぼして立ち上がった。
「まぁ、事情は理解したから今日の会合は任せてくれていいよ」
「頼む」
座ったまま俯くように頭を下げる。
それを見て、デイモンも慌てて頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「わお、君の口からそんな言葉が聞けるなんてね」
テーブル越しに頭を撫でる。
「殊勝な態度は結構だけど、全然似合わないよ」
そう言って笑い、アラウディはきびすを返した。
数歩進んで、ふと振り返る。
「単純な話、もう一回頭打ったら元に戻るんじゃない?」
「そんな可哀相なことできるか」
「貴方の甘さは変わらないね」
後ろ手にひらりと振って、浮雲のように姿を消した。
庭先でふたりきりのお茶会という、奇しくも先日の同じ状況で。
さてどうしたものかと考える。
仕事に多少の支障は出るものの、特にこれといった害はない。
あまりの可愛さに執務を放り出してしまう時があるが、これは仕方ない。
しかし。
なぜだろう。
「何か、物足りないというか……」
指先で頬をつつくと、笑いながらいやいやと首を振る。
常ならばふざけるなと怒ったり拗ねたりする癖に。
その反応は確かに可愛いのだけれど。
何か、いじり甲斐がないというか。
ため息。
怒った声、呆れた顔、不器用な愛情表現も何もかも。
こんなにも恋しいと思うのはなぜだろうか。
「ジョット……?」
袖を引かれるまま視線を戻すと、デイモンが寂しそうな顔でこちらを見ていた。
「どうした?」
髪を梳くように撫で、頬に口付ける。
けれど、デイモンは寂しそうな声音のまま問うた。
「……やっぱり、似合わない、ですか?」
「何の話だ?」
「アラウディが……っ」
見る間に目尻に雫が溜まり、まばたきと共に溢れ出す。
「で、デイモンっ?」
「こんな、こんな私じゃ、だめ、ですか?」
「何を言って」
「だって、だってジョット、思い出してばかり、いるじゃない、ですかっ」
大粒の涙をこぼして。
しゃくりあげながら。
「い、今の私でダメなら、ねぇ、どんなわ、私なら、いっ――」
言葉は途切れ。
デイモンは子どものように大声でわんわんと泣き出してしまった。
思わず呆気に取られてしまう。
感情のタガが外れただけかと思っていたが、どうやらそれはきっかけにすぎず。
「ジョット、ジョットぉ」
伸ばしてきた腕を引き寄せて、きつく抱きしめてやる。
「お願い、き、嫌いに、ならないでっ」
「誰が嫌いになるものか」
「でも、でもっ」
「その性格もこの髪も声も生い立ちもすべてまとめて――」
不安の波に飲まれてしまったのか。
後悔と自己嫌悪。
嫌いな自分を排除しようとして。
でも、そんなことはしなくていい。
ジョットは震える身を抱きしめたまま、耳元に口寄せてはっきりと告げた。
「愛してる」
優しく背を撫でて。
「俺はお前の全部を愛してる」
泣きやむまで。
「だから安心しろ、デイモン」
何度も、何度でも。
「愛してる」
泣き疲れたのか、その内にデイモンは腕の中で眠ってしまった。
立ち上がりながら一度横抱きに持ち上げ、そのまま椅子に座り直す。
涙で目許に張りつく蒼髪を指先で払い。
「寝顔は変わらんな……」
キスを落としてから。
ジョットはやれやれと息を吐き出した。
「まさかこんなに溜め込んでいたとはな」
たまの喧嘩で発散させてやっているつもりだったが、その一方でまた溜め込んでいたものがあったとは盲点だった。
なかなかに面倒で不器用な恋人ではあるが。
「まぁ、そこが可愛いんだよなぁ」
笑いながら椅子の背へと体重を移して。
穏やかな寝息に誘われるように。
ジョットもまた静かに目を閉じた。
「――ひっ」
短く息を吸う音と、
「きゃああああっ!?」
鋭い悲鳴に、ジョットはゆっくりと目を覚ました。
見上げた空は鮮やかな夕焼けに染まり、ゆっくりと夜気を呼んでいて。
見下ろした先では恋人が空よりも真っ赤な顔で身を震わせていた。
「あぁ、戻ったか」
「な、なん、何ですかこの体勢はっ!?」
「可愛いなぁ」
「抱きつくな撫でるな脱がそうとするな馬鹿!!」
寸分違わずいつも通りの反応。
自然、頬が緩んでしまう。
「やはりこうでないとな」
「ちょっ、だからどこ触ってるんですか! ふざけてないで離してください!!」
「俺はいつだって真剣だぞ?」
「眠そうな顔して何が真剣ですか! 離しなさい!!」
「嫌だ」
膝の上で羽交い締めにしてキスの嵐をお見舞いしてやる。
「きゃああああっ!」
本気の嫌がりっぷりが懐かしすぎて愛おしい。
「離せ! 降ろせ! 馬鹿者!!」
「デイモン、なぁ、ここ数日のことは覚えているか?」
「――っ」
息を飲んで。
耳まで真っ赤に染めて。
デイモンは潤んだ目をそらした。
「な、何の話ですか? 私は何も、お、覚えてませんっ」
「ほう、では俺の言葉も全部忘れてしまったのか」
「言葉……?」
ちら、と横目に向けられた視線を受けて。
ジョットは意地悪く微笑んで言った。
「愛してる」
サファイアを宿した目が大きく見開かれ。
何度か唇を動かしつつも音にもできず。
ぐ、と引き結ぶと。
両腕をジョットの首に回してきつく、きつく抱きしめた。
驚くジョットにも構わず、デイモンはどこか上擦った声で叫んだ。
「だから嫌いになれないんですよ! ジョットの馬鹿者! 爆発してしまえ!!」