教会の片隅。
子どもたちがミサの練習をする歌声を聴きながら。
ひとりつまらなさそうにしていたデイモンは、 ふと、ジョットが手許の便箋に苦戦しているのを目に留めた。
重要な書簡とは異なり、ひどく幼稚な絵柄の紙。
その上に何か書こうとしてはペンを止める様子に、何の気なしに問うてみる。
「んー、何ですか、それは」
ジョットは息ひとつ吐いて顔を上げ、困ったように笑った。
「サンタクロースへの手紙だ」
「ヌハっ」
真剣な顔で何を悩んでいるのかと思えば。
「ヌフフっ、サンタクロースへ、手紙って」
そういえばいつだったかナックルが、神へ捧げる祈りを「お願い事」と言い換えて、子供たちに説法していたのを思い出す。
手紙を書くというのは、おそらくは祈りの中身を具体化するために考えた作業なのだろう。
今、前の方で歌を練習している子どもたちも、最初にナックルへ手紙を託していた。
クリスマスという日、サンタクロースという存在を通して。
子どもたちに神の導きを。
「笑うことはないだろう」
ジョットは尖らせた唇に、ペンを押し当てた。
便箋はクリスマスらしい装丁で、子どもたちに配った余りでももらったのだろう。
「ヌフフ、まだ信じているのですか?」
「お前は信じていないのか?」
「信じる価値もありません」
思考の隙も与えず言い切ると、小さな笑い声が返ってきた。
「厳しいな、しかしデイモンらしい」
「……貴方に何がわかるというのです」
「そうツンケンするな」
言って頭を撫でようとする手を、黙って払う。
彼が馴れ馴れしいのは今に始まったことではないが、こうして子供扱いされるのがいつも気に食わない。
それほど歳は離れていないし、立場も対等だと認識している。
なのに。
鬱々と考えても仕方のないことか。
話題を元に戻すためにも、デイモンは再び視線を便箋に向けた。
「何を書くつもりです?」
「ん?」
「その手紙に、一体何を綴るつもりです?」
「そうだなぁ……」
伏せがちの長い金色のまつ毛を揺らして。
たどたどしいミサ曲に重ねて。
ジョットは、まるで歌うように、願いを紡いだ。
「来年が、訪れますように」
子どもたちの歌声が途切れて。
静寂が落ちる。
その中。
「……難しいだろうか」
「んー、難しいというよりも」
デイモンは呆れ顔を隠そうともせず、正直に答えた。
「それはサンタクロースに、神にも願うことではないでしょう」
「そうかな」
「そうです」
音階を確かめながら、次の曲の練習が始まる。
明るい曲調のアヴェ・マリア。
「何もせずとも時は流れるのですから、意味のない願いのように思えます」
「そうだな」
肯定に頷いて、けれど悔しんだ様子もなく笑う。
己の思想が否定されたのだから、少しは反論すればいいのに。
彼はいつだって受け入れることしかしない。
理解できない。
「……わかっていて、なぜ、願うのですか?」
「なぜ、か」
「何もせずとも、あと数日経てば自然と年は明けてしまうのに」
「自然と」
「言葉を繰り返さないでください」
「あぁ、すまない」
触れようとした手を払って、きつく睨みつける。
その視線すらも飄々とかわして。
ジョットはどこか遠くへと視線を上げて、ぽつりと呟いた。
「願わずにはいられない、とでも言うのかな」
「んー、当たり前を?」
「当たり前であり続けることを」
知らず、眉間に皺が寄る。
時折、ジョットはこうして意味のわからないことを言う。
その度に、置いていかれるような不安に駆られた。
いつも。
いつだって、遠い。
デイモンは両の拳を握りしめると、小さく首を振った。
「……私には理解できません」
笑って撫でようとした手を、やはり払いのける。
「お前は、それでもいいさ」
「納得できません」
「そうか」
「教えてください」
「それほどのことでもないさ」
「ジョット!」
「そこのふたり! 究極うるさいぞ!」
前方から飛んできた怒声に、続くはずの言葉を無理やり飲み込む。
しん、と静まった教会に再び歌声が響きだす。
喉元に何かがつっかえたような、不完全燃焼。
今さらに言い直すのも不快で押し黙っていると、ふわり、と頭を撫でられた。
「やめてください」
「デイモンは可愛いな」
「黙りなさい」
気を抜いていたことを後悔しつつ、手を払う。
しかしジョットは気にした様子など欠片もなく。
「では、デイモンなら何と書く?」
便箋を差し出しながら問うてきた。
「はい?」
「サンタクロースに、何を願う?」
「何をって……」
すぐには出てこず、便箋を受け取って考えてみる。
存在しないものに何かを願うなど愚かしい。
けれど。
けれどもし、人ではない何かが望みを聞いてくれるとするならば。
「……分け隔てない、幸福を」
崇高な夢物語であったとしても。
それが一番の、願い。
ジョットは短く笑うと、懲りもせず、また頭を撫でようとしてきた。
「優しいな。さすが、エレナ嬢が自慢するだけのことはある」
「なっ、エレナは関係ないでしょう!?」
「いやいや、この前もエレナ嬢は」
「あらあら、わたしのお話かしら?」
清廉とした花の香り。
柔らかな、長い髪。
驚いたときには、背後から包むように抱きしめられていた。
「え、エレナ!」
振り向くとすぐそばにエレナの顔があって、慌てて反対方向へ首を振る。
エレナはくすくすと笑い、デイモンの髪に頬を寄せた。
「遅くなってごめんなさいね?」
「いや、ちょうどいいぐらいだ」
「え、エレナ、んー、あまり異性と、身を寄せるのは……」
「ふふ、デイモンったら照れ屋さんで、かわいいわ」
「確かにデイモンは可愛いな」
「貴方は黙っていなさい!」
持っていた便箋を真顔のジョットめがけて投げつける。
「あら? それは誰へのお手紙かしら?」
ひらりと落ちた便箋を拾い、ジョットはそれをエレナに手渡した。
「サンタクロースに宛てるものだ」
「なんて素敵なお手紙かしら。でも不思議ね、真っ白だわ」
「それは、」
「エレナ嬢なら、サンタクロースに何を願う?」
「わたし? そうねぇ……」
デイモンから身を離し、頬に手をあてて少しだけ視線を彷徨わせる。
そして。
椅子の背を机の代わりにして、ジョットの持っていたペンで便箋に何かを綴った。
「何を書いているのですか?」
「きっとデイモンと同じよ」
さして長い文章でもなかったのだろう、エレナはすぐに身を起こし、便箋をふたりに渡して見せた。
のびのびと、美しい文字で綴られた願いは。
「世界中の人々に、分け隔てない幸福を」
たとえ、それが叶えようのない理想だと笑われようと。
デイモンは熱のこもった目で、エレナを見上げた。
ステンドグラスの光を受けて微笑む、その姿はまるで聖母のようで。
彼女と志を同じとすることを、誇りに思う。
「さてと、そろそろいい時間じゃないかしら?」
エレナの言葉に、それぞれ懐中時計を確認し、慌てて立ち上がる。
「待たせると怒られちゃうわ」
「Gは短気だからな」
「んー、貴方が時間にだらしないからですよ」
「なんだ、俺が悪いというのか」
「この前も予定を大幅に遅らせて」
「あらあら、ダメな人ねぇ」
「行きましょう、エレナ」
「はーい」
「待ってくれ、俺の話もちゃんと」
それぞれの夢を胸の内に描いて。
歩き出す。
同じ時間を、幸せな時間を、過ごせますように。
一緒に。
どうかこの願いが―――