27 | とある真夏の何もない夜の話




『 とある真夏の何もない夜の話 』







 発端はジョットの一言だった。
「暑い、暑くて寝られん、何か涼しくなることはないのか」
 それに対して、雨月が日本ではこうして涼しくするのだと前置いて提案した。
「百物語、というのはいかがか」
 合計して百個の怖い話を語っていき、話が終わるごとに明かりを消していくゲーム。
 しかし百も話していては夜が明けてしまうということで、今回はひとりにつきひとつ、とびきり怖い話を披露しようという流れになった。
 そしてひとりひとつのロウソクを持ち、それ以外の明かりはすべて消してしまってからゲームはスタートした。
 途中でランポウが逃げ出そうとしたり。
 アラウディが窓の外を凝視したり。
 雨月が空気も読まずに笛を吹いたり。
 その笛の音でランポウが絶叫してしまったり。
 何かに気がついたのか、ナックルが静かに聖書の一節を奏でたり。
 デイモンが幻術混じりにグロテスクな話を嬉々と語ったり。
 その幻術でランポウが気絶してしまったり。
 色々とアクシデントはあったものの。
「――そしたら言われたんだよ、そんな女はいないって」
 最後にGは語り終え、残りひとつとなっていたロウソクが吹き消された。


 室内が静かな暗闇に包まれる。


 誰の声も、衣擦れの音もない時間が過ぎて。
 やがて、誰かの小さなため息と共に燭台に明かりが灯された。
「結局何も起こらねぇじゃねぇか」
 Gは他のロウソクにも火を移し、最後に葉巻の煙をくゆらせた。
「こういう話してると寄ってくるとか聞くんだけど」
 少しは期待していたのか、アラウディは残念そうに椅子に背を預けた。
「つまり現世に留まる魂がいないのだと、俺は究極安心したぞ」
「なるほど、そう考えると良いでござるなぁ」
 穏やかに笑い合いながら、ナックルと雨月はロウソクの火を小さなカンテラへと移していった。
 一応廊下にも明かりがあるが、これで足元を照らしていないと部屋には戻れない。
 中にはアラウディのように常人より夜目の利く者もいるが。
「んー、あまり涼しくはなりませんでしたが、いい時間潰しにはなりましたね」
「確かにもう眠ィわ」
 大きな欠伸を隠すことなく立ち上がり、Gは手を叩いて告げた。
「よーし、さっさと寝るぞ、解散!」
 それを合図にひとり、ふたりと席を立ち、カンテラを手に部屋を出始めた。
 生身の人間相手に死闘を繰り広げてきた彼らにとって、幽霊は特に怖がる対象でもなかったらしい。
 結局ランポウがただひとり怖がっていただけで終わってしまった。
 まぁ、暗い部屋で語り合うという儀式もそれなりに面白かったけれど。
 簡単な幻術にすら戦慄していた様子を思い出し、つい笑い声を落としてしまう。
「じゃあ、俺もコイツ適当に転がしてくるわ」
 ランポウを抱えて出ていくGと雨月を見送ってから、デイモンも席を立とうとして、ふと、袖を引かれていることに気がついた。
「んー?」
 見下すと、シャツの袖にジョットの指が絡まっていた。
 まさかこのまま誘うつもりなのかと思わず身構えてしまったものの、何の反応も言葉もない。
「……ジョット?」
 再び腰を落とし、顔を覗き込むようにして声をかけると、ジョットはハッとした様子でデイモンに焦点を合わせた。
「どうした?」
「いえ、もう部屋に戻ろうと思うですが」
 袖を掴む手に触れ、離してほしい、と言外に告げる。
「あぁ、すまない、つい」
 短く謝って、ジョットは簡単に手を離してしまった。
 誘うつもりではなかったのだろうか。
 いつもならキスと共に軽々と紡ぐ戯言も出てこない。
 おかしい。
 ジョットらしくない。
 ますます混乱するデイモンを余所に、ジョットは立ち上がってデイモンの手をすくい上げた。
「行くぞ」
「え、えぇ」
 何やら毒気も抜かれてしまったようで。
 デイモンは抵抗することもなく、引かれるままに部屋をあとにした。




 他の者たちは早々に自室へ戻ったのか、廊下はひっそりと静まり返っていた。
 ただふたり分の足音だけが反響して消えていく。
 ジョットはずっと無言で、ただカンテラの明かりだけを見つめていて。
 何を考えているのだろう。
 繋いだ手が普段より冷たいのは、どうしてだろう。
 横目に伺っても、ベビーフェイスからは何も読み取れない。
 じわりじわりと不安だけが募る。
 やがてジョットの寝室に辿りつき、デイモンは繋いだ手から力を抜いて離されるのを待つ一方で、就寝の挨拶を告げようとして。
「――っ」
 開かれた扉の内側へ、無言で引き入れられてしまった。
 背後で扉が閉められ、ご丁寧にも鍵をかける音まで聞こえた。
「ジぉ、ジョット!」
「デイモン、一緒に寝よう」
「なっ」
 やはり安心させておいての不意打ちだったのか。
「ふざけるな! 明日も重要な会合があるというのに!」
「いや、待てデイモン」
「ここまで我慢したことを免罪符にしようとしても無駄ですよ、寝るならひとりでどうぞ、私は私の部屋でひとりでのんびりさせていただきますから」
「違う、そんなつもりは、」
「大体毎夜求められては私の身体がもちません、貴方はあり余っているようですけれど、私は、私には限界というものがっ」
「聞いてくれデイモンっ」
 ぎゅっと両手を握りしめられ、つい言葉を止めてしまう。
 真っ直ぐに見つめてくる瞳は真摯で、いつもの獣らしさが欠片もなかった。
 しかもこの距離で口を塞いでこないだなんて。
 おかしい。
 やはり、どこかおかしい。
「……何を、聞けというのです?」
「一緒に寝るというのは、一緒にいてほしいということで、」
「行為には及ばないと?」
「約束する。ただ、手を繋いでくれるだけでいい」
「……普段の貴方の行いから、信用してもらえると思っているのですか?」
「反省する……だから、頼む、一緒にっ」
 いつにない真剣な様子。  デイモンは少し視線を外して思案した後、仕方なく頷いてみせた。
「少しでも触れてきたら、怒りますからね?」
「あぁ、わかった」
 力強く頷いた流れでキスしようとして、ジョットは慌てて顔を離した。
 それに小さく笑って。
「約束できるなら、この程度まで許してあげます」
 デイモンは軽く唇を重ねてやった。



 寝巻がないのはあきらめ、シャツ一枚になってベッドに上がる。
 ジョットもすぐに潜り込んできたかと思うと、子犬のような目で問うてきた。
「抱きしめるのは……いいか……?」
 不覚にもときめいてしまったという事実からは目を背けて。
 デイモンは無言で小さく頷いてやった。
 途端に安堵した表情を見せ、
「ありがとう、デイモン」
 珍しく礼すら口にして、ジョットは抱き枕のようにデイモンを懐に閉じ込めた。
 日頃の行いから依然警戒はしているけれど、本当にナニもするつもりはないらしい。
 胸に触れてくる様子もないし、股間を擦り合わせてくることもない。
 一体、本当に一体どうしてしまったというのか。
 わずかに身をよじって向かい合わせになり、ぼんやりと照らされる金髪に手を伸ばす。
 そういえばカンテラの明かりがついたままだ。
「明かり、消さなくても?」
「いい、つけたままで、いい」
「んー……気にならないのでしたら、いいですけれど」
 油がきれれば勝手に消えるものだし。
 髪を撫でていた手を掴んで口付けられ、そのまま指を絡められる。
 甘えるように鼻先をすり寄せて、少し落ち着かない呼吸を繰り返す気配。
 まるで怖い夢に怯える子どものよう。
 ――こわい?
「もしかして……」
 浮かんだ答えは確かめずに。
 デイモンは黙ったまま繋いだ手を握り、もう片方の腕で優しくジョットを抱き寄せた。
 ぬくもりを伝え、ゆっくりと呼吸を合わせて。
「おやすみなさい、ジョット、楽しい夢を」
「あぁ、おやすみ……」
 こんな人にも多少は可愛い所があるのだと知って、少し嬉しく思いながら。
 楽しくはしゃぎ回る夢が見られることを願って。
 静かに、目を閉じた。






 その夜に見た夢は、なんともファンタジックなもので。
 キャンディスティックを振り回す魔女は景色を全部お菓子に変えて。
 見たことのある笑い顔で、嬉々と悪態を連ねて逃げる。
 あんなに暗くて不気味でおどろおどろしい風景だったのに。
 あっと言う間にカラフルポップなサーカスの世界。
 器用に逃げ回る魔女を何とか捕まえようと。
 手を伸ばして。
 握りしめて。






 ふと、目を開けると。
「おはようございます」
 長い睫毛に縁取られた蒼い瞳が、間近にあった。
「いい夢は見られましたか?」
「んぁ……そう、だな」
 ついさっきまで見ていたはずなのに、もうぼんやりとして思い出せない。
 ただサーカスを見た後のような高揚感だけは、胸の中にしっかりと残っていた。
「……あぁ、楽しかった、気がする」
「それは重畳です」
 ヌフフ、と笑って、デイモンは朝日にきらめく金髪を撫でた。
 それを昨夜と同じように捕まえ、手の平に唇を押し当てる。
 嫌がるかと思われたが、逃げることもなく顔をにやつかせていた。
「……その様子だと、悟られてしまったようだな」
「んー? 何のことでしょう?」
 あからさまにとぼけているとわかる声音。
 あそこまで縋ってしまっては、バレてしまうのも当然と言えば当然か。
 ジョットはため息を吐き出し、片手を繋いだままごろりと天井を仰いだ。
「誰にも言ってくれるなよ」
「別に恥ずかしいことはないでしょう」
「アイツらのことだ、からかってくるに決まっている」
「そうですねぇ」
 特にGとアラウディならやりかねない。
 デイモンも同じことを考えたのだろう、苦笑混じりに表情を緩めた。
「貴方にも苦手なものが、あったのですね」
「苦手というか、苦手になったというか」
 炎と共に授かった超直感という能力。
 研ぎ澄まされた感覚は己にあらゆることを教えてくれるが、その一方でヒトならざる存在も知覚させてくれた。
 本来なら存在しないはずの、死者の魂。
 総じて夜闇の中から現れるそれらに、本当に、何度と驚き慄かされたことか。
 思い出したくもないことなので、すぐに頭を振って記憶を追い出す。
「不憫なことですねぇ」
 優しく頭を撫でる手が気持ちよくて、もっと撫でろと犬のように擦り寄せる。
 朝日に照らされるデイモンを見ている内に、不安も怖い気持ちも消えていくようで。
 そういえば、夜が怖くなくなったのはデイモンと出会ってからのような気がする。
 夜空に似た髪に、静かな色の瞳。
 暗闇のイメージはデイモンの印象で美しく上書きされた。
 それに――
「……ジョット?」
「ん?」
「その手は、どういう?」
 手首を掴まれたことも構わず尻を撫で続ける。
「いや、昨日はナニもしなかったなぁと」
「離せ」
「イヤだ」
「離せ! ちょ、ナニ大きくしてるんですか!?」
「朝だからな」
「そういうレベルじゃなっ――」
 言葉ごと唇に喰らいついて。
「なっ、なっ」
「この前アラウディが言っていたんだが、エロいことしてると幽霊が逃げ出すらしい」
「こ、根拠がない!」
「ということで、」
「いっ、いやああああっ!!」





 めでたし☆










× × ×

「実際幽霊に出会ったらどうするつもりですか」
「殴る」
「まさかの武力行使」