09-4(Last) | 箱入り少年と青空教室



『 箱入り少年 と 青空教室 』





Last.


 初夏から孟夏へ向かう熱を持った風が隙間から滑り込む。
 それでも、日陰を通ってきた風なので、幾分か涼しくはある。
 昼過ぎの世界史の授業。
 チャイムの余韻の中、教室に入ってきた姿に、未来は無意識に顔を伏せた。
 南原は足取りも迷いなく未来の元へやって来て、
「なんで、入ってるんですかぁ」
 情けない声と共にうなだれた。
 本来なら持つために空けられた穴から、声が届く。
「何事も慣れるまで時間が必要です」
「そうですけどぉ」
 あれだけの急接近をしておきながら、また段ボール箱越しの会話が続くとは。
 今日こそはきちんと席に着いた姿を期待していたのだろう。
 そして、その期待が裏切られたからこそ一層、情けないのだろう。
「先生」
「はいっ」
「どうか僕のことは気にせず、授業を始めてください」
 ひくっと引きつった呼吸音。
 段ボール箱に小刻みな震えが伝わってくる。
 次の瞬間――
「気にせず、というのは無理ですが、そうですね、授業を始めましょう」
 南原は涙声ながらも立ち上がり、教卓へと戻った。
 段ボール箱の中なので誰にも見えないが、未来は思わず、間抜けな顔をしてしまった。
 いつもなら、教室の外に走り去ってしまうというのに。
「このクラスは大幅に遅れてしまいましたからね、少し、急ぎ足に進めていきますよ」
 カツカツとチョークの音。
 よく通る、キレイな声。
 三角座りの膝の上で、ノートを取りながら、楽しそうに話す姿を見つめる。
 まぶしい人。
 心と共に遮断した空間から、薄暗い世界から、ずっと見つめていた。
 まぶしい世界に憧れて。
 つい板書するのを忘れて見つめていると、南原と視線が合った。
 顔は黒板を向いたまま、笑う。
 未来だけに向けて。
「――っ」
 慌ててノートに視線を落とすが、鼓動が速すぎて、呼吸が苦しすぎて、何も書き込めない。
 準備もなしに、不意打ちなんて、卑怯だ。
 あんな顔。
 独占できるなんて。
 気持ちを落ち着かせるために深呼吸。
 それから。
 未来はガムテープの張っていない天井を軽く押して。
 薄暗い空間に夏の日差しを取り込むことにした。
 窓の外には青空。
 きらきら輝く、世界。






・あ と が き・

オリジナルのBLは久々なので、少々やり方を忘れてる感は否めませんが
なんとか終わらせることができました。
前半と後半の文章が違うのは、単に長期間書くのをやめていたせいです。
途中まで書いてたのを引っ張り出して続きを書くとこうなるという良い例になりましたね。
彼らの恋愛は、おそらくは卒業を待ってからの発展になるかと思います。
がんばれ先生。
未来が大学生になってからの小話とかを、その内書ければいいなぁと思っていたり。
まぁ、その辺りはまたおいおいということで。
ひとまず、これにて教師と生徒の話は終わりです。


以下は、おまけというか
続きとして書いたものの蛇足のような気がして削った分です。
本編では南原の心情とかあまり書けなかったので、その辺の補足というか。
あと、次の伏線も兼ねて。

最後になりましたが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。










お ま け





「――ということで」
「一件落着ってことですか」
 林は電子辞書を叩きながら、タバコの代わりにポップキャンディをくわえた。
「まぁ、まだ出てきてはくれませんが」
「フタは開いたんでしょ?」
「えぇ、一応」
 授業の終わりに見ると、段ボール箱のフタが開いていた。
 驚きのあまり未来を凝視してしまい、すぐに閉められてしまったが。
 次の授業では、また開けてくれているだろうか。
「ていうか、南原先生」
「はい?」
「小野萩に手ェ出さないんスか?」
 ガタン、と大きな音が職員室に響いた。
 キーボードの上の手を止めて見遣ると、南原が椅子から転げ落ちていた。
「ぶはっ」
 予想以上の反応に、思いっきり噴き出してしまう。
「ちょ、せんせ、あはは、マジでっ」
「は、林先生!」
 心配する周りの声に苦笑を返しながら、椅子を起こして座り直す。
「な、何、言ってるんですかっ」
「あははっ、やば、ツボったっ」
「林先生!」
 さすがに笑いすぎたと思ったのか、林は浮かんだ涙をぬぐい、短く謝った。
「いや、でも、キスぐらいしたんでしょ?」
「し、しませんよ!」
「え、マジで?」
「相手は子どもですよ!?」
「あ、あー、確かにそこは、そうですよね」
 林はポップキャンディを指で挟み、まるでタバコのように息を吐き出した。
 なぜか、苦々しく、笑う。
「子ども相手は、難しいですよねー」
「……林先生?」
「ん、まぁ、卒業したらヤり放題っスからね!」
「林先生!!」
 南原の叫びと呼応するように、林のケータイが震えた。
 着信の表示と共に明滅する名前を見て、林はケータイを取り上げた。
「ちょっと失礼しまーす」
 そのまま、職員室の外へと行ってしまう。
 姿が見えなくなるまで見送ってから頬に触れると、風邪をひいたのかと思うぐらい熱かった。
 仮にも学校で出すべき話題ではないだろう。
 あの子の抱いているものが、恋とも、まだわからないのに。
 ため息。
「せ、先生」
 幼いけれど凛とした、聞き慣れた、声。
 横を見ると、隆保の影に隠れるようにして、未来が立っていた。
 相変わらずというか何というか。
「はい、何でしょう?」
「プリント、持って来ました」
 隆保の脇から、クラスの人数分のプリントが手渡される。
 前に宿題として配ったものだ。
「あぁ、ありがとうございます……あれ?」
 回収は確か、その日の日直に頼んだはず。
 記憶が正しければ、それは未来ではなかったはず。
「どうして、小野萩くんが?」
「さ、さようならっ」
 ぐい、と力任せに隆保の服を引っ張り、未来は急ぎ足に職員室を出て行ってしまった。
 去り際に見えたのは、真っ赤に染められた顔。
 わずかに笑った顔。
 とくん、と心臓が鳴る。
 とくんとくん、と続けて鳴り響く。
「……手、出せるわけがないでしょう」
 少なくともこれは恋だとわかっているからこそ。
 抱きしめたいと思うほど愛おしいからこそ。
 今は。
 南原は片手で顔を覆いながら、再びため息をこぼした。
「厄介だ……」
 なんて面倒な恋に、落ちてしまったのだろう。
 けれど――
「何にやけてんですか、やーらしぃ」
「は、林先生! からかわないでください!」
「あと三年、がんばってくださいねー」


 ――楽しみなのは、確かだろう。