11-2 | コーヒーシュガー



『 コーヒーシュガー 』




2.


「バイトは募集してません」
 即答だった。
 まぁ、うすうす気づいてはいたさ。
 こんな狭い店内で、少ない客数で、納得の答えですよ。
「君は、お金に困っているんですか?」
「いえそんなことは別にないんですけどっ」
「じゃあ、どうしてバイトしたいと思うの?」
「あ、その、それは……」
 あなたのことをもっと知りたいから。
 ――とかそんな不純な動機をまさかここで言えるわけもない。
 他に理由があるとすれば。
 考えろ。どうして。どうして――
「……社会に、出るための勉強として、バイトしたいなって考えてて、」
 出てきたのはありきたりな理由だったが、それでもなんとか言葉を組み立てる。
 ダメで元々。
 やってみなきゃわかんねぇだろ。
「ここの雰囲気っていうか、こんな所で働いてみたいなって、だから、その、」
 言い重ねれば重ねるだけ、ボロが出るとは知りつつも。
 しどろもどろの言葉を、彼は視線もそらさずにすべて、静かに聞いてくれた。
 それだけで心が嬉しくなる。
 穏やかに癒される。
「しばらくここで、勉強させてもらえないですか……?」
 表情はない。
 見る限り、色もない。
 ただ、視線だけを向けられる。
 どれぐらい経っただろう。
 BGMが流れていないことすら忘れるぐらいの、時間。
 ふい、と彼が視線を外した。
「香夜さんはどう思う?」
「えっ!?」
 ガチャン、と茶器が鳴る。
 コウヤと呼ばれた人物は、今度は慎重にカップをソーサーに戻し、こちらに顔を向けた。
 服装から見て男性だと思うが、もしかすると女性かもしれないと思わせる顔立ち。
 男装の麗人とか言われても納得してしまうような。
「な、なんで、私に振りますか」
「僕は人を見る目がないから、香夜さんなら見極めるの得意でしょ?」
「まぁ、職業柄、そうですけど……」
 香夜さんとやらは、不躾でない程度に俺を見つめてきた。
 緊張から、つい背筋を正してしまう。
「あの、警察か何か、なんスか?」
「や、違う違う」
「香夜さんは探偵なんだよ」
「探偵!?」
 初めて見た。
 いるんだ、本当に。
 あぁ、だから人を見極めるのが得意ってわけか。
 昔に読んだシャーロック・ホームズの一巻の初めの方にも、探偵は洞察力が優れているとかどうとかそんなこと書いてた気がする。そうだよ、ワトソン君の懐中時計だ。
「え、じゃあ、見ただけでもう俺の性格とか、わかっちゃうんですか?」
「ないない。そういうのはマジでないない」
 笑いながら片手を振る。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
 香夜さんは懐から小さなケースを取り出すと、その中から紙片を一枚引き抜いた。
 名刺だろうか。
 慌てて立ち上がり、香夜さんの近くに小走りで近寄る。
「私は隣のビルに事務所を構えています、柚瓜(ゆうり)香夜と申します」
「丁寧に、すみません。ありがとうございます」
 両手で受け取ったそれには、柚瓜探偵事務所の文字と連絡先が印刷されてあった。
 裏までしっかり確かめてみるが、やっぱり性別までは書いてないか。
 本当にどっちなんだろうな、この人。
 ユウリ・コウヤって名前も中性的で判断材料にはなりにくいし。
「俺は東藤斎槻です。名刺はさすがに、持ってないんスけど」
「イツキというのはどういう字ですか?」
「斉藤さんの斉の難しいほうっていうか、こういう、下が示すで……」
 カウンターの上に、指で字を書く。
「この字に、木偏に夫と見るっていう字で、斎槻です。あ、東藤はヒガシに植物のフジです」
「なるほど。大学生?」
「はい、この近くの大学なんスけど」
「バイトの経験は?」
「高校の時に、ファーストフード店で夏休みの間だけ……それ、ぐらいスね」
「実家暮らし?」
「いえ、大学から遠いんで、アパートに兄貴と二人で住んでます」
「家事は分担制?」
「いや……もう、ほとんど、俺が……」
 俺が何を思い出したのかわかったのだろう、香夜さんは話題を変えるように手を振った。
 もしかすると、同じような苦労を味わったことがあるのかもしれない。
「では、電話とメールだと、どっちが楽だと思いますか?」
「……電話、ですかね」
「さっき一緒にいたのは彼女?」
「彼女、だった、というか」
「別れ話してたようだけど、原因とか聞いても大丈夫?」
「原因、ですか……」
 挙げようと思えばいくらでも挙げられそうだが、そのすべてが彼女に対する悪口になってしまいそうで、別の言い方を探す。
 彼女にうまく応えられなかった俺も悪いわけだし。
 あぁ、そう言えばいいのか。
「なんというか、俺が、彼女の理想になれなかった、という感じです」
 我ながらうまく言えたんじゃないか?
 香夜さんはパン、と手を叩くと、にっこりと笑った。
「はい、ありがとうございます」
 どうやら質問は終わったらしい。
 これで何がわかるのだろう。
 前にバイトの面接で聞かれたものとは、少し違うように感じたけれど。
 探偵だと、こう、目の付け所とかが変わってくるのだろうか。
 香夜さんは椅子にもたれるようにして、店員を見遣った。
「悪い子じゃないと思いますよ」
「そうだね、僕もそう思う」
「面倒見も良さそうですし、人との会話が好きなタイプでしょう?」
 気さくに笑顔を向けられる。
「あ、はい、そうっスね」
 掘りが深いとか特徴のある顔じゃないけれど、薄味の整った美人。
 そういう人に褒められてるかと思うと、つい照れてしまう。
「八色さんの、いわゆる『足りない部分』を持ってる子だと思います」
「足りない部分?」
 ていうか、あの店員の名前、ヤイロっていうんだ。
「私が言えるのはそれぐらいですね。あとは八色さんが決めることです」
 決める。
 今ここで?
 俺は自分でも情けない顔だろうなと思いながら、香夜さんと共に店員を見つめた。
 心臓の音がやけにうるさく聞こえる。
 なんでこんなに緊張してるんだよ。
 前のバイトの時はもっと気楽にいけたはずなのに。
 今度はどれくらい沈黙が続くのだろう。
「じゃあ、雇用で」
「えっ? 雇用?」
 思わず、聞き返してしまう。
 さっきと同じくらい長考になると思ってたのに、こんなあっさりと終わることだったのか?
 からかわれてる、わけじゃないよな。
 不安に香夜さんへ視線を戻すと、
「八色さんはだいたいいつもこんな感じですよ」
 簡単なフォローで返された。
 だいたいいつもこんな感じで、商売やっていけるんですか。
 しかし、懐疑の視線を気にした様子もなく、彼は椅子から降りながら言った。
「明日でもいいから、一応履歴書持ってきてね」
「あ、はい、それは、もちろん」
「あと、制服用意しないとね」
「制服あるんですか」
「ないけど、いるでしょ?」
 無表情のまま、こてん、と首を傾げる。
 その仕草が予想以上にかわいらしかったということは置いといて、なんだこの常識の欠落は。
 制服はないけど必要だから用意する。
 これは一体、何を、どうする、つもりなんだ?
「予定の空いてる日、聞いてもいいかな? まずは採寸しないと」
「オーダーメイド!?」
「僕のじゃ小さいでしょ?」
「それは、そうっスけど」
「デザインも希望があれば何でも言ってね」
「それは、え、ちょ、えええぇ?」
 動揺のあまり変な声が出てしまう。
 すると、背中側から堪えきれないといった感じの笑い声が響いてきた。
「こ、香夜さん、これ、どういうことですかぁ!?」
「僕、何か変なこと言った?」
「あはは、八色さんの感覚が、庶民とは違うって話ですよ」
「何が違ったのかな」
「まず、バイト一人のために制服作る点と、それを特注しようとしてる点」
 そうそう。
 黒のスラックスとか白シャツぐらいなら俺も持ってるし、エプロンは買えば済む話だ。
 それなのに、わざわざ制服を作る、だと?
「どうせ八色さんのことなので、自分と同じブランドで注文するつもりだったでしょう?」
「駄目かな」
「高すぎます」
 香夜さんは見せつけるように、ため息を吐き出した。
「……ちなみに聞きますけど、お給金はどれぐらいを考えてます?」
「時給だよね」
「はい」
「五千円?」
「はい、今すぐにお兄さんと要相談してください」
 慣れた会話が続くせいで、言葉を挟むこともできずに黙り込んでしまう。
 とりあえずわかるのは、この店員の金銭感覚がおかしいこと。
 実は金持ちの社長のお坊ちゃんとか、そんな背景でもあるのだろうか。
 それと、お兄さんがいること。
 相談するということは、こちらの人物は少なくともまともな金銭感覚を持ち合わせているのだろう。
 そして、聞き損ねていたことがひとつ。
「あの、ちょっと聞いてもいいっスか?」
「何かな」
「店員さんの名前を、まだちゃんと教えてもらってないというか……」
 ヤイロというのが苗字かどうかもわからない。
 さすがに香夜さんと違って、性別は判断できるけどさ。
「あぁ、そういえば、僕の自己紹介がまだだったね」
 彼は無表情の色をわずかに変えて、右手を差し出した。
「僕は八色千草、この喫茶店のマスターで、歳は28、未婚で……あと何が必要かな」
「それだけ聞けば十分です」
 握手を交わしながらも、素で本音が出た。
 天然だな、この人。
 しかしチクサとはまた、かわいらしい名前だ。
 俺の斎槻という名前も大概に女子に間違えられたが、ここにいる二人も似た経験をしたことだろう。
 特に香夜さん、あなた本当に性別どっちですか。
「じゃあ、時給とかの詳細はまた後日ということで大丈夫かな?」
「はい、あ、電話番号、言っといた方がいいですよね。えっと……」
 ケータイのアドレスを呼び出しながら、鞄から手帳を取り出す。
 番号だけで大丈夫だろうか。一応アドレスも書いておくか。
「――これ、になります」
「ありがとう」
「このお店の番号とかも、教えてもらってもいいですか?」
「そうだね、いるね。店のと、一応、僕の電話……」
 ふと八色さんは天井を見上げ、それから視線を香夜さんに落とした。
「香夜さん、僕の番号、覚える?」
「ケータイのメモリに入ってますけど」
「その入ってるものを出すことってできる?」
「……まだケータイの使い方覚えてないんですか」
「受信はできるようになったよ」
「えっと東藤くん、でしたよね。今、番号出すから待ってくださいね」
 今きれいに八色さんのことを無視したような。
「店の番号はこれ」
 そう言って、八色さんは薄いコーヒー色の、正方形の厚紙を手渡した。
 大きさからしてコースターだろう。そこには店の名前と住所、電話番号が並んでいた。
 ――かふぇ・もでらぁと
 平仮名に意味があるのかはわからないが、なんとなく間の抜けた感じが面白い。
 店に入ってきたときから感じている、少しだけ時間が止まっているような、不思議な感覚。
 秘密の隠れ家。
 言い方は幼いが、そんな表現が似合う店。
 バイトではあるけれど、こんな場所で働けるというのは、ある意味貴重な経験になるかもしれない。
「東藤くんのケータイ、赤外線受信できますか?」
「あ、はい」
「送りまーす」
「……あ、来ました。ありがとうございます」
 画面には「八色千草/喫茶店マスター」の表記と数字とアルファベットの羅列。
 予期せずメルアドまで手に入れてしまった。
 これは素直に嬉しいぞ。
 カコカコとアドレス帳に登録していると、脇からひょいと覗き込まれた。
「わっ、え、何ですか?」
「器用に操作するなぁ、と思って」
「普通、だと思いますけど」
「機械とか、得意?」
「一応、工学部なんで……」
「あ、それ助かる」
「八色さん、機械オンチですからね」
「そうなんですか?」
「使い方がわからないだけだよ」
 これは、たぶん照れてる、のかな。
 八色さんは先ほどの香夜さんのように、軽く手を打ち鳴らした。
「他に質問はあるかな?」
 何か……詳細は後日ということだし、何かあればその時にまた聞けばいいか。
「今のところは大丈夫です」
「そう。じゃあ、また詳しく決まったら連絡するね」
「お願いします」
 姿勢を正し、兄貴仕込みの礼をすると、ぽん、と頭を撫でられた。
 途端、コーヒーとは違う、甘い香りが鼻腔をかすめる。
 花のような、ハーブにも似た匂い。
 頭に手を乗せられたまま顔をあげると、八色さんはやっぱり無表情のまま、柔らかく笑っていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 あぁ、これだ。
 これは惚れるわ。




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