リビングのソファーでの微睡みから覚めると、なにやら玄関が騒がしい。
綱吉がまた悪徳セールスにでも捕まったのだろうか。
やれやれと起き上がって廊下へと出てみる。
そこには、可愛い浴衣姿の背中があった。
「なんだ……祭りでもあるのか?」
「うわああっ!?」
肩越しにひょいと覗き込んだ途端、綱吉は喉をひっくり返すほどの悲鳴をあげた。
あまりの声量に、つい耳を押さえて離れてしまう。
「なん、何、急に出てくんなよ!」
「気配ぐらい直感で察知せんか」
「無茶振りすぎるわ!」
「それで? それはコスプレか」
「コスプレ!?」
その反応が逐一面白くて、口許を手で隠してくつくつと笑う。
これだからついつい可愛がってしまうというか。
「自分で着付けたのか?」
「か、母さんに……」
「起こしてくれれば俺が着付けてやったのに」
「いらないよ! って、ちょ、めくんな!」
「知っているか綱吉、浴衣の下は」
「ちょっと」
不機嫌そうな声と共に綱吉の脇から伸びてきた腕に、裾をつまんでいた手を叩き落とされてしまう。
「綱吉にセクハラしないでください」
声の主はそのまま綱吉を抱きしめ、こちらを睨み上げてきた。
特徴的な髪型と左右色違いの瞳の。
「骸か、久しぶりだな」
不愛想に顔をそむけた彼もまた、綱吉と同じように浴衣に身を包んでいた。
やはり今日は祭りがあるらしい。
「デイモンはどうした?」
「知りませんよ家にでもいるんじゃないですか?」
「相変わらず仲が悪いな」
笑いながら開け放ったままの扉の先を見遣るが、確かに見慣れた姿はどこにもない。
「放っといてください。綱吉、早く行きましょう?」
「う、うん」
「まさかお前らだけで行くつもりか」
「ううん? 向こうで獄寺くんと山本と合流するよ?」
骸に掴まりながら慣れない下駄を穿き、カンカン、と爪先を鳴らせる。
「子どもだけじゃないか」
「大丈夫だよ、獄寺くんのお兄さん来るって言ってたし」
「Gが? だったら俺も」
「やだよジョットいたらうるさくなんじゃん」
「えっ」
「いってきまーす」
繋いだ手を引いて、綱吉はさっさと外へ出て行ってしまった。
「あなたもいい加減、弟離れすることですね」
皮肉たっぷりの笑みを残して、扉が閉められてしまう。
ふたりの話し声も急ぎ足で遠ざかっていって。
まだ明るい空の気配を感じつつ。
ジョットはケータイを取り出し、着信履歴から一番上の番号を選択した。
ややあって、可愛い声が聞こえてくる。
「暇か? 別に嫌味では……家か? いや、この前買ってやった浴衣あるだろ、そう、それ……それ持って、こっち、違う、コスプレじゃない、だから……うん、うん……そうだな、あぁ、じゃあ、愛してるぞ」
さりげなく受話口にキスしたら怒鳴り声が響いて切れた。
本当に、電話でも可愛い奴だ。
「よし」
これでお膳立てはできた。
ケータイをポケットに突っ込んで、急いで自室へと戻る。
ひとまずは、自分の着替えだけでも済ませておかねば。
「お邪魔しま――」
静かに扉を開けた格好のまま、デイモンは驚いた表情で動きを止めた。
「よく来たなデイモン、待っていたぞ」
持ってきた荷物を受け取るついでに抱き寄せて頬にキスをする。
「……デイモン?」
常ならばこの段階で平手打ち、もしくはローキックが飛んでくるのだが。
ぼんやりとした顔のまま。
浴衣姿のジョットを見つめる様に、もしや、と思い耳元に囁いてみる。
「見惚れたか?」
「――っ」
途端にデイモンは頬を赤く染め、きつく唇を噛んで手を振り下ろしてきた。
「おおっ」
その身を解放しながら軽いステップで後ろによける。
「何でも暴力に訴えるのはよくないぞ」
「貴方が口で言って聞かないからでしょう!」
「おねだりだったら何でも聞くぞ?」
「黙れ!」
「照れ隠しも可愛いが、ほら、お前にも着せてやるからおいで」
言いながら先に階段を昇りつつ手招く。
デイモンは空振りしてどうしようもなくなった手を何度か上下に振ってから。
ため息ひとつ。
「……お邪魔します」
後ろ手に扉を閉めて、靴を脱いだ。
「奈々さんは?」
「さっき夕食の買い出しに出掛けた」
「そうですか」
トントン、と階段を昇っていく。
二階の廊下の、奥のほうの部屋がジョットの部屋だ。
「まぁ、いつも通り散らかってるが気にするな」
戸を背中で抑えながら入るよう促す。
「んー、そう言うなら整理整頓を心掛けることですね」
普段通りのやりとりをして緊張する身を誤魔化し、足を踏み入れる。
今日は浴衣を着せてもらいにきたのだから、それだけなのだから、何もないはず。
わざとベッドから視線を外して、雑然とした机にもたれかかる。
「本当に着せられるのですか?」
「当然だ。これも自分で着たしな」
「でも、随分地味ですね。私の物と全然違います」
「お前には派手な方が似合う」
笑って、デイモンが持ってきた荷物から浴衣を取り出す。
先日の買い物のときに、一緒に選んでやったもの。
藍染めを乱菊模様に白く抜き、鮮やかな真紅で彩って。
「お祭りは何時からなのですか?」
「祭り自体はもう始まってるだろうが、花火は、確か七時からだと」
懐中時計を確かめると、短い針が三と四の間を動いていた。
「んー、着付けって時間かかるものですか?」
「少しな、だから――」
帯や肌襦袢などを必要な順番に並べ終えてから、ジョットは微笑んで言い放った。
「全部脱げ」
もちろん殴られた。
「貴方という人は! 一体! 何を考えて!」
「落ち着け、ほら、服を脱がないと浴衣を着せられないだろう」
「で、でも、こんな、場所で……」
動揺したせいでベッドを直視してしまい、そこから想起される記憶に頭が熱くなる。
今は家人が誰もいないようだし。
こんなタイミングで肌を晒せばジョットが何をするかなど想像に難くない。
「せ、せめて、電気を」
「暗くては着せられない」
「一段階だけでも明りを」
「薄暗くても着せられない」
「じゃあどうしろって言うんですか!?」
「大人しく服を脱げ」
「――っ」
「それとも何か、それは俺に脱がせてほしいという前振りか?」
「ちっ、違います馬鹿!」
泣きそうに引きつった金切り声。
それから、デイモンはジョットに背を向けて服を脱ぎ始めた。
八つ当たりのように抜いたベルトと、それからシャツもジョットに投げつける。
スラックスはさすがに躊躇ったが、それでもなんとか脱いでしまって。
半分以上ヤケクソで振り返って問うた。
「んー、それで? 次は?」
「まだだ。全部、と言っただろう」
「全部脱いだでしょう?」
「まだ残っている」
「……まさか」
きわめて悪質な笑顔で。
「あぁ、下着も含めて全部だ」
「嫌ですよ!」
「どうせなら上から下まで和物で揃えたいだろう」
「それは、そう、です、けどっ」
「別にノーパンを強要してるわけではないぞ、これをな、着けるんだ」
ジョットはこっそり通販しておいたものを取り出し、デイモンに見せてやった。
帯のように細長い、白い布。
到底下着には見えない代物をじっと見つめた後、デイモンはぽつりと呟いた。
「何ですか、これ」
「褌だ」
「フンドシ? 日本の民族衣装ですか」
「あぁ、着物のときはこれを下着として着けるのが正式なものだ」
「そうなのですか」
「そうなんだよ」
きっぱり言い切ると納得したように頷いて、しげしげと褌を見つめてきた。
どうやって着用するか考えているのだろう。
日本の衣装は基本的に平面な構造をしているため、帰国子女であるデイモンには立体的な完成形が想像できないのだ。
そこにつけこんでのイタズラなわけだが、悪いと思う気持ちはあっても好奇心には到底及ばない。
「んー……自分でできます?」
「無理だろうな」
やはりきっぱりと言い切ってやる。
実際はひとりでも簡単に着けられるだろうが、それでは楽しみがない。
「……変なことしませんか」
「努力しよう」
「――っ、そういうところがですねぇ!」
「早くしないと時間がなくなるぞ?」
「わ、わかっています!」
スラックスのとき以上に躊躇いつつも、デイモンは手で前を隠しながら、ゆっくりと下着から脚を抜き取った。
その焦らし方がちょっとしたストリップのようで、少なからず興奮してしまう。
なるほど、大事なところを手で隠しているというのも、なかなか乙なものである。
「……ジョット?」
じとりと睨まれ、慌てて思考をそらせると、ため息の気配が耳を掠めた。
「恥ずかしいのですから、早く、着せてくださいな」
「あぁ、わかっている、だがその前に毛を剃らないと」
「…………え?」
まるで聞こえなかった言葉をもう一度と促すように。
デイモンはわずかに笑んだまま首を傾けた。
だから、ジョットも笑顔ではっきりと言い直した。
「褌を巻く前に陰毛がはみ出ないようきちんとラインを剃って整えないとな!」
「死んでしまええええ!!」
蹴り上げた足首を掴まえ、
「は、はなっ!?」
片足立ちでふらついた体を軽く押してやると、倒れるように、デイモンはベッドの上に腰を落とした。
反射的に後ろ手に上体を支えたため、ジョットに対して大股で晒す形になってしまう。
「ひあっ!?」
慌てて膝を閉じようとするもジョットが邪魔で叶わず。
ぐいぐい挟むと逆に嬉しそうな顔をするのが腹立たしい。
ジョットは帯の後ろに隠していた剃刀を取り出すと、股間を隠そうとする手を取り、そっとそれを手渡した。
「安心しろ、剃刀はT字のものを用意している」
「どこに安心する要素が!?」
「ちゃんとジェルも用意したぞ」
「その万端なところが気持ち悪い!」
「はみ出していて恥をかくのはお前だぞ?」
「えっ?」
「恥ずかしい思いをしてもいいのか?」
「うっ……」
じっと剃刀を見つめ。
ジョットの顔も見つめて。
涙が滲んだ頃合いで。
デイモンは真っ赤に染めた顔を、小さく小さく頷かせた。
「いい子だ」
頬に口付け、ベッドの下から髭剃り用のジェルのチューブを取り出す。
「ひやっとするが、我慢するんだぞ」
「待っ、それぐらい自分で――っ!」
ぬるりと冷たい感触に、微弱な電流のようなものが背中へと駆け上る。
剃刀を握りしめた手を口に当て、必死に声を殺して。
脚の付け根を撫でる指先の、肌を粟立たせる冷たい刺激にたえて。
ジェルが白い泡に変わったのを見て、ジョットは顔を上げた。
「準備できたぞ」
「ん、んぅ……」
股間だけが白い泡に包まれているのは違和感のある光景で。
期待を隠そうともしない顔を一瞥してから。
デイモンはゆっくりと、震える手で、まずは自身を隠すように押さえ、泡の端っこに剃刀の刃を当てた。
「元が薄いからな、キワを剃るだけで充分だろう」
「だ、黙っててください!」
少しだけ。
ほんの少しだけでいいのだから。
ゆっくり、ゆっくり、刃を、滑らせて。
ショリ、と小さな音が聞こえた瞬間、なんとか保っていた細い糸が、切れた。
「ふっ……くぅ、んっ」
一気に視界が歪み。
両目をきつく閉じると大粒の雫が溢れ出した。
雨のように次々と。
泡を少しずつ流して。
「こっ、な……たえら、ません……っ」
喉を引きつらせて。
羞恥に身を震わせて。
「デイモン……」
さすがにやりすぎたか。
ジョットはデイモンの手から剃刀を抜いて、雫をひとつ、唇に含んだ。
「すまん、泣いてくれるな」
「ばか、ジョットのばかぁ、んっ……」
塩辛さを乗せて口付けると、甘えるように応えてきた。
背に腕を回して丁寧にシーツの上へ押し倒して。
涙の痕を丁寧に舐め取って。
「泣くな、デイモン」
「ジョット……」
「俺が代わりに剃ってやるから」
「い、いやああああっ!?」
暴れ出す前に腕と膝を使ってデイモンの下半身を固定し、ジョットは器用に剃刀を滑らせた。
「やっ、やっ、全部剃らないで! 全部は嫌です!」
「全部は剃らん、もったいない」
「んゃっ、どこ触っ、やだぁっ!」
「持ち上げんと危ないだろう」
「そんなとこまでっ」
「念には念を入れておかんとな」
「やだぁ……っ」
鼻をすする音がくぐもって聞こえたので顔を上げると、デイモンはベッドの脇に置いてあったクマのぬいぐるみを抱きしめて羞恥にたえようとしていた。
瞬時に心臓を鷲掴まれたような息苦しさを味わう。
あれは確か前に綱吉がゲームセンターで落としてきたヤツだ。
なぜそれを抱きしめたのかはこの際どうでもいい。
なんという、本能くすぐる光景だろう。
泣きながらクマのぬいぐるみを抱きしめるなど、誘っているようにしか見えない。
できることなら今すぐ写メに収めたい。
いや、できれば高画質のムービーで永久保存したい。
――が。
そんなことをしたら即絶交されるのは目に見えているので、せめて網膜と脳細胞に焼き付けておく。
なんという眼福。
今度抱いてやるときにも持たせてみよう。
「……よし、あとは拭くだけだからな」
「うっ……うぅ……うぅぅ……」
何枚か抜き出したウェットティッシュで泡を拭き取り、剃り残しがないか確かめる。
日焼けを知らない肌は雪のように白く、髪と同じ色の茂みがより際立って見えた。
「も……じゅうぶん、でしょう……?」
「いや、しっかり確認しないと」
「ひゃんっ!?」
剃った痕に指先を滑らせると、上から押さえていた腰がびくりと反応した。
「……んんっ……」
わずかずつにも反応してきている逸物には一切触れず。
滑らかな肌を充分に楽しんでから。
「大丈夫そうだな」
ジョットはティッシュや剃刀を素早く片付け、立ち上がった。
「ふ、ぅ……」
「さぁ、次は褌を巻いてやる」
手を引くと、デイモンも覚束ない足取りで立ち上がった。
胸にぬいぐるみを抱きしめたまま、乱れた呼吸を整える。
「気に入ったか?」
「ち、違っ」
「そのままでも可愛いが、これと交換だ」
「……はい」
頭を撫でてぬいぐるみと褌の端を持ち替えさせ、布を足の間に潜らせながら背後に立つ。
「引っ張るから、そのまましっかり端を持っておけよ」
「ひ、え? 引っ張るって――っ!?」
突如、股間に喰い込む感覚に、デイモンは布を抱きしめるように腰を折ってしまった。
「あ、こら」
「なん、何、何するんですかっ?」
「何って着せてるんだろう、ほら、しっかり立ってくれ」
軽く腰を叩いて伸ばすように促し、布を捩じりつつ尾てい骨の少し上の辺りで直角に曲げる。
さらに、デイモンが抱えている部分を押さえるように、ぐるりと腰に一周巻きつけて直角に曲げた部分に通すと、今度は逆回りに巻いて残りをまとめてしまう。
普通の締め方ならこれで完了だが。
「デイモン、もう少し足を開け」
「やっ、やっ、今度は何ですかっ」
ぐい、と太腿を引いて、仁王立ちの状態にさせる。
ジョットは背後から抱きしめるようにして股間に手を伸ばすと、
「んっ」
きちんと睾丸と逸物を包み込むように布の端を調整しながら、あるいはやんわりと揉みしだきながら引っ張り、最後に残った布を緩く腰に巻いて落ちないようにまとめた。
正面に回って膝をつき、何もはみ出したりしていないか確認する。
わずかに布を押し上げているようにも見受けられるが、それはあえて無視しておく。
「よし、毛もはみ出していないし、大丈夫だな」
「ん……ジョット……」
「次は浴衣だ。ずっと立ったままで辛いかもしれんが、あと少し我慢してくれ」
物欲しげに訴える顔にキスだけ与え、床に並べておいた中から袖のない肌襦袢を取り上げる。
「ジぉ、ジョットっ」
慌てたように袖を掴まれる。
「どうした? 浴衣、着たかったのだろう?」
「んー、それは、あの、その……」
蒼い瞳を泳がせ、化粧もしていないのに赤く染まった目許を滲ませ。
自尊心から紡ぐことのできない言葉を何度も飲み込んで。
デイモンは薄い唇を噛んだまま俯いてしまった。
その様子が本当に可愛らしくて。
すぐに抱きしめたいほど愛おしくて。
けれど。
欲しているものを理解しつつも、ジョットはかすかに笑って首を傾げた。
「何だ、はっきりしないな」
「――っ」
きゅう、と眉根に皺が寄る。
「も、もういいです! 早く着せてください!」
「そのつもりだ、ほら、腕を上げろ」
言われるままに上げられた腕に肌襦袢を通し、合わせを押さえさせてから裾よけを巻きつける。
「袖のないタイプだから幾分か涼しいだろう」
その上から浴衣を着付け、手際よく帯も締めていく。
簡単な文庫結びでいいかとも考えたが、レースの彩りに負けないよう、片蝶結びで整える。
細いへこ帯と飾り紐を巻いていると、
「……馬鹿」
途中で小さな呟きが落ちてきたが、ジョットは聞こえなかったふりをして、ふたつを牡丹に似た花の帯留めで固定した。
最後に、帯留めと同じデザインの髪飾りで、頬に落ちかかる髪を軽く上げてやる。
「よし、できたぞ」
繊細なレースの半襟を調整しながら、不機嫌に歪められた唇を軽くついばむ。
それを何度か繰り返す内に、やがて、あきらめたようにデイモンも口付けに応えてきた。
一度だけ深く呼吸を絡めて。
ゆっくりと舌を離し、腕の中の恋人の姿をじっくりと眺めてから、ジョットは感嘆の息をこぼした。
「よく似合っている」
「んー……本当に?」
「あぁ、とても綺麗だ」
デイモンは朱に染まった顔をそむけ、視線だけ向けて呟いた。
「……ありがとう、ございます」
素直なのか素直じゃないのか。
苦笑を隠してデイモンを離し、並べてあった下駄を拾い上げる。
もう片方の手を差し伸べて。
「仕度もできたし、そろそろ出掛けるか」
「……はい」
恥ずかしがりながらもその手を取り、デイモンはジョットにつられるまま、祭りの会場へと向かった。
*****