すっかり先の潰れたペンをインク壺へ刺し、ジョットは両腕を伸ばしながら背を反らせた。
窓で切り取られた空は抜けるような青。
雲一つない景色は絵の具で塗り潰されたようで。
まるでこの心と同じ。
――空虚。
いつからだろうか、日々に空しさを感じるようになってしまったのは。
幸いなことに満ち足りた生活が保障される血筋に生まれついた。
何もかも不自由のない暮らし。すべて思い通りに手に入れられる地位。
だけれど。
どうしても満たされない。
ずっと胸を蝕む、空くような感覚は。
「何さぼってんだ」
いつの間に部屋に入ってきたのか、Gは持っていた書簡をジョットの顔に投げつけた。
「痛い」
「だろうな」
「これは?」
「旅の一座が到着した。興行の許可が欲しいだと」
「あぁ、わかった」
紐を解いて中を確認する。
そこには全興行の日程や出し物の内容、構成人数、猛獣の有無などが明記されていた。
併せて土地の使用許可書にも目を通し、最後に潰れたペンで不恰好なサインを綴る。
「勝手にやってくれても構わんのだがな」
「抜かせ、領主が義務怠ってんじゃねぇよ」
ペンが離れたタイミングで書簡を取り上げ、Gはざっと流し見てから丸めた書簡を紐で留めた。
「今晩から早速やるみたいだが、見に行ってみるか?」
「そうだな……まぁ、気が向いたら」
「もっかい誘ってやっから決めとけよ」
「了解した」
「あと、早く新しいペンに変えろ」
その返事は聞こうともせず、Gは部屋から出ていってしまった。
一人残され、また空を仰ぐ。
何をどうすれば、この空しさは紛れるだろうか。
結局、強制連行される形で、ジョットは広場へと足を運んでいた。
半円の形に広げられた天幕に、木を組み立てて作られた大きな舞台。
かがり火は煌々と薄暮を照らし、楽器を調律する音が空気をざわつかせる。
子どもの頃なら心を躍らせたりもしただろうが、今では妖艶な踊りも危険なショーも、この胸をときめかせることがない。
もっと。
もっと強い刺激を。
――などと貪欲に求めてみても、どうせ。
「つまんねぇ顔してんじゃねぇよ」
「いたっ」
Gはジョットの隣に座り、脳天にぶつけた酒器をテーブルに置いた。
「何をする」
「始まった」
指先が振られるのにつられて、舞台へと目を向ける。
唐突に。
腹の底を震わせる太鼓のリズム。
聴き慣れない音を響かせる弦楽器。
そして、独特のステップを踏む踊り子が姿を現すと、周りの客たちが一斉に歓声を上げた。
幾重にも鈴の音が鳴り重なり、それぞれ鮮やかな紗を翻して舞う。
それは幻想的な異国の風景。
けれど。
確かに舞いも演奏も美しいとは思うけれど。
ゆっくりと酒器を傾け、喉を焼く熱をため息に乗せて逃がす。
どうしてこうも心が動かないのか。
次々と変わる旋律を聴くともなしに聴いている内に、踊り子たちが次々と舞台を降りてテーブルの隙間を回り始めた。
ある者は客を舞台へと誘ってみせ、ある者は受け取った花を余所へ渡したりと。
ジョットの近くにも代わる代わる手を引きに寄ってきたが、ジョットは穏やかな笑みですべて断ってしまった。
「なんだよ、行ってくりゃいいじゃねぇか」
「生憎、踊りは苦手だ」
「リズム音痴だもんなぁ」
「知ってるなら訊くな」
ばつの悪さから一気に酒をあおる。
「もう一杯いくか?」
「いや、もういい」
乾いた酒器を置いて、ひとり席を立つ。
「おいジョット」
「先に戻る」
「おい!」
腕を掴まれる前に逃げようと身を返した先で。
すでに顔を赤くした誰かが、踊り子の腕を捕まえようとしているのを見た。
ショーを楽しむ者として、彼女らに触れることは禁じられた行為だ。
元は舞いが神に捧げる儀式であった名残りでもあるのだろうが、少なくとも踊っている間は不可侵でなくてはならない。
「見過ごすわけには、いかんよな」
足音を消して素早く近寄り、いざ男を制止しようとしたとき。
とん、と。
伸ばした腕が誰かの身体に触れた。
驚いたのは相手も同じようで、夜空のように丸く見開かれた蒼が、そこにあった。
一瞬、淡い菫色の紗に遮られて。
涼やかな鈴の音。
銀色が閃いたかと思うと、男の被っていた帽子が高く空へと跳ね上がっていた。
その踊り子が、手に構えた剣で飛ばしたのだと理解するまで数秒。
それから、片手で剣を背に隠し、片手をジョットの首に絡ませ。
菫色の踊り子は間近に視線を交わして微笑むと、他の踊り子と共に舞台へと戻っていった。
辺りは商人の痴態など気にせず、さらに盛り上がる一方で。
不意に。
ざわめくように肌が粟立った。
鼓動が、耳鳴りが、震えが。
脳を、心を、感情を揺さぶる。
―――歓喜。
きっとそれが一番正しい。
ジョットはその夜、生まれて初めて、手に入れたいものを見つけた。
ぼんやりと、ただ書類の文字を視線で辿っていく。
昨夜の熱はまだ尾を引いていて、芯から抜ける様子はない。
目を閉じずとも思い出せる。
あの、夜空よりも深く濃い蒼の宝玉。
かがり火を吸い込んで輝く色。
「テメェ、ペン変えろっつったろうが」
Gはインク壺から抜いたペンを見て、至極面倒臭そうに息を吐いた。
それを塵箱へ捨ててしまい、勝手に執務机の引き出しから新しいものを取り出すと、腰元のナイフで先を削って整え、インク壺へと突き刺した。
なかなかに手際よい作業であったが一切目もくれず、ジョットは倒れるように机上へと俯せた。
木製の机はそれなりに冷たかったけれど、まだずっと頬のほうが熱い。
一時ですら忘れられない。
「ったく、使えねぇ領主だな」
後頭部を平手で叩かれても、反応することさえ億劫に感じる。
一体どうすれば、この熱は消えてくれるのか。
ジョットはもうひとつ息を吐くと、鈍い動作で立ち上がった。
「散歩に出る……」
常ならば怒鳴って椅子に縛りつけでもしただろうが、Gはやれやれと肩をすくめただけで、
「怪我すんなよ」
そう忠告して残りの書類を回収した。
おそらくはジョットがいない間に分類しておくつもりなのだろう。
相変わらず、物分かりがいいというか何というか。
手の平に苦笑を隠し、ジョットは短く礼を述べて部屋を出た。
蛇のように路地を縫う白い石階段を降りつつ、行き先を考える。
市場が賑わうには時間が早く、港へ出るには時間が遅い。
丘に登れば風が気持ちいいだろうか。
川辺へ行けば誰かと雑談でもできようか。
さて、いずこへ。
ちょうど石階段と細い路地が交わる場所へさしかかったとき。
「きゃっ――」
不意に物陰から現れた人影とぶつかってしまった。
傾ぐ影を見て、慌てて相手を抱き寄せる。
ふわりと。
鼻腔をくすぐる甘い花の香。
風で膨らんだ淡い藤色の紗と、鈴の音。
ゆっくりとこちらを向いた、抜ける天蓋の――蒼。
それは。
昨夜の。
「――っ」
唐突に、心の内側が歓喜した。
もしやこれが運命という導きか。
あるいは偶然を必然へと昇華するチャンスなのか。
しかし、浮きたつジョットの心情とは裏腹に、
「んー、その目はただの飾りですか?」
辛辣な台詞が耳に届いた。
「え?」
「離してください。早く、今すぐに」
「あ、あぁ」
鬼気迫るものを感じ、両手を上げて解放する。
相手はわざとらしく服の埃を払い落とし、もう一度こちらを見下ろしてきた。
昨夜は気がつかなかったが、相手はジョットより幾分か背が高かった。
女性に見下ろされるのは幼少期以来だと考えていると、低い呟きが聞こえてきた。
「何なのですかこの街は、少し歩いただけで頭が軽そうな男共は寄ってくるし、終いにはぶつかった拍子に抱きついてくるし、」
「……ん?」
「昨日もわざわざ宿までついてくる者までいたし、旅一座の人間を娼婦と勘違いしているのか……」
そして長い長いため息で口元の紗を揺らし、
「本当に最低です、早く他の街へ移動すればいいのに」
心底から毛嫌いする様子で愚痴を落とした。
昨夜の、あの、妖精めいた姿からはまったく想像できない態度。
それにこの声。
踊り子であることや、その衣装から女性と認識していたが、もしや彼女――いや、彼は男性ではないのか。
たった一晩で幻想を抱くことはないだろうが、それでも、人によっては幻滅してしまうかもしれない事実を前にして、ジョットは多少なりと驚いたものの、それ以上に、なぜ彼が女性の恰好をしているのかということに興味が湧いた。
「この街の者が、不快な思いをさせてしまったのなら謝る、申し訳ない」
「んー?」
「心配なら護衛をつけよう、一座の他の者にも、希望があれば何でも言ってくれ」
触れはしないが身を寄せて次々と提案しようとするジョットからやや後ずさり、彼は怪訝そうに問いかけた。
「……貴方、誰です?」
「あぁ、すまない名乗りが遅れた。俺はジョット、この街の領主をしている」
「領主? その割に若く見えますが」
「俺が成人してすぐに父が引退したからな、歳は若いが経験はある方だ」
「んー……」
「そうだ、護衛に俺などはどうだ? 腕にも自信がある」
「物好きの道楽に付き合うつもりはありません」
手の平で軽くジョットの胸を押し、
「失礼します」
彼は階段の下へとステップを踏んだ。
「待て、いつまでこの街に留まるんだ?」
「短い恋を楽しむつもりでしたら、余所へどうぞ」
そう答えたきり振り返ることもなく、藤色の紗は風に飛ばされるように足早に、去っていってしまった。
あとに残されたのは、やはり、行き場のない高揚感だった。
「おもしろい……」
己の呟きすら気付かないまま、ジョットは口許を三日月に歪めた。
広場に赴くと、すでに場は熱気に満ちており、あちらこちらに踊り子の姿が見受けられた。
その内のひとりに視線を留め、ずっと目で追い続ける。
「あれか?」
誘ってもいないのについてきたGは、目敏くジョットの視線の先を言い当ててみせた。
今宵は菖蒲色の紗を纏い、耳飾りや縫い付けられた鈴を震わせて舞う、蒼い瞳の踊り子。
手元の酒を一口も含まずに見つめていると、ふと、振り向いた目と視線が合った。
遠目にもわずかに瞳が揺れたのがわかり、顔を覚えてもらえたのだと喜んだのも束の間。
彼はすぐさに、顔ごと、あちらへ背けてしまった。
「……嫌われたかな」
近くに来たらもう一度話しかけようとまで考えていたのだが、昼間の一件で警戒されてしまったのか、彼はこちらのテーブルには近寄ろうともしなかった。
それでもジョットの目は艶やかな姿を追いかけることをやめようとしない。
蝶のような揺らめき、猫のようにしなやかな四肢。
艶めかしく身をくねらせたかと思えば、触れることを躊躇うほど凛と駆ける。
そうして、じっと眺めていると、ひとつのことに気がついた。
「あの剣……あれは、何か特別なのか……?」
舞台から降りて舞い踊る役者はみな、花やカスタネットしか持っていないのだが、唯一彼だけが細長い剣を携えていた。
抜き身のまま器用に、誰一人とて怪我をさせることなく振り踊る。
「あぁ、あれは“剣の者”って役だ」
「剣の?」
「こういう場だとどうしても絡んでくる酔っ払いがいるだろ、それを追っ払う役」
「なるほど……」
思い出すのは昨夜のこと。
ジョットが制止する前に、彼は男の帽子を飛ばして笑いに替えることで場を治めていた。
「一座に女っぽい男がいたら、ああやって踊り子にして護衛代わりにするって話だぜ」
昼間にしっかりと骨格を確かめ、声を聞いたからこそ判断ができたが。
かがり火と星明りの中で踊る姿を見ただけでは、他の踊り子と容易に混ざってしまい客を緊張させることもない。
そして自然な流れで不埒者を牽制することもできる。
一座の中でも特別な存在ということか。
それに――気づいたのはジョットだけかもしれないが――鈴の音も違う。
彼だけが、一音ほど高い、澄んだ音色を響かせていた。
たったそれだけのことだけれど。
少し彼を知っただけで、少し近くなれる気がした。
そして、乞い願う。
「名を、教えてくれないか?」
壁にもたれたまま声をかけると、彼は驚いた様子で紗に隠した顔を上げた。
さすがに疲れているのか、昼間よりは緩慢な動作でこちらを見遣り、不機嫌を露わにした。
「んー、しつこい男は嫌われますよ」
手元のカンテラの明かりに照らされて輝く蒼い瞳。
何度でも美しいと感じてしまうそれを見つめて、ジョットは淡く微笑んで告げた。
「それでもいい、名を呼びたい」
「名を呼んでどうします」
「呼びかけて、振り向かせて、その瞳を見つめたい」
「……貴方、男性でしょう? 奇遇にも私も男です。ですから、」
「性別など関係ない、俺はお前に魅入られた、だから名を知りたいと願う」
一呼吸ほど間を置いて、もう一度丁寧に紡ぐ。
「その名を、教えてくれ」
真っ直ぐに目を合わせたまま答えを待っていると、彼は一度視線を外してから、横目で窺いつつ呟いた。
「……デイモン・スペードです」
「スペードか、珍しい名だな」
「剣という、意味です」
「なるほど」
覚えたての名前を口の中で反芻し、ジョットは笑った。
「それは、お前によく似合っている名だ」
率直な感想だったのだけれど、彼――デイモンはわずかばかりに頬を赤く染めた。
なんて可愛らしいんだろうと思う。
随分昔の話だが、意中の少女が同じような反応を見せたときも、ここまで胸が高鳴りはしなかった。
単純に喜ばせることに成功した達成感があっただけで、さらに次を求める貪欲さはなかった。
だのに、今はどうだ。
「……デイモン」
「何ですか」
名前を示す音を紡ぐだけで、それに彼が応えるだけで。
「デイモン」
「何ですか」
その瞳を、その声を、その存在を独占できたらと願ってしまう。
望みを叶えたくなってしまう。
「いい名だ、デイモン」
「そう何度も呼ばないでください、鬱陶しい」
「あぁ、済まない、時間をとらせた、もう宿に戻るのか? 送っていこう、いや、嫌ならいいんだが、できれば、」
どうにも浮かれすぎて本音と建て前の混ざった誘い文句を紡いでいると、特徴的な笑い声が鼓膜に触れた。
彼が笑ったのだと認識するまで、おそらく間抜けな顔をしていたのだと思う。
デイモンは紗に隠れた口許を手で覆い隠し、楽しそうに両目を細めた。
「いいでしょう、この街は夜道が危険なようですし」
道を空けるように半歩ほど横にずれ、細い手で招く。
「ほ、本当か? いいのか?」
「早くしないと気が変わってしまいますよ」
「待っ、わかった、あぁ、俺がいる限りすべての安全を保障する」
「お願いします」
今すぐにでも駆けそうになる脚を押さえつけて。
ジョットは急いでデイモンの横に並ぶと、いつになくぎこちない足取りで宿へと歩き出した。
幸いにもそれがきっかけとなり。
毎夜、ジョットはデイモンを宿へと送り届ける役目を仰せつかることができたのだった。
もちろん宿屋の入口で別れるため、部屋に入ってあれやこれやということは一切ないが、それでも充分に満足だった。
――利用されていると、わかっていても。
笑顔の下でデイモンが依然警戒していることは、すぐに察せられた。
これほどの美しさなのだから、今までにも危険な目に遭ってきたのだろう。
そして危険を回避するために、デイモンはあえてジョットを護衛に立たせた。
ジョットほどの地位があれば他の者は迂闊に手を出せず、さらに自分が警戒すべき対象をひとつに絞ることもできるからだ。
なかなかに知恵が働くというか。
その賢明さに賛辞を呈する意もあって、ジョットは利用されることを受け入れていた。
例え想われていなくとも、目が合えば声が聞けるし、話している間は少なくとも彼を占有できる。
至極面倒臭そうに嫌がる態度も。
気を許してくれた時にだけ見せてくれる、照れた様子を隠す拗ね方も。
皆を守るために剣を振う凛とした姿も。
デイモンの一挙手一投足、喜怒哀楽のすべてが愛おしかった。
そうしてゆっくりと、時間をかけて、その心へと手を伸ばして。
ある日、ジョットは確信するのだった。
やはりこれが「恋愛感情」なのだと。
本当は物珍しさから単に興味をもっているだけなのではと自分自身を疑っていたのだけれど。
その瞳がこちらを向いていてもなお。
その声が自分の名前を呼んでいてもなお。
もっとほしいと。
さらにその先を願ってしまうほどに愛おしくなっていた。
相手が、街から街へ旅をする一座の、それも同性だとしても。
いつかは終わる必定を理解しつつも、急速に回り出したこの感情は止められない。
せめて。
愚かだと言われようと。
ジョットは終幕から目をそらしたまま、今を楽しむことを選んだ。
「――え?」
今宵はやけに早く公演が終わり、理由はわからないけれど少しだけでも長く話ができるのではと浮かれていたジョットに、デイモンはもう一度同じ台詞を淡々と繰り返した。
「だから、今宵は宿まで送っていただかなくて結構と言いました」
「な、なぜだ」
「この街で商いをされてる方の屋敷に招待されたので、今宵はこのまま一座の皆と行って参ります」
屋敷に招待。
その手があったかと心中で手を打つ一方で、ジョットは注意深く問うた。
「誰の屋敷だ……?」
「んー、まさかついてくるつもりですか」
じとりと睨む目から首を振って逃れ、慌てて弁解する。
「いや、気になっただけだ、言いたくないなら無理には、」
「座長からはマルシォ氏のお屋敷だと聞きました」
ジョットの言葉を遮り、デイモンは素っ気なく応えた。
「マルシォ……?」
即座に、脳裏にその男の悪評と嫌な予感が浮かび上がる。
ジョットはあまり社交場へ赴かないので直接顔を合わせたことはないが、女性に節操がないという噂は頻繁に耳に届いていた。
今回も一座の踊り子たちに目をつけての招待だろう。
あるいは。
もし、彼の目的が女性でなく、唯一の異彩であるデイモンだったとしたら。
まさかとは思うがしかし、どうしても不安を払拭できない。
その心中を、ジョットは素直に吐露した。
「行くな……と言えば、やめてくれるか?」
けれどデイモンは笑って首を振った。
「私にとって仕事は誇りです、貴方の我儘には付き合えません」
「……そう、だろうな」
ここ数日の短い付き合いでも、デイモンが“剣の者”という役目を誇りに思っていることは容易に理解できた。
デイモンが行かなければ、逆に踊り子たちがマルシェの魔の手に晒されてしまいかねない。
かと言って、デイモンひとりを危険に晒していいはずもない。
言葉を選んで黙り込むジョットに、デイモンは普段より優しい声をかけた。
「皆と行くので平気です。それに、貴方が心配しているようなことはあり得ません」
「しかし、」
「他の踊り子らは、まぁ、気に入った客であれば求めに応じることもありますが」
顔の半分を覆う菖蒲色の紗を揺らして、なお笑う。
「私はそもそも性別が違う。女性のように、その……あれといったこともできませんし……」
かがり火に照らされるだけで顔色までは見えないが、もしかすると赤く染めているのかもしれない。
一座の中で産まれ育ったと聞いていたが、どうやらそういった下世話な話には不慣れらしい。
自ら扇情的な姿態を晒している癖に、いや、そのギャップにこそ惹かれてしまうのだが。
ただの踊り子とは違う、まさに神へ捧げる清らかさこそが愛おしい。
「んー、それに、」
デイモンは腰に佩いた刀剣を指先で撫で、言葉を続けた。
「もし求められても、その時はこの剣で退けるまでです」
頼もしいと言うか何というか。
あきらめて息を吐き、ジョットは一歩だけ身を引いた。
「不本意だが仕方ない、今日はここで見送るとしよう」
「ヌフフ、それでは失礼します」
「あぁ、くれぐれも気をつけて」
涼しい鈴の音と笑みだけを残し、デイモンは遠くで待つ仲間の元へと駆けていった。
一度振り向いた蒼い瞳に手を振って返し、姿が見えなくなるまで見送る。
不安は増す一方だが、きっと、その時は他の者たちが守るに違いない。
デイモンと話す度に鋭く目を光らせる座長のことを思い出し、ジョットは知らず肩をすくめた。
あの歳になってもまだコトを知らぬ様子であるし、かなり強固に守られ、そして愛し育てられてきたのだろう。
ジョットは凛と浮かぶ満月にため息を吹きかけ、誰もいなくなった広場をあとにした。
*****