惹いて。
惹かれて。
甘くて苦い駆け惹き。
箱から取り出した布を撫で、満足げに息を吐く。
上質な絹の手触りと、わずかに残る染料の花の香り。
袖を通すと、幾層か厚く織り重ねているのだろう、絹の割にはしっかりした作りなのが感じられた。
「……気に入っていただけたかな?」
「そうですね」
最初の反応とは打って変わって素っ気なく返し、すぐに腕を引き抜いて箱へと落としてしまう。
半分ほど箱からはみ出て床の上へと広がってしまったが、それには一瞥もくれず、しなやかに肘掛けへと頬杖をつく。
蒼色の宝玉は冷たい色で、長い睫毛越しに男を見上げた。
「んー、質は大変よろしいようで」
「あぁ、あぁ、わかるか」
「採寸もせず作らせたにしては上出来ではないのですか?」
「そう他人事のように言わないでくれ、貴方のために用意したんだから」
「ヌフフ、愚かですね」
相手を見上げつつも高飛車に見下す態度。
けれど男は気を悪くするどころかさらに上機嫌に、雄弁に己の功績を語り始めた。
それに相槌も打たずに、静かに聞き続ける。
男がこうして熱心に口説こうとする理由。
あるいは、こうして冷徹に対する目的。
話は、一カ月前に遡る。
港をシマに持つファミリーは表では流通を管理することで利益を得るが、一方ファミリーによっては裏、あるいは闇の世界において武器商の名を持つことがある。
ボンゴレファミリーのアジトから一番近い港を仕切っているオークモスファミリーもそうしたファミリーのひとつで、海外から取り寄せた数多の武器を扱うことで表以上に利を得ていた。
そのオークモスファミリーの動向がおかしい――と、アラウディが情報を持ってきた。
いや、実際には、情報を求めてきた、といったほうが正確かもしれない。
というのは、オークモスファミリーは周りの組織に比べ規模が小さいためか、自己防衛として内部情報をとかく秘匿する傾向があった。
「捜査しようにも情報が少なすぎるんだよね」
彼にしては珍しく愚痴をこぼすぐらいに行き詰っていたのだろう、ジョットはすぐに協力を申し出て、右腕であるGに調査の任を与えていた。
そうして二人が情報収集する中、ひとつの出来事が起きた。
Gの代わりにデイモンがジョットの付き人として、月に一回行われる会合に出席した際のこと。
顔見知りを見つけたジョットが、少しだけデイモンから離れた隙に。
人を押しのけ、靴音高く歩み寄り。
突然、ひとりの男がデイモンの手を握りしめて愛を語り始めたのだった。
当然、デイモンは得意の幻術を見舞い、最終的に持っていた杖で男を殴りつけた。
華麗に踊るようにも見えた一瞬の出来事。
互いの部下が得物に手を伸ばして一触即発かと危ぶまれた中。
慌てて戻ってきたジョットが制止を口にするよりも早く。
男は頭から血を流しつつもデイモンの足元に跪き――さらに熱く愛の言葉を捧げたのだった。
「――きっ、気持ち悪いっ」
デイモンが幻術に紛れて姿を消した後も、男は陶酔しきった表情でその空間を眺めていたらしい。
まるで、シンデレラを見つけた王子のように。
この出来事の数日後に、おかしな情報が舞い込む。
オークモスファミリーの幹部であり中核的な存在である男が、とある人物に好意を抱いていると。
もとより好色家で娼館に入り浸ることが多かったというが、その人物に出会って以降、どんな女性の誘いにも乗らず一方的に執心しているらしい。
男の名はロレンツォ・パルマ。
そして、彼が一目惚れした相手とは――
「あの時は本当に、電流が体を駆け抜けたね!」
ロレンツォは部屋の中央に据えられた椅子の周りをぐるぐると歩き回りながら、身振り手振りも激しく語った。
「理想の美女が目の前に現れて、それはもう、心臓を煮えたぎる油の中に落とされた気分だった!」
シェイクスピアかモーツァルトのつもりか。
戯曲にも男の話にも興味が湧かず、ため息をついて椅子に身を委ねる。
ただそうしただけだというのに、ロレンツォは硬直するように足を止めて感嘆をこぼした。
「やはり美しいな……あぁ、絶世の美女とはまさに貴方のことだ」
それをわずかに伏せた目で睨みつける
「何度も申し上げたでしょう、私は男だと」
「構わない、構わないんだ、性別など問題ではないと俺は貴方に出会って理解した!」
「はっ、好色もここに極まれり、ですね」
一笑に付して視線すらもロレンツォから外してしまう。
ため息。
まさかこれほどまでに奇異な展開があるとは。
そう、あの日唐突にデイモンを口説いた男がオークモスファミリーの幹部ことロレンツォ・パルマであり、彼の想い人こそ、このデイモン・スペードであったのだ。
情報を聞き出すきっかけが向こうからやって来た展開に、デイモンは自ら動くことを選んだ。
その感情を逆手に取って情報だけ引き抜くために。
俗な言い方をすれば、「ハニートラップ」の仕掛け人として。
もちろん、このことはジョットには内証である。
どうせ相談すれば危険だからと反対するに決まっている。
もしくは嫉妬でもするかと考えてみたが、ジョットからはどうにも想像できず思考を停止させた。
しかし――
室内を飾る凝った内装と、それに合わせた調度品。
毛足の長い絨毯の上には衣装やアクセサリーをはみ出させた箱が所狭しと並べられ。
それらに囲まれて鎮座する豪奢なアンティークチェア。
贅と趣を凝らしたこの箱庭はすべて、デイモンのために用意させたという。
その中央に据えて、愛でるために。
――まさかこれほどまでに強烈なアプローチを受けるとは。
二人掛けほどもある大きなアンティークチェアの端に寄り、プレゼントの山からひとつ、金色の鎖を手に取ってみる。
「あぁ、気に入ったなら持ってってくれ、何なら売って金に換えてくれても構わない」
「そこまで貧窮していませんよ」
手慰みにもてあそびつつ、じっと目の前の男を観察してみる。
ロレンツォはその視線を受けると、主人を待つ犬のようにその場に座り込んだ。
顔は悪くない。体格も、優男かと思ったが案外着痩せしているだけらしい。性格も従順で潔い。
そして、約束をよく守る。
デイモンは試しに誘うように足を組み替えてみたが、ロレンツォは顔を赤くしただけで微動だにしなかった。
「ヌフフ、いい子ですね」
ご褒美とばかりに笑みを浮かべてみせる。
最初の駆け引きとして交わした約束事。
それは、許可しない限り決して近寄ったり、まして触れたりしてはいけないということ。
ハニートラップといえど肌を見せるつもりも抱かれるつもりもない。
この身も心もとうの昔に唯一へと捧げているのだから。
それを明らかにするためにも張った防衛線だったが、ロレンツォは深読みもせず素直に受け入れた。
――のだけれど。
彼は「その代わりに」と、ひとつの条件を提示してきた。
それを聞いた瞬間にデイモンは再度ロレンツォを杖で殴りつけたが、その程度に危険な条件であった。
内容自体は「この部屋にいる間はずっとアンティークチェアに座っていること」と至極簡単なものだったが、問題はこのアンティークチェアの正体。
それは対術士用結界の施された代物だったのだ。
「だ、だって、俺だけ手が出せないんじゃ、フェアじゃないと思わないかい?」
確かにその通りかもしれないが、結界の中に入ることは幻術士に対して丸腰になれと言っているに等しい。
椅子に押さえつけられてしまえば、もし力で敵わなければ、命すらもただでは済まない。
「それに、本気で口説いてる相手が幻だったとかだったら虚しくなるし……」
無害そうな顔をしていても結局はひとつのファミリーを担う男ということか、抜け目がない。
まさか最初の駆け引きで身の安全と危険を同時に突きつけられるとは。
しかし、それを受け入れなければ今後の交渉はなくなってしまう。
デイモンはかなり渋った末に、最初の約束を絶対に破らないと誓わせた上でその条件を呑むことにした。
危うい天秤とはわかっているが、今は情報を聞き出すことが最優先事項である。
結果さえ出せれば、ジョットはきっと褒めてくれる。
これはそのための遊びだ。
早く終わらせて戻ろう。
「その顔は、誰か他の奴のことを考えてる顔だ。そうだろう?」
言われ、デイモンは目だけで鏡を探した。
結局見つからず、冷たい笑みを作って問う。
「んー、どのような顔をしてました?」
「憂いを帯びて、マリア像のように麗しかった」
「ヌフフっ、マリアに例えられたのは初めてです」
椅子に片足をかけて膝を抱え、そっと手招きで近寄ることを許可する。
ロレンツォは、ぱっと表情を明るくして急いで足元へと寄ってきた。
「本当におかしな人ですね。ねぇ、一体私のどこがいいと言うのです?」
「その存在すべてが、すべてが俺を魅了してやまない」
「どうにもピンときませんねぇ。では質問を変えましょう」
立てた膝に頭を乗せるようにして首を傾げると、蒼い髪がさらさらと右目や頬にかかった。
己の魅せ方は心得ている。
だからこそ、仕掛ける。
「私にしてほしいことは、何ですか?」
双眸を細めつつ艶然と微笑んで。
「――っ」
ロレンツォは短く息を呑み、目が離せないといった様子で喉を震わせた。
「……何も、いや、あぁ、ありすぎて、そう、まずは、キスを」
「お断りします」
言い終わるのも待たずに拒否を示す。
「その前に、私に恋愛感情を抱かせるのが先でしょう?」
「あ、あぁ、そうか、そう、じゃあ、えっと」
「んー?」
手袋に包んだ手を伸ばすと、ロレンツォは片膝を立ててそっとその手を取った。
まるで忠誠を誓われているようで、気分は悪くない。
銅像に似た色の瞳を真っ直ぐに向けて、彼は言った。
「話を、そう、話をしよう、もっと俺のことを知ってほしい」
紅色の唇が三日月に歪む。
「えぇ、喜んで」
人というのは、語るときにこそボロが出やすいのだから。
急な雨に、箱庭の匂いを洗い落としながら帰る。
そういえば今日は食事もまだだった。ナックルが起きていれば何か作ってもらおう。
また書類を溜め込んでいないだろうか。明日にでも確認しよう。
手袋を捨ててしまったせいで、指先が冷たい。
彼はもう休んでしまっただろうか。少しでも顔を見たら自分も休もう。
懐に忍ばせた懐中時計で時間を確かめる。
遅くなってしまっただろうか。帰りを待っていてくれたら嬉しいのに。
日が変わる前に、少しでも会えたら。
あえて任務と関係ないことに思考を巡らせている内に、扉の前にたどり着いた。
音を立てないようにゆっくりと開け、中に身を滑り込ませる。
「デイモン?」
耳によく馴染む声。
デイモンは一瞬緩んだ気持ちを整え、ゆっくりと振り返った。
「んー、ただいま戻りました、ジョット」
「戻ったって、ずぶ濡れじゃないか、傘は」
慌てて駆け寄り、その両手がデイモンの頬を包む。
「生憎、持ち合わせていなかったもので」
「遣いを寄越せばいいだろう、迎えに行ったのに」
「貴方の手を煩わせるわけにはいきませんよ」
「俺に遠慮は必要ないと、いつも言っているだろう馬鹿者」
脱いだマントを被せるようにして、ぎゅ、と抱きしめられる。
「じ、ジョット?」
「体が冷えてる」
「濡れてしまいます」
「構わん」
じわり、と重ねた胸から熱が広がる。
知らず目を閉じると、心臓の音だけがよく聞こえた。
ここは一番落ち着く場所。
乞い願って、許された立場。
――恋人という。
大人しく肩に頭を預けていると、ジョットのため息が耳に届いた。
「……これだけでは無理か。よし、すぐに風呂に入ってこい。いいな?」
有無を言わさぬ声音。
けれどそれは優しい響きで。
デイモンは知らず、柔らかく微笑んだ。
「んー、そう仰るのなら、早く離してくださいな」
「もう少し。最近なかなか会えないからな」
ちくりと胸が痛む。
その主な原因が自分にあることに、あるいは後ろめたさに。
なるべく悟られないよう気にしていると、視線が合った。
明るい、琥珀よりも淡い金色の瞳。
濡れた髪に指が絡まって。
長い睫毛が揺れて。
「とりあえず共有スペースでの不純交遊は禁止だよ」
「きゃああっ!?」
「うおっ」
動揺のあまりジョットを突き飛ばしてしまう。
ジョットは多少よろめいた後、背後のアラウディに受け止められた。
「あ、すみませっ」
「いや、平気だ」
ひらひらと手を振ってからアラウディを睨み付ける。
「もう少し空気を読めないのか」
「空気は吸って吐くものだよ」
さらりと返して手を離す。
相変わらず無関心の権化のような人物だ。
「それより時間いい? Gと情報交換するから貴方にも立ち会ってほしいんだけど」
「あぁ、そういうことなら……」
そう答えたものの、濡れたままの恋人を放っておくこともできないといった本音を隠そうともせず、ジョットは心配そうにデイモンを見遣った。
それに、クス、と小さく笑みをこぼして。
「私のことならお気になさらず」
「しかしだな」
「子どもではないのですから」
「……ちゃんと、体を温めてから寝るんだぞ?」
「わかっていますよ、ジョットは心配しすぎです」
「仕方ないだろう、お前が大事なんだから」
「――っ」
さっき以上に強く心臓が跳ねた。
ストレートな物言いはいつものことだが、だからこそ心臓に悪い。
嬉しすぎて泣いてしまいそうになる。
「どうした? 顔が赤いようだが、大丈夫か?」
「き、気のせいですっ」
しかも自分が何をしでかしたか理解できない天然っぷり。
本当にどうしようもない。
「それではっ」
デイモンは肩にかけられたマントを握りしめると、素早くきびすを返した。
「あ、ちょっと待てデイモン」
手首を取られて、振り向かされる。
まさかさっきの続きだろうかと身構えたが、ジョットは小さく笑っただけで、すぐに手を離した。
それはそれで寂しくて、つい気分が落ちてしまう。
いつも。
ジョットはいつも最後の最後で、何もしてくれない。
デイモンは小首を傾げて静かに問うた。
「何ですか?」
「いや、いつもの……手袋は、どうしたんだ?」
「あぁ……」
ちょうど掴まれたほうの手が裸であったことを思い出す。
帰り道の途中で捨てた。
――ジョット以外の男にべたべたと触れられたから気持ちが悪くて。
なんて、言えるわけもなく。
デイモンは手首を撫でながら幻覚の擦り傷を被せ、手の甲をジョットに見せた。
「途中で木に引っかけてしまって、裂けたままなのも不恰好なので捨ててしまいました」
「……そうか」
「それでは失礼させていただきます。おやすみなさい」
にこりと笑みを残し、改めてその場をあとにする。
背中にふたりの会話が聞こえてきたけれど、構わず浴室へ直行する。
幻覚を消した手首はひどく熱くて。
さっきまでこんなことなかったのに。
耳鳴りのようなものを感じつつ、己の手首に口付ける。
ジョットとはこうして唇で触れ合うことも滅多にない。
どこか、ふたりとも、恐れていて。
「もうお互い、いい歳なんですけどね」
一度も肌を重ねたこともないなど、Gが知ったら大笑いで馬鹿にしてくるだろう。
無関心なアラウディでさえ小馬鹿にした態度を返してくるかもしれない。
一瞬だけ想像して、デイモンはすぐそばの壁を殴りつけた。
あの二人だけは本当に気に喰わない。
けれど。
本当は。
――そう、本当はわかっている。
笑われてもしようがないほど臆病になっていること。
お互いにあと一歩が、踏み出せないまま。
「……あぁ、そうか」
もしかすると。
この任務に就いたのは、嫉妬してほしかったからかもしれない。
もっと。
ちゃんと。
求めてほしくて。
「……なんて、やっぱりあり得ませんよね」
嫉妬や独占欲なんてジョットのイメージからあまりにかけ離れすぎている。
ふと、マントから垂れ下がる金色の留め具を指に絡ませ、唇に押し当ててみる。
こうして鎖で束縛されたいなどと。
「ヌフフ、おかしな望みもあったものですね」
叶わないと知りつつ、デイモンはそっとマントを抱き寄せた。
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